今回は(今回も?)、かつて、ホームページで既に紹介したことのある伊万里銹釉色絵唐草文小皿及び伊万里銹釉六角形小皿を、その時に紹介した紹介文も含め、写真を撮り直して改めて紹介いたします。
写真A 伊万里銹釉色絵唐草文小皿
口径:14.7cm
製作年代:江戸時代前期
伊万里銹釉色絵唐草文小皿の裏面
写真B 伊万里銹釉六角形小皿
長径:14.5cm
製作年代:江戸時代前期
伊万里銹釉六角形小皿の裏面
この伊万里銹釉色絵唐草文小皿と伊万里銹釉六角形小皿につきましては、公益社団法人日本陶磁協会の月刊機関誌「陶説」584号(平成13年11月号)に、次のように紹介しています。
古伊万里三行半
骨董が、なんと、三チャンネルのNHK教育テレビに登場した!! NHKといえば、一チャンネルがほとんどで、三チャンネルはまず見ることがない。せいぜい「新日曜美術館」程度か。高額な(?)受信料を払っているのだから、元をとるためにも、もっと見るべきなのだが・・・・・。それが私の実態である。
新聞の下のほうにある広告欄を読み、NHK教育テレビで、「NHK趣味悠々」という番組の一環として、「骨董市で遊ぼう」という番組が8月~9月にかけて放映されること、そのためのテキストが発売されること、を知る。胸をときめかし、さっそく書店に赴き、購入して予習する。NHKのテキストを胸をときめかしながら買い、しかも、予習までしたなどということは久しぶりである。子供の頃の英会話の勉強の時以来だろうか。なつかしい記憶がよみがえる。
ところで、「骨董」というとどうも相手に与える印象が悪い。語呂がいいので、骨董、窃盗、強盗などとはやし立てられてイメージが悪いし、ご隠居さんの手遊びの対象というイメージが強く、なんか年寄りくさいからだ。また、古くさく、カビ臭いといったイメージも重なり、陰湿ささえ与えてしまう。とてもとても教育などという印象など与えるものではない。
NHKの教養講座にとりあげられるようになると、骨董というものが、ずいぶんと従来のイメージとは違って見られるようになるのではないだろうか。骨董にとっては、株を上げる追い風である。我が愛する古伊万里にとっても絶好の追い風。ついつい、順風満帆、日本はおろか、七つの海を駆け巡ってほしいと強く希い願ってしまうのである。
でも、こうした現象は、独り骨董にだけにとどまらないようだ。冷静に、客観的に、時空を超えて、鳥瞰的に見てみると、あらゆるところに生じているように思えてならない。
卑近な例をとると、当協会の今年の総会でさえ変わってきている。根津理事長に代わって銀座「和光」の会長であられる服部禮次郎常任理事が議長を務められたが、氏のお人柄もあってか、会議ではかつてない活発な意見交換が交わされたり、日本陶磁協会賞の授賞式で同氏の小泉首相ばりのパフォーマンスも飛び出すなど、「森内閣から小泉内閣に変った以上の大改革」の総会であった。また、当協会は、広報活動の一環として、今年度中にホームページを開設するとのことである。
世の中変ってきている。確実に変ってきている。骨董でさえ変ってきているのだ。骨董の仲間である古伊万里だって変ってきているにちがいない。そうであれば、古伊万里を愛する私だって変わらなければ見捨てられるのが落ちだ。そうでなくとも、最近、泥酔して、銹釉色絵唐草文小皿(五枚組)と銹釉六角形小皿(五枚組)の口縁に傷をつけてしまったばかりで、古伊万里から愛想尽かしをされているところなのである。今にも三行半を渡されそうな状況下にある。ここは一番奮起し、古伊万里に好かれるようなどでかいことをしでかして古伊万里の御機嫌をうかがい、なんとしても三行半だけは避けねばなるまい。
そこで、私も当協会にあやかってホームページを開設し、古伊万里の美を全世界に発信してあげようかというような、とんでもないことを考えついたのである。そうすれば古伊万里も私の非を許し、三行半だけは出さないでくれるのではないかと思ったからである。そこで、さっそくパソコンを購入し、ホームページ作成用のソフトであるホームページ・ビルダーとやらや大量のマニュアル本を買い込み、猛勉強を始めたしだい。とはいえ、現在のところ、ワードとかエクセルのほんの初歩まではいったが、まだインターネットへの接続さえしていない。
いつになったらホームページを開設し、古伊万里の美を、ささやかながらも全世界に発信できるようになるのかの保証はないが、気持だけはそのつもりでいる。だから古伊万里さん、お願い、どうか三行半だけは出さないで!!
注記:上記の「陶説」584号に載った文章は、平成13年11月号に載ったものですが、私が、悪戦苦闘をしてホームページを開設しましたのは、その一月ほど前の平成13年10月8日です。
なお、伊万里銹釉色絵唐草文小皿につきましては、当時のホームページには次のようにも紹介しています。
伊万里銹釉色絵唐草文小皿
以前は、古九谷吸坂手といわれていたものである。数も少なく、珍しくもあり、したがって高価であった。前々から、欲しい欲しいと思ってはいたが、安月給とりにとっては高嶺の花、とてもとても手の届く代物ではなかったのである。
しかし、事実は小説より奇なり、骨董は魔物、この世の中、どんなことが起こるかわからない。
最近、ひょんなことから、この小皿が、私のような安月給とりのところに、5枚揃いで、しかも無傷で舞い込んだのだ。嬉しさのあまり、手近に置き、毎日、すぐにながめられるようにしておいたが、それが結果的に不幸を招き、そのことが原因で、老骨にむち打ってホームページを開くことになったことは・・・・・に記したとおりである。
この小皿の高台は小さく、いわゆる三分の一。また、胎土も鉄分が多く黒っぽい。いかにも「古作」を感じさせる。それに対して、柴コレⅥの311図の方の高台は大きく、胎土も白い。
以前は、高台が小さいほど古いなどと言われていた。また、胎土だって、鉄分が多くて黒っぽいもののほうが、精製がまだ発達していなかった段階のものだろう等との理由をつけて、白いものよりも古いとされたかもしれない。
そうだとすると、以前なら、我が家のものの方が古くて、柴コレのものの方は、我が家のもののコピーであるなどと言われたかもしれない。
しかし、学問の発達は、そんな感覚的な鑑定方法を吹き飛ばしてしまった。今では、我が家のものも柴コレのものも同じ頃の作ということになるのだろう。ただ、作られた窯は別だと。
でも、私からみると、学問の発達などなかったほうがよかったなーなどと思う。
また、伊万里銹釉六角形小皿につきましても、当時のホームページに次のように紹介しています。
伊万里銹釉六角形小皿
古九谷吸坂手! 憧れの吸坂手!! どんなに欲しかったことか!!! だが、なぜかタイミングが合わず、これまでに入手できなかったものである。 なかなか市場に登場しないし、また、たまたま出ても、高すぎて手が出ないとか、お金に余裕がないとかで、なぜか入手できないでいたものである。
それが、やっと入手できたのである!時に平成12年!!コレクションを始めておよそ30年の歳月が経っていた!!!
そうはいっても、これは古九谷吸坂手とは名ばかりのもので、かろうじて古九谷吸坂手といえる代物であろう。古九谷吸坂手としてはこれ以下のものはありませんよ、いわば、「この下なし」の古九谷吸坂手ですよといわんばかりである。
しかし、善意にとれば、「これが古九谷吸坂手の原形である。最もシンプルな古九谷吸坂手である。」と言えないこともない。この原形からさまざまなバリエーションが生まれてきたのではないかと言えないこともないのである。
実物を手にすると、実にシャープで、江戸後期の銹釉とは、とてもとても比べものにはならないということが判る。 さすが「古九谷吸坂手」だ! と言いたくなるのだ。
しかし、その後、不幸な結果を招いてしまったことは、(上記の)「古伊万里三行半」に記したとおりである。
注記:順序が逆になってしまいましたが、私が手に入れたのは、伊万里銹釉六角形小皿のほうは平成12年3月で、伊万里銹釉色絵唐草文小皿のほうは、それから9ケ月後の平成12年の12月でした。その年のうちに相次いで入手したわけです。
以上に記しましたように、伊万里銹釉色絵唐草文小皿も伊万里銹釉六角形小皿も、我が家には、ともに、無疵の5枚組で来たんですが、私が泥酔したお陰で、それぞれに疵をつけてしまいました(><)
それ以後、この器達に申し訳ない気持ちもあり、無残な姿を二度と見たくないと思っていたんですが、今回、懺悔の気持ちも含め、再度紹介しようと思ったわけです。
次に、この器達を、私が負わせた疵を含めて、一枚、一枚紹介いたします(-_-;)
伊万里銹釉色絵唐草文小皿の1枚毎の紹介
写真Aの上段の左の小皿の表面
口縁の9時の方向に小ホツを作ってしまいました(><)
無疵状態で残ったのはこの1枚のみです(-_-;)
写真Aの上段の左の小皿の裏面
写真Aの上段の中の小皿の表面
口縁の1時の方向にカケを作ってしまいました(><)
写真Aの上段の中の小皿の裏面
写真Aの上段の右の小皿の表面
外周部の2時の方向に小さな疵を付けてしまいました(-_-;)
写真Aの上段の右の小皿の裏面
写真Aの下段の左の小皿の表面
口縁の上部にカケを作ってしまいました(><)
写真Aの下段の左の小皿の裏面
左側上部に大きな割れを作ってしまいました(><)
写真Aの下段の左の小皿の裏面の左側上部の大きな割れ部分の拡大写真
写真Aの下段の左の小皿の表面
口縁の1時の方向にカケを作ってしまいました(><)
見込み部分に見える黒っぽい疵を隠したような部分は窯疵です。当時は、本焼きで生じた窯疵を上絵の具で染め、本焼きで生じた窯疵を隠したんですね。この器が古いことの証拠になります。
写真Aの下段の左の小皿の裏面
伊万里銹釉六角形小皿の1枚毎の紹介
写真Bの上段の左の小皿の表面
写真Bの上段の左の小皿の裏面
口縁の5時の方向に見える白い部分は釉薬のかけ忘れ。
無疵で残ったのはこの1枚だけです。
写真Bの上段の中の小皿の表面
口縁の下部に大きな疵を作ってしまいました(><)
写真Bの上段の中の小皿の裏面
写真Bの上段の右の小皿の表面
口縁の下部に大きな疵を作ってしまいました(><)
写真Bの上段の右の小皿の裏面
口縁の下部にカケを作ってしまいました(><)
写真Bの下段の左の小皿の表面
口縁の下部に大きな疵を作ってしまいました(><)
写真Bの下段の左の小皿の裏面
写真Bの下段の右の小皿の表面
口縁の下部に大きな疵を作ってしまいました(><)
写真Bの下段の右の小皿の裏面
口縁の下部に大きな疵を作ってしまいました(><)
私にとっても吹坂手は最後の目標ともいうべき品で、これを買ったら収集も上がり、などと思っているものですから、未だに入手できていません。
伊万里好きにとって究極の玄人好み、それが吸坂手ではないでしょうか。
初めて知りました。
美しい色合いで 現代的な感じを受けます。
このそろいの皿に
疵を付けられたときのkoimariさんの
お気持ちを思うと。。。
この先 しっかり護って上げてください。
こういう類の品を、私は「どうだの○○」と呼んでいます。
特に、少しだけ蛸唐草の方は、デザイン的にも「ニクい吸坂手」。
「どうだ」➕「ニクい」で、「参ったの吸坂手」(^.^)
確かに、「伊万里好きにとって究極の玄人好み」ですね(^-^;
私も、これ等を手に入れて、喜びのあまり、座卓に並べ、毎日、勤めから帰ってくると手に取って眺めていました。外で呑んで帰ってきた時もそうでした。
ところが、或る日、呑み過ぎて帰ってきて、例によって、手に取って眺めようとして、座卓の前に座ろうとしたとたんに体制が崩れ、これ等を疵付けることになってしまったんです。
嬉しさのあまり、毎日、可愛がっていたのが仇になりました(><)
最近、考古学などを活用した研究が進み、有田で焼かれたものであることが分かり、「古伊万里」に分類されるようになったんです。
ですから、一般の方が知らないのは当然ですね(^-^;
特に、石川県の吸坂村で焼かれたとされた「吸坂手古九谷」は、魅力に満ちたものなんですが、残存数も少なく、幻の焼き物とも言われ、陶磁器愛好家にとっては垂涎の的なんです。
そのデザインの現代性など、魅力に満ちていますよね。
それを、可愛さのあまり、疵付けてしまったんですものね(><)
その罪滅ぼしの意味もあって、ホームページを開設したわけです。
ホームページで紹介してあげたり、こうして、ブログにアップして、その存在を(疵物になってはしまいましたが)、世の中に紹介してやれば、少しは罪滅ぼしになるかな~とも思うようにしています。
これからも大切にしてあげようと思います。
いやいや、遅生さんのブログ記事にこそ圧倒されていますよ!!!
遅生さんの守備範囲はオールラウンドで、私の守備範囲は狭く、古伊万里が中心ですものね。
狭い範囲で収集しているんですから、たまには、少し変わった、まともなものをアップしないと、「長いことコレクションしているのに、何だ!」と思われてしまいますものね(-_-;)
吸坂手では、もっともっと欲しいものがあるんですが、気長に待って、いずれは手に入れたいと、手ぐすね引いて待っているんです(笑)
5枚揃いとなるとこれまた貴重です。
残念なことですが漆の色だと比較的に目立たなく補修ができそうですね。
それに、5枚揃いとなると、尚更ですよね。
それを、地震等でならともかく、自分の不注意で疵つけてしまったんですものね、、、(><)
その疵跡をみると、悔悟の念でいっぱいです、、、(><)
でも、幸い、銹釉ですから、漆で補修すれば、それほど目立たなくなりそうですね(^-^;
でも、入手できた嬉しさから毎日掌で玩ぶ・・・なんて、誰でもやっている事ですからコレは責められませんよ。
六角の錆釉の小皿は、傷付いたその白さが痛々しいので、ぜひ直してやってください。
これらの古九谷吸坂手に疵付けてしまったお詫びのためもあって、ホームページを開設したわけです。
ホント、痛恨の失敗でした。酔いもいっぺんに吹き飛びました、、、。
でも、「入手できた嬉しさから毎日掌で玩ぶ・・・なんて、誰でもやっている事ですからコレは責められません」か!
そう言っていただけると嬉しいです(^-^;
六角錆釉の小皿は、生地が白いだけに、傷の痛々しさが目立ちますよね。
傷の白さが目立たないように、なんとか補修を施してやろうと思います。