今回は、「伊万里 色絵 海老図 中皿」の紹介です。
額に入った状態
表面
海老図の拡大画像
裏面
櫛高台の描き方も粗雑で、裏文様の青海波文もプリントです(><)
高台内銘:喜祥
この中皿は、昭和58年に(今から37年前に)、古美術店ではなく、工芸品のみを専門に扱っている「工芸品店」から買ったものです。
その頃は、コレクションを始めて10年程になっていましたので、その対象もほぼ「古伊万里」にしぼられてきてはいましたが、それでも、時折、「古伊万里」以外の気に入った物に遭遇したりしますと、ついつい食指を動かしていました。
これもそうですね。「工芸品店」に展示してあったものなんですから、当然、「古伊万里」ではないであろうことは分かっていたんですが、何故か気になったんです(~_~;)
そして、「綺麗だな~」「欲しいな~」と思ってしまったんですね(~_~;)
しかし、値段が高かったんです(><)
「馬子にも衣装」という言葉がありますが、その通りだったんです(~_~;) 「額」に入れられ、いかにも高級品に仕立てられていたわけで、それに参ってしまったわけですね(><)
今では、そんな、「額」とか「箱」などの、いわゆる着物などにだまされることなく、中身そのもので判断していますが、当時は、まだ、修行が足りず、そんな外見に左右されてしまったわけですね(><)
ということで、結局は、高い買い物をしてしまいました(~_~;)
これは、中身そのものに騙されたわけではないですから、骨董品収集の勉強過程で払うことになる、いわゆる授業料ということではないでしょうけれど、一種の授業料みたいなものですね(~_~;)
ところで、この中皿の高台内には、「喜祥」という銘が入っています。
買う時点では、何処の窯なのか、調べれば直ぐに分かるだろうと思い、買ってきてから、少し調べてみました。
多分、明治頃の平戸(三川内)辺りの窯だろうとは思ったのですが、結局は、何処の窯なのか分かりませんでした(><)
その後、この中皿にも興味を失い、更に調べもせずにそのまま放置していましたが、今回、これを紹介するに当たり、また調べてみました。
調査に当たって使用しました資料は、「近現代肥前陶磁銘款集」(平成18年 佐賀県立九州陶磁文化館編集発行)です。
結果は! 残念ながら載っていませんでした(><)
これに似たものとしては、三川内地区の口石嘉五郎という者が始めたという「嘉祥」という銘は載っていましたが(上掲書P.169)、「喜祥」という銘は載っていませんでした(><)
製作年代: 明治時代
製 作 地 : 肥前・三川内
サ イ ズ : 口径;18.9cm 高さ;4.6cm 底径;9.1cm
この工芸品店の主人は商売上手だったし、センスも良かったですね。
一代で店を大きくし繁盛していました。
でも、亡くなって息子の代になってからは寂れてしまいました(__;)
このような、美術品を扱う店は、センスもだいじなようですね(^_^) 単純な世襲では続かないようですね。
「嘉祥」と「喜祥」は、よく似ていますので、ちょっと勘違いしますよね。
私も、最初は、「あった!」と喜んだんですが、ブログで紹介するにはいい加減なことも書けませんので、もう一度じくり見直しましたら、違っていることに気付き、ガッカリしました(~_~;)
そんなところも、ブログの良さかもしれませんよね(^_^)
田舎の骨董市で同じようなタイプの品を見かけますが
海老文というのはとても珍しいように感じます。(多くは江戸期の鍋島写し)
デザインとして洗練されていますし、絵付けも丁寧ですので、工芸品店のご主人は商売上手だったのかも知れませんね。
「平戸 嘉祥」銘ですね、私が見たのも。
慎んで訂正します(^^;
でも、やはりこの品は平戸だと思います(^.^)
平戸は、力のある窯ですものね(^_^)
それを分かっていながら、確証を得たく、いろいろとうごめいております(~_~;)
背中を押していただき、ありがとうございます(^_^)
櫛高台にしたり、いろいろと鍋島を取り入れていますものね。
上記の銘款集では、「嘉祥」とか「平戸嘉祥」は出てくるんですが、「喜祥」は出てこないんです。
遅生さんは、「平戸 喜祥」の銘のある皿を何回か見ているんですか。
先ほど、ネットで「平戸焼 喜祥」で検索してみましたら、「平戸焼 喜祥の画像」というものが出てきました。ただ、それは、画像だけが沢山出てくるだけで、平戸に「喜祥」という窯元が存在するのかどうかには触れられていませんでした。
でも、そんなものが出てくるということは、平戸に「喜祥」という窯元が存在する可能性は高いですよね(^_^)
欲しい!と思わせる物はやはり良い品物と思います。平戸はやはり力のある窯だと私は思っております。有難うございます。
近代の鍋島かと思いました。
これまで、「平戸 喜祥」銘のある皿を何回か見ています。いずれも瀟洒な品でした。
この深皿もやはり平戸ではないでしょうか。
私も、そう、思いました(^-^*)
美しいものは美しい、綺麗なものは綺麗ですよね(^-^*)
多分、これは、明治時代に三川内辺りで焼かれたものだと思います。
三川内には、口石という姓は多いのですか。
これも、口石という姓の方が焼いたのかもしれませんね(^_^;
素直にそう思います。♪
三川内あたりで焼かれたのでしょうか。
口石という姓も
向こうにはけっこうあります。