今回は、「黄褐釉銹釉 陽刻 柚子文 輪花形小皿」の紹介です。
見込面
見込面の釉ハゲ部分の拡大写真(この写真全体は、黄褐色ではなく黄色っぽい色に
写っていますが、実際の色は、「見込面」の写真の色に近いものです)
柚子の実と実との間の釉ハゲ部分の地肌がピンク色になって浮き出ています。
側面
裏面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期 江戸時代前期(1670~1690年代)
サ イ ズ : 口径;15.7cm 底径;9.5cm
なお、この「黄褐釉銹釉 陽刻 柚子文 輪花形小皿」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
そこで、その時の紹介文を、次に再度掲載することをもちまして、この「黄褐釉銹釉 陽刻 柚子文 輪花形小皿」の紹介に代えさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー170 伊万里黄褐釉陽刻柚子文輪花小皿 (平成24年5月1日登載)
右下の方に柑橘類の実らしきものが2個描かれ、周辺をぐるりとその木の枝と葉が陽刻で描かれている。
よく見ると、木の枝には棘が描かれている。それで、当初は、これは夏ミカンが描かれたものなのかなと思ったが、日本では、夏ミカンは江戸時代中期の1,700年頃になってから栽培されるようになったらしいので、「ゆず」が描かれたものであることを知るに至った。
と言うのは、伊万里では、江戸時代前期の1,630~60年代頃に、山小屋窯と百間窯で多彩釉磁器が焼かれていたが、この小皿は、その当時、百間窯で焼かれたものと思われるからである。
つまり、この小皿は、日本で夏ミカンが栽培されるようになった江戸時代中期よりも前の江戸時代前期に作られているからである。
なお、この多彩釉磁器は、茶道具のなかの懐石料理の道具として使用されたり、鍋島に影響を与えているともいわれ、伊万里の中では特異な存在である。
そう思って眺めると、この小皿の柚子の実と実との間に釉ハゲが見られるが、その地肌がピンク色になって浮き出ており(注:上の「見込面の釉ハゲ部分の拡大写真」参照)、この小皿が、懐石料理の道具として使用されたものだとすれば、その部分は一つの景色となったであろうから、釉ハゲも怪我の功名と言えなくもない。
また、この小皿のデザインも、中央を大きく余白とし、その周辺に柚子の実と枝と葉をグルリと巡らせており、典型的な鍋島のデザインを思わせるところであり、鍋島に影響を与えたであろうことの片鱗を伺わせる。
江戸時代前期 口径 : 15.7cm 高台径 : 9.5cm
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*古伊万里バカ日誌101 古伊万里との対話(柚子文の小皿)(平成24年5月1日登載)(平成24年4月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
柚 子 (伊万里黄褐釉陽刻柚子文輪花小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、主人にしては珍しく手回しよく、この季節になったら是非対話をしようと考えていた古伊万里を、イソイソと押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。
主人: お前のことは、東京は「京橋」にある古美術店から平成16年に買ってきたんだ。それでも、もう8年も経過しているんだね。月日の経つのは早いものだ。
おっと、東京の京橋の古美術店から平成16年に買ってきたという話は正確ではないな(>_<)
柚子: それはどういうことですか?
主人: その時は少ししか所持金がなかったので、そのお店の取引銀行口座番号を教えてもらい、お金を銀行に振り込み、しかる後に送ってもらったんだ。
柚子: ご主人は、よくそのようなことをするんですか。
主人: めったにやらないね。そんなことを頻繁に繰り返していたら破産しちゃうからね。もっとも、地元の馴染みの古美術店での場合は、気に入った古伊万里があるとそのまま持ち帰り、お金は、そのうち、都合がついた時に随時支払うというようなことを、以前はよくやっていたけどね。それも、最近はめったにやらないよ。いつもニコニコ現金払いだ(笑)。
柚子: ところで、ご主人は、何故この季節に私と対話をしようと思ったんですか?
主人: そうそう、そのことよ。お前には夏ミカンが描かれていると思っていたからだよ。
スーパーなんかの店頭には、温州ミカンが終りになり、今頃の季節になると、今度は夏ミカンが並べられるようになるよね。私の子供の頃は、今頃の季節の遠足というと、決まって夏ミカンを持たされたもんだ。今では、夏ミカンよりもずっと甘い種類の柑橘類が沢山出回っているが、当時は、夏ミカンぐらいしかなかったものね。しかも、当時の夏ミカンは酸味が強くて、私はあまり好きではなかったな。それでも、遠足で疲れた体をその酸味が癒してくれたし、汗をかいて渇いた咽をその水分が潤してはくれたもんだよ。
そんな、子供の頃の思い出があるので、お前を見た時、夏ミカンが描かれていると思い込み、なつかしさもあって、ついつい借金までして買ってしまったわけだ。
ところが、今回、ホームページに載せるに際し、あまりにもいいかげんなことを書いては世間様に申し訳がないので、ちょっとネットで調べることにしたんだ。そしたら驚いたね(@_@;) どうも、お前は、夏ミカンではないらしい・・・・・。
柚子: 夏ミカンではなく何なのですか?
主人: 「柚子」だね!
ネットで調べた結果によると、夏ミカンは、江戸時代の中頃の1,700年頃、山口県長門市の海岸に漂着した柑橘類の種を播いたのがその起源だというんだよね。それでは、ちょっと時代が合わないんだよ。お前は江戸時代の前期に作られているはずだから!
江戸時代の前期にお前を作った陶工は、まだ夏ミカンというものを知らないんだから、夏ミカンを描けるわけがないものね。その点、柚子は、飛鳥時代とか奈良時代から既に日本で栽培されていたらしいので、柚子なら、当時の陶工も見ているから、十分に描けるものね。
柚子: そうでしたか。それなら、今の季節に登場しなくともよかったんですね。
主人: そうだね。柚子といえば、「冬至の柚子湯」なんてのが有名だから、その頃に登場させるべきなんだろうね。でも、以前から今の季節に登場させようと思っていたものだし、今更変更しても何だし、もともと、このホームページでは、「季節に合わせて」なんていうシャレタことはしていないしで、予定どおりにすることにしたわけさ(~_~;)
柚子: そうですか。わかりました。登場させていただいただけでも感謝しなけりゃ・・・・・ですものね。
主人: 柚子は、我が家の庭にも植えられていて、ここのところ、毎年、沢山実ってくれているよ。
先程も言ったように、日本では、江戸時代の頃から冬至には湯舟に柚子を浮かべて入浴する習慣があるようで、柚子湯に入ると風邪を引かないなんて言われているんだ。それで、我が家の庭にも是非柚子の木が欲しいと思って植えたんだ。
ところが、柚子は、「桃・栗三年、柿八年、ユズの大馬鹿十八年」と言われるとおり、成長が遅く、なかなか実らなかった。それでも、十八年はかからず、苗を植えてから10年ちょっと経ってから実りだしたかな。最近では、カラタチに接木して結実までの期間を短縮し、数年で収穫できるようにしているようだけれど。
ところで、柚子は、その木を所有すればしたで、今度は別な悩みが出てくるね。実ってくれるのはありがたいんだが、その実を採る作業が大変なんだ。棘が多くて、また、その棘が鋭くて痛いんだよ。それに、木は成長するわけで、我が家では庭に植えてあるため、そんなに大きくはさせられないから、剪定しなければならないわけだ。その際も、棘が痛くて大変なんだよ。庭師さんが来た際にその剪定もお願いしようとすると、「出来れば、柚子の剪定はご主人がやってください。」などと言うんだ。柚子の木の剪定は、棘で痛いので、庭師さんも敬遠する始末さ。
柚子: 私には柚子が描いてあると思ったのは、その棘のせいですか。
主人: そうだ。お前をよく見ると棘が描いてあるものね。普通の温州ミカンには棘がないからね。夏ミカンにも棘があるので、当初は夏ミカンかと思ったが、そうではなく、柚子が描いてあることがわかったのは先述のとおりだ。
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追 記 (令和3年9月5日)
これをインスタグラムでも紹介しましたところ、或る方が、これと同じ物が柴田コレクションⅥに載っていることを教えてくれました。
さっそく確認しましたところ、柴田コレクションⅥ-231(柴田コレクション総目録1740)に同手のものが載っていて、そこには「銹釉 陽刻 石榴文 輪花小皿」(1670~1690年代)となっていました。
ですので、これは黄褐釉ではなく銹釉のようですね(~_~;) また、製作年代も、私が考えていた時代よりも新しいようです(~_~;)
考えてみますと、私は、黄褐釉の現物を見たことがないんですよね(~_~;)
それで、間違えてしまったようです(><)
ただ、文様は、石榴文ではなく、柚子文ではないかと思うんですが、、、。
以上のことから、この「黄褐釉 陽刻 柚子文 輪花形小皿」につきましては、名称の「黄褐釉 陽刻 柚子文 輪花形小皿」を「銹釉 陽刻 柚子文 輪花形小皿」に、製作年代の「江戸時代前期」を「江戸時代前期(1670~90年代)」に訂正いたします。
黄褐釉の伊万里、初めて見ました。
黄褐色の元は何でしょうか。
鉄釉では、こんなに澄んだ色にはならないと思うのですが。
伊万里の多彩釉磁器には、他にどんな色の物があるのでしょうか。
伊万里では開窯後、色々な試みをしているのですね。こういう陽刻色皿をみると、伊万里の初期色絵は、やはり、素三彩の影響を受けているのかなと思いました。
それにしても、この品を京橋でゲットするとは、Dr恐るべし(^^;ですね。
でも、少ないようではありますね。
私も、詳しくは分かりませんが、黄褐釉は、黄釉と褐釉(鉄釉?)の2種類を使っているのだと思います。
多彩釉には、黄釉、褐釉、青磁釉、瑠璃釉、白磁釉などがあるようです。
伊万里の中でも、山小屋窯と百間窯は、他の窯とはちょっと違い、独特な窯だったようですね。
多彩釉の磁器を作ったり、茶道具なども作っているんですね。
ただ、それらの窯を、どのように位置付けるのか、私も勉強不足で分かりませんけれど、、。
京橋辺りをうろついたのは、これが最後の頃ですね。
その後は、お金もないですし、体力もなくなりましたので、行かなくなりました(~_~;)
黄褐釉の伊万里があるのは知っていましたが、図録や美術館でしか見れない品だと思っていました
さすがにドクターさんのコレクションは圧倒的です
陽刻の鋭さが、いかにも江戸前期の特長を表していますが
この時代は伊万里でいろいろと実験的な試みがされた時代なんでありましょうか。
調べましたところ、柴コレ6-231(総目録1740)に同手のものが載っていて、そこには「銹釉 石榴文 輪花小皿」(1670~1690年代)となっていました。
ですので、これは黄褐釉ではなく銹釉のようです(~_~;)
考えてみますと、私は、黄褐釉の現物を見たことがないんですよね(~_~;)
それですから、間違えているようです(><)
まだまだ勉強が足りません(><)
ただ、文様は、石榴文ではなく、柚子文ではないかと思うんですが、、、。
このような色の伊万里があるなんて。
このような色とか
茶系統の皿とか
ほんとうに美しいと思います。
そして好きです。♪
一見、磁器には見えませんよね。
そして、柔らかな、温かみのようなものを感じますよね(^_^)
このようなものを美しいと感じる方は、感性が豊かな人ですね(^_^)
お褒めいただき、嬉しいです(^-^*)