Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

伊万里 染付網目文玉壺春形徳利

2020年07月19日 18時58分38秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付網目文玉壺春形徳利」の紹介です。

 

       

左:徳利A(高さ:14.6cm)   右:徳利B(高さ:15.7cm)

 

 

 徳利Aは、昭和52年7月に購入したもので、当時から、初期伊万里の典型的な徳利として有名なものでした。今でも、市場に出回っており、今なお人気が衰えておりません。

 古伊万里のコレクションを始めたからには、是非、1点は欲しいと思っていたんですが、なにせ、人気があるものですから高額で手に入りません(><)

 何とか、やっとこ手に入れたんですが、例によって大疵です(><)

 これは、私の古伊万里コレクション第5号となりますが、大疵物とはいえ、これを手に入れたことによって、やっと古伊万里コレクターの仲間入りが出来たような気になりました(^-^; その意味では、私にとっては、意義深い古伊万里です。

 

 

 徳利A

 

徳利Aの底面

 

 

 しかし、大疵とはいえ、よく図録に出てくる典型的な初期伊万里ですし、そのとろりとした肌、可憐な姿・形には、おもわず口づけし、ほおずりし、たなごころにそっと包み込みたくなるような愛らしい徳利です。網目文は、観賞用のきっちりとした網目文でもなく、そうかといって粗雑でもなく、あくまでも、いわば中庸を得た描き方です。したがって、使用していて肩もこらず、かといって粗略にも扱えない、、。なるほど、中庸とはこんなことをいうのだろうかということを身をもって教えてくれる一品です。

 そんなところから、私は、この徳利を大変気に入り、どうしてもこれに酒を入れ、毎日のように実用に供したくなりました。しかし、口造りは3分の1ほどが欠け、高台部も同じくらい欠けていましたし、元は、そこに金直しがしてありました。それには、金直しが大きすぎて、目立ち過ぎ、どうも具合が悪いんです。そこで、金直しをはずし、自分で補修することにしたわけです。さっそく白色セメントと水彩絵の具セット、それに陶磁器接着剤を買ってきて、一応の補修を終了させました。しばらくの間は、自分で補修をしたことに対する愛着も手伝って、毎日のようにこの徳利を使って酒をのんでいました。

 ところがです、その後、「古伊万里再発見」(双樹社美術出版 野田敏雄著)という本を読んでいましたら、これらの徳利は、琉球の王族、富裕者達の墓の明器であったということが書いてあるではないですか(><) ゲゲーの思いです(><) その後、実用に供しなくなったことは言うまでもありません(-_-;)

 しかし、夜の一杯に使用していたこと自体は青天の霹靂の思いではありますが、その美しさそのものは、今もなお不変です(^-^;             

 

 なお、この徳利Aを手に入れてから、2カ月ほどして、徳利Bを手に入れました。

 徳利Bのほうにも、口造りの六分の一ほどに金直しがしてありましたが、それもはずし、自分で補修をし直しました。

 

 

徳利B

 

 

徳利Bの底面

 

 

製作年代: 江戸時代初期

サ イ ズ : 徳利A……口径;3.7cm 胴径;6.8cm 高台径;4.4cm 高さ;14.6cm

      徳利B……口径;3.8cm 胴径;6.9cm 高台径;4.4cm 高さ;15.7cm


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
アリサさんへ (Dr.K)
2020-07-20 21:53:20
伊万里ならなんでも好きで、器形、時代などにはこだわらずに集めてきました。
それに、同じ様なものが出てくると、2点なら「対」に、5点なら「5客組」になるなと思って、ついつい、同じ様なものを集めてしまいます。

次回は何になるでしょうか、、、?
楽しみにしていただけたら嬉しいです(^-^;
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博物館 (アリサ)
2020-07-20 17:08:06
いつも珍しいものを、ドラえもんのポッケットのように、次から次へと見せていただき有難うございます。今回の徳利、それも二本とうらやましい限りです。網目も筆の動きがよくわかります。次もまた楽しみです。
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padaさんへ (Dr.K)
2020-07-20 16:38:58
padaさんは、博学ですね(^-^;

「沖縄の葬儀は特殊で、風葬もしくは土葬し数年後に掘り出して遺骨を洗い、副葬品と一緒に埋葬する。この時女性は油壷、男性は徳利を持たせる」んですか。
そうすると、この徳利も、副葬品の可能性が高いですね。
副葬品となると、やはり、ちょっと、日常に使うには抵抗を感じますね。
padaさんの所持している油壺は、これは、口にするわけではないですから、副葬品であったにしても、日常用に使っても抵抗はないですね(^-^;
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Unknown (pada)
2020-07-20 16:13:45
その昔読んだ本では、伊万里の年代を決める時、琉球の墓から出てきた副葬品はしっかりした年代だから、これを元にして物原の伊万里の同手を探して縦に掘り仕分けをし、他古窯に水平展開していく、これで10年刻みで年代がわかることも有るなんて書かれていました。最近投稿した油壷~これを調べたら、沖縄の葬儀は特殊で、風葬もしくは土葬し数年後に掘り出して遺骨を洗い、副葬品と一緒に埋葬する。この時女性は油壷、男性は徳利を持たせるとありました。両方たしますと見えてきますね(笑)高価な伊万里は貴族用~現地製作品(壺屋)は平民用でしょうか?
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遅生さんへ (Dr.K)
2020-07-20 08:25:19
ホント、明器と明記してもらわないと困りますよね(^-^;
口にするものですものね(-_-;)

この本には、それほど詳しく書かれてはいません。
「琉球王朝などの墓から出土したこともある」程度なのかもしれません。
琉球王朝などの墓からの出土品が、こんなに多く、日本の骨董市場に出回ることは考えられませんものね。

これが明器だとしても、「名器」と明記して欲しかったです(笑)。
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tkgmzt2902さんへ (Dr.K)
2020-07-20 08:15:45
私も、これが副葬品として作られたのかどうかまでは分かりません(^^;
生前に気に入っていたものだったので、副葬してあげたのかもしれません。
それに、正式に墓を掘り起こして副葬品を取り出したのかどうかも分かりません(-_-;)
多分、盗掘に近い形で掘り出されたのかもしれませんね、、、。

いずれにしましても、副葬品に関連していることを知ってから、この徳利も、もしや副葬品だったのかなと思うと、なんとなく、実用に供することには抵抗を感じてしまいました(^^;
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Dr.kさんへ (遅生)
2020-07-19 21:50:12
明器と明記してもらわなくては困りますね(^^;)
本は読んでいないのですが、琉球王朝などの墓から出土したこともある、ということではないでしょうか。琉球の出土品が、これだけ日本の市場に出るとは考え難いです。
いずれにしても、名器であることに変わりはありませんね(^.^)
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Unknown (tkgmzt2902)
2020-07-19 21:49:17
明器という言葉を初めて知りました。日常品を模したものと書いてありましたが、これは副葬品として作ったものではないようの気がします。生前よほど気に入っていたのでしょうね。
沖縄は亡なった人を大切にするところ、副葬品を掘り起こすことがあるのですか?
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不あがりさんへ (Dr.K)
2020-07-19 21:29:35
この徳利は、昔から有名なもので、数も多く出回っていましたね。
ただ、殆んどに傷があるんですよね。
それで、傷の少ないものは高額でしたね。
これらの徳利は、琉球の王族、富裕者達の墓の明器であったので、発掘品だったからなんですね。
いまでも、たまに、骨董市などで見かけますが、やはり、値段は高いですね。
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Unknown (不あがり)
2020-07-19 20:30:03
Dr.K様へ
これは伊万里の代表的な品物と私は思っております。欲しくても、手も足も出ない品物と思っております。見るだけです。実物は見た事ありません(笑)。有難うございます。
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