Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

色絵 猩々文 小皿

2021年08月09日 13時53分08秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 猩々文 小皿」の紹介です。

 

表面

 

 

猩々の拡大写真

 

 

裏面

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代後期(1780~1820年代)

サ イ ズ : 口径;12.8cm 高さ;3.2cm 底径;7.5cm

 

 

 なお、この「色絵 猩々文 小皿」につきましては、かつて、いまは止めてしまいました拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介したことがあります。

 そこで、次に、その時の紹介文を再度掲載し、この「色絵 猩々文 小皿」の紹介に代えさせていただきます。

 

 

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       <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー163  伊万里色絵猩々文小皿         (平成23年10月1日登載)

 

  

 これは猩々を描いた小皿のようである。

 猩々は、龍や麒麟などと同じく、中国の伝説上の生き物で、人の言葉を理解し、赤い顔をした人間のような容姿をしていて、酒を好むとされている。
 普通、大きな酒甕とセットになって描かれている。

 この小皿には、大きな甕と赤い顔の柄杓を持った人間のような生き物が描かれているので、猩々を描いたものに間違いはなさそうである。

 伊万里では「甕割唐子文」というのが有名で、また、その手は多く見かけるので、買ってから暫くの間、私も、この小皿を「甕割唐子文」と思っていた。

 しかし、暫くしてから、どうも違和感を感じ、「甕割唐子文」ではないのではなかろうかと思うようになり、少し調べた結果、どうやら「猩々」を描いたものであることに気付いた次第である。

 

     江戸時代後期     口径:12.8cm   高台径:7.5cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌95  古伊万里との対話(猩々文の小皿)(平成23年10月1日登載)(平成23年9月筆)

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  猩 々 (伊万里色絵猩々文小皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 めっきり涼しくなり、朝晩は寒いほどである。まさに「秋風が吹いてきた」。主人の所のコレクションの在庫も少なくなり、主人の押入れの中にも「秋風が吹いてきた」。
 そうなると、「季節に合わせて」とか「珍しくて良い物を選んで」などとは言ってられなくなり、なりふりかまわず、とにかく、押入れの中から目に留まったものを引っ張り出してきて対話をはじめざるを得なくなったようである。

 

 


 

主人: どうも、我が家のコレクションもそろそろ底が見えてきた感じだ。いろいろと吟味して出てきてもらうというような余裕がなくなってきた。私の好みで選択して登場してもらうというような余裕がなくなってきた。それで、これからは、手当たり次第に出てきてもらうことにした。さしずめ、お前はその手始めというところかな。(「以前からそうだったのでは!」との陰の声あり。)

猩々: 私にはそんなに魅力がないんですか(涙)。

主人: まっ、人の好みは好き好きだろうけれど、どうも、私は、「物語」みたいなものを描いた物は好きになれないんだ。お前に魅力がないというわけではないんだが・・・・・。

猩々: どうしてですか?

主人: 一言で言うと、煩わしいからだ。植物や動物、人物が描いてある場合、ただそれだけを鑑賞すればいいはずだ。「花」が描いてあれば、ただ単純に「奇麗だな~」と感じればいいし、「兎」が描いてあれば、それまた単純に「可愛いな~」と感じればいいはずだ。それが、そこに描いてあるものから何かを連想しなければならないとすれば煩わしいし、そこには雑念も入る。純粋に、「美しい」とか「可愛い」というような感動が無くなるし、また、その感動も薄まってしまうだろう。

猩々: でも、日本画のジャンルに歴史画というものもありますよ。歴史画も十分に感動を与えると思います。

主人: それはそうだ。歴史画の場合は、史実や人物の特徴が見事に際立つように描かれており、それを見ただけで「美しい!」。そこに描かれたものから何かを連想する必要もないくらいに、ただそれだけで「美しい!」。
 ところが、お前の場合はどうだ。中途半端だ。描かれた草花が美しいわけでもなく、壺が美しいわけでもない。描かれた人物(?)だって何が描かれてれているのかわからない。貧弱な脳ミソの中に詰ったわずかばかりの知識を総動員して、それも、買ってから相当期間を過ぎてから、やっと、「猩々」が描かれていることがわかったほどだ。そこまでたどり着くまでに疲れてしまって、鑑賞だ、感動だ、などとの話には到底至らない。

猩々: それは手厳しですね。
 ご主人は「頭」を使うのが嫌いなんですか!

主人: 「頭」を使うことは嫌いではない。ただ、「遊び」に「頭」を使うことは好きでない。「骨董」も「遊び」みたいなもんだから、その点では、骨董の鑑賞に「頭」を使うのは嫌いだな。見ただけで、直感で楽しみたい。そういうことから、私は、「囲碁」とか「将棋」は好きになれない。「どうして遊びなのに頭を使わなければならないの!」との思いが強いからだ。もっとも、「囲碁」や「将棋」にはプロもいることだから、本来、「囲碁」や「将棋」は「遊び」ではないのかもしれないが・・・・・。

猩々: 話はだいぶ横道にそれてしまいましたが、ご主人は、どうして好きでもない私のようなものを買ったんですか?

主人: 伊万里にはいろんなものがある。その評価だっていろいろで、十人十色だろう。私が好かない物でも他の人は好きになるかもしれない。自分の好みだけでコレクションしていては伊万里に対して申し訳ない。公平に評価しなければならない。
 そういう思いから、「伊万里にはこういうものもあるんだよ!」ということを残しておきたいと思ったからだ。そのまま放置しておいては、やがては打ち捨てられ、存在そのものが消滅してしまうから・・・・・。ただ、その評価は、後世に託されるだろうけれど。

猩々: ご主人は、ずいぶんと広い心で伊万里のコレクションをされているんですね。

主人: 伊万里が好きだからね。好きが嵩ずると自分の好みの枠を超えて好きになっていくのかな・・・・・。もっとも、なるべくそうしたいけど、現実には資金の関係もあってなかなかそうもいかないな・・・・・。

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 また、この「色絵 猩々文 小皿」に似たような皿が、「柴田コレクション総目録」(平成15年 佐賀県立九州陶磁文化館編集発行)に登載されておりますので、参考までに、それを転載して紹介いたします。

 

「柴田コレクション総目録」から転載