Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

骨董市と古美術品交換会

2021年09月19日 16時32分21秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、定例の、月に一度の「骨董市と古美術品交換会」の日でした。しかも、先月は、コロナ禍のため中止になっていましたから、2ヶ月ぶりのことでした(^-^*)

 心配した台風14号も、昨日のうちに温帯低気圧と変わり、今日は上天気となりました(^-^*)

 2ヶ月ぶりなものですから、今日を待ち遠しい気持ちで迎えましたので、朝、元気に出発です。

 先ずは近くの骨董市会場へ!

 暫くぶりでの骨董市ですから、最初の頃は気持ちもウキウキでしたが、会場内の出店数が増えていたわけでもなく、品揃えも変わり映えせずで、だんだんとウキウキした気分はしぼんできてしまいました(><)

 それでも、色絵の鍋島の猪口を発見です!

 手の届く値段でしたので、さっそく購入です(^_^)

 あとは、見るべき古伊万里もなさそうでしたので、骨董市会場はこれで切り上げ、次なる古美術品交換会会場へと向かいました。

 古美術品交換会も2ヶ月ぶりの開催ですが、最近、コロナ禍のためか、出席者が少なく、今日も少人数の出席者でした。

 そのため、競りに掛けられる品物も少なく、午前中で終わってしまいました。私のお目当ての古伊万里は、買いたいと思うようなものの出品は無く、結局、何も買わずに終わってしまいました。

 ということで、今日の戦果は、色絵の鍋島の猪口1点だけでした。

 次に、その色絵の鍋島の猪口1点を紹介いたします。

 

 

           <鍋島 色絵 鳳凰文 猪口>

 

正面(仮定)

 

 

 

正面から約45度回転させた面

 

 

見込面

 

 

正面側からみた底面

 

 

正面から約45度回転させた面側からみた底面

 

 ところで、「将軍と鍋島・柿右衛門」(大橋康二著 雄山閣 平成19年発行)によりますと、

「例年献上の陶器について老中松平伊賀守中周より指示があり、種類が多い色絵具で飾ったものは制限するが、青磁はこれまで通りとし、以後の献上品に注文が付いたのも、この華麗を禁じた一環と考えられ、盛期鍋島の終わりの時期と推測できる。以後の幕末までの伝世品の内容をみても、三色使ったいわゆる色鍋島が消える。時折みられる色絵は赤一色を付けたり、緑一色であったり、稀に二色程度もあるが、極端に華やかな色鍋島は消えたのである。(P.156~160)」

「このように鍋島は将軍綱吉時代に盛期を迎え、吉宗の倹約令によって盛期は終わる。以後は三色使ういわゆる色鍋島は作られず、主に染付が、次いで青磁が作られ、赤だけや二色程度の色鍋島は少量つくられたにすぎない。しかも確実な将軍家例年献上品の中に色絵の例はみられない。 (P.160)」

とあります。

 従いまして、この記述によりますと、この「色絵 鳳凰文 猪口」は、いわゆる色鍋島には属しませんし、赤だけの彩色ですが、吉宗の倹約令以後の確実な将軍家例年献上品にも属さないことになります。

 なお、この「色絵 鳳凰文 猪口」の製作年代ですが、鍋島の場合、製作年代の特定は非常に難しいものがありますので、はっきりとは分かりません(~_~;)

 それについては、今後の研究課題とし、当面は江戸後期としておきたいと思います。

 

生 産 地 : 肥前・鍋島藩窯

製作年代: 江戸時代後期

サ  イ ズ: 口径;9.0cm 高さ;5.9cm 底径;3.5cm


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Dr.kさんへ (遅生)
2021-09-19 19:25:51
あらかじめ赤絵を想定して染付がなされているのですね。この様な品は、鍋島では少ないのですね。
器形も大変珍しいです。
これだけ凝った鍋島ですから、猪口より向付?
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遅生さんへ (Dr.K)
2021-09-19 20:11:08
鍋島の場合は、赤絵の下に薄く細く染付で描き、その染付の上に赤を塗るんですよね。
これも、ハッキリは分かりませんが、多分、そのようになっているように思います。

この形は珍しいと思います。
私も、見たことがないような気がします。

私は、猪口と向付の違いがよく分からないのですが、これは、飲み物を入れたのではなく、食べ物を入れたと思いますので、向付なのでしょうか(^_^)
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Dr.kさんへ (酒田の人)
2021-09-19 20:23:11
珍しい鍋島ですね!
これを見逃さないのはさすがにドクターさんです
私の場合、鍋島に関しては全くもって素人ですんで、「江戸期の鍋島です」と言われれば
「そうですか」としか答えられません。
とはいえ、この凝った成形、上質な土を思えば、「鍋島」としか言えませんよね。

一点気になったのが、高台部分の渦巻き文で、中期に伊万里に見られますが
中期の品では一つおきに渦の方向が逆になっているようです。
(何故かは判りませんが・・・)
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酒田の人さんへ (Dr.K)
2021-09-20 08:35:21
鍋島は難しいですね(~_~;)
これも、盛期の鍋島ではないというところまでは分かるんですが、では、何時頃のものかとなると、なかなか分かりません(><)
江戸後期の早い頃にも思われますし、幕末にも思われます。はたまた、明治初め頃にも思われます(~_~;)
少しずつ解明されてゆくのかもしれません(^-^*)

でも、これ、盛期の鍋島ではないことは分かりますが、鍋島の片鱗は宿していますよね(^_^)

高台部分の渦巻き文は、中期のものは一つおきに渦の方向が逆になっているんですか。ちょと気付きませんでした(~_~;) これから、注意して見てみます。
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こんにちは (つや姫日記)
2021-09-20 10:27:31
さすがに
DRさんのお眼鏡にかなう器は
美しいですね。♪
形も凝っていますね。
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つや姫日記さんへ (Dr.K)
2021-09-20 18:46:55
やはり、鍋島は、陶磁器の中で、日本最高峰の工芸美を誇りますね。
腐っても鯛ならぬ、腐っても鍋島です。
これは、その鍋島の片鱗を宿していると思います(^_^)
江戸時代、将軍家や大名は、このような器を使用していたんですよね。
庶民は、その存在させ知らない器でした。

お褒めいただきありがとうございます(^-^*)
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