祐さんの散歩路 Ⅱ

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・ 日本が自滅する日 第2章第1節 経済むしばむ“官企業”―特殊法人と公益法人など

2015-06-12 07:16:06 | 石井紘基


日本は自由経済主義だと思っていましたが、どうもそうではないらしい・・・・・刺殺された石井紘基氏が調べ上げた内容によると社会主義経済のようです。以前に勤務していた会社の経理部長が同じようなことを言っていました。その時もなるほどと思いましたが、石井紘基氏はそれを日本全体の数字を分析した結果としてまとめているため説得力があります。
以下、阿修羅さんのブログより転載します。



第二章 経済むしばむ“官企業”― 法人と公益法人など

第一節 日本は官制経済の国だ

 事業、開発のための法律が三〇〇

 わが国は“官制経済”の国だ。いや、社会主義経済の国といってもいい。金を上から下へと流しこみ、途中で政官権力が掬(すく)い上げる“流しそう麺”式の社会主義的計画経済の性格がきわめて強いのである。

 その第一の根拠は、法的な側面である。今日、わが国には「事業」「開発」「整備」等のための法律が約三〇〇を数えるに至っている。このほとんどは一九六〇年代以降制定されたかまたは改訂されたものである。わが国の全ての法律の数が一六〇〇に満たないことを思うと、いかに政治・行政が経済行為に介入し、実質的に市場を支配しているかがわかる。

 しかも、政令、省令、通達などによる事業展開はさらに膨大な量にのぼるばかりか、それぞれの法令や規則の中に無数の事業が盛り込まれている。今日、省庁が直接指揮をとる経済プロジェクト、経済関係事業の数がどれほどの量になるのかは、ほとんど想像を絶する。個々の事業を紙に書き出しただけでも、一省庁あたりダンボール何箱という単位の話である。

 横浜国立大学の花田頼明名誉教授は、わが国の権力による経済支配の手法について「日本の場合には許可制や免許制を取り、これらを通じて行政が関連企業を自分の世界に抱き込んで、一方では命令や行政指導を通じて規制しながら、他方では抱き込んでいる企業や業界を育成し保護していくというやり方を取っている」と指摘している。彼はこれをアメリカと対比して「アメリカではもともと規制はなく自由放任主義的に競争させることから出発しています」、自由競争の弊害に対しては「独立行政委員会をつくって、そこで審判という方法で行き過ぎを是正し……抑えていくというやり方をとっている」と説明している (『ジュリスト』一九九四年五月一日号)。

 つまり、アメリカでは、まず、市場があって、その上でルールが作られるが、日本では逆だというのだ。



 GDPに占める公的需要は極端に大きい

 わが国を“官制経済” の国とみなす第二の根拠は、経済に占める公的需要の大きさである。

 わが国経済の規模を国内総生産(GDP) で見れば五一〇兆円(平成一二年度名目)だが、このうち、一二一兆円は「政府消費支出」および「公的資本形成」といった、政府による直接の買い物、すなわち「公的需要」 である。これには特殊法人の建設・設備投資以外の支出や公益法人、第三セクターなどの事業に係る支出は含まれていない。このため、GDPに占める公的需要の全体は
もっと大きい
と推定される。

 また、国による歳出は一般会計と特別会計を合わせた純計で約二六〇兆円、地方公共団体の支出は(国とのやりとりを除いた)純計で九〇兆円である。したがって、国と地方を合わせた一般政府の支出は三五〇兆円となる (平成一二年度)。

 GDPは本来、付加価値の規模を示すものと考えられていて、この中には、政府による消費(支出)も含まれている。一般にGDP統計の中では、政府支出も付加価値を生み出すとされている。しかし、経済活動における付加価値は、本質的には市場における資本の運動の中で形成されるものであり、政府自らが資本の運動に参加することはできない。

 むしろ、政府による市場への関わりが強過ぎると(政府の消費=支出が多過ぎると)、政府が配分したお金で作られたものを、そのコストで政府が買うという性格が増し、市場における付加価値創出能力が減退する。つまり、市場経済の本来の機能が失われていく。したがって、わが国でGDP数値に対する政府歳出の割合が異常に高いということは、わが国市場経済の能力を判定するうえで重要なメルクマールとなる。

 わが国の一般政府歳出の中には、年金のように実際の消費(支出)ではなく、お金の移転として計上されているものもあり、そうした部分を除いたとしてもざっと三〇〇兆円規模の政府支出がある。GDP統計においても一二〇兆円超の政府支出がある。GDP統計の中身をお金の流れで捉えれば、政府消費に計上された支出の中には、再び民間最終消費支出の数値に現れて出てくるものもある。

 こうした事情を考慮したとき、いずれにしても、わが国においては、GDPの中に市場の成果といえる部分は微々たるものでしかないことがわかるのである。つまり、わが国は政府のマネーが大きすぎ、市場が著しく縮められ、資本の拡大再生産機能が働かなくなっているのだ。

 ちなみに国家予算とGDPの関係を国際的に対比してみると、フランスの場合、国家予算三一兆円に対してGDPが一六三兆円イギリスは国家予算四五・六兆円に対してGDPが一六四兆円ドイツは連邦政府予算四〇兆円に対してGDPが二四〇兆円(以上、一九九九年)と、いずれも中央政府の予算規模は、GDPの三〇%以内である。付加価値の規模を示すGDPと政府歳出との関係を国際比較してみればGDPに対する政府歳出比率の異常な大きさは浮き彫りになる。

 つまりわが国の経済では、政府に関連したおカネにかかわる部分が異常に大きく、市場経済活動の成果は極めて小さい



 資本主義の仮面を着けた社会主義

 市場経済にとってもう一つ恐ろしいことは、わが国ではGDPに近い額の郵貯・簡保・年金の積立金が政府資金として運用されており、しかも、この内二〇〇兆円を超える巨額の資金が債券や株式など有価証券市場に投入されていることである。

 そもそも資本主義経済の動脈ともいうべき内外の金融市場に対して大量の政府資金を動員することは、自由・自然な生きた市場を撹乱する。血管に血液型の異なる血液を輸血注入するに等しい行為である。否、危険な非加熱製剤の輸血といってもよいであろう。

 政府により金融市場に出される資金のうち、国際金融市場に当てられる資金量はざっと五〇兆円である。内訳は外為特会二八兆円、財政融資資金四〇〇〇億円、郵貯特会四兆六五〇〇億円、簡保特会四兆一五〇〇億円、年金資金運用基金一兆二六〇〇億円、簡保事業団(金額非公開だが、郵貯特会から一五兆円、簡保特会から一〇・五兆円受け入れる預託金の約三分の一と推測)八兆
円、農林中金七兆円(農林中金は現在は特殊法人でないとされているが、法律により特別に設置された官企業)、その他である。

 各国とも一定の外貨準備等により、国際金融市場への調整介入政策をとることはある。しかし、それは国家的な緊急かつ不測の事態への調整手段ないしは外交的必要性によるものである。それにしても自由競争と市場経済を前提としたルールは守られなければならない。最大の金融大国たるアメリカの場合でも、政府の外貨準備高はせいぜい七兆円程度(六六二億ドル)に過ぎない。これを見てもわが国は世界に特異な資本主義の仮面を着けた社会主義国(国家資本主義) であることがわかる。

 こうした政府の巨額の(借金)資金による国際証券市場への進出という財政・金融構造こそ、国内はもとより世界の金融市場を歪め、日本が世界経済の破壊者となる可能性を高めている。今後、郵貯、年金等の自主運用が進めばますます危供される。



 政府系金融はオール民間の一・二五倍の規模

 わが国経済の異常さを、具体的に金融事業についてみてみよう。

 わが国金融事業全体の中で政府系(行政)金融が占める量と割合はどれくらいだろうか。日銀の資金循環統計をはじめとする公表データで集計すると、民間の都銀、地銀、第二地銀、信金、信組、その他の貸金業の融資総額は図表2-1の通り約五二〇兆円である。

 これに対して行政による金融事業の規模は融資残高約六五〇兆円、つまり、民間金融の一・二五倍に達している(図表2-2)。しかも、官は民間金融機関の運営を細かく干渉する。つまり、わが国の民間銀行は、仕事を取り上げられ、規制され、かわりに公的資金という人工呼吸器をあてがわれているのに等しい。

民間金融機関貸出残高


公的金融機関融資残高



 不動産事業の一一%は官企業が独占

「官」 の進出が「民」を衰退させている例として、さらに不動産・住宅事業を挙げよう。「官」 の雄であり、規模においては世界一のディベロッパーである都市基盤整備公団の不動産部門の事業費支出は、一兆二三〇〇億円である (総資産一七兆五六九〇億円)。そしてこの公団の直接の子会社における不動産事業の合計は、一八三〇億円である。さらに、各省庁の傘下にある特殊法人・公益法人、その子会社が土地取得事業などを行っている (平成一二年度)。

 たとえば、(財)民間都市開発推進機構の土地取得事業費は一五〇〇億円、(財) 日本勤労者住宅協会は六四五億円、(特)地域振興整備公団が三二〇億円などだ。また、(特)雇用・能力開発機構の住宅事業は三八二億円、地方住宅供給公社は七一〇〇億円、地方土地公社は一兆一〇〇〇億円、その他運輸施設整備事業団なども相当額の事業展開を行っている。ちなみに、地方土地公社は都道府県と指定都市及び市区町村に一五九四社あり、保有土地は金額ベースで八兆三〇〇〇億円である。「官」 の企業の場合、性格上 「売り」 「買い」 「賃貸」 のいずれかに偏る場合があり、正確な数字の計上は困難であるが、その事業規模は年間およそ三兆五〇〇〇億円と推計される。これに対して民間不動産会社の (売上げ)事業総額は、「財務金融統計月報」
(財務省) によると約三二兆三七〇〇億円である。

 したがって、全不動産事業の約一一%が行政企業によって占められていることになる。

 最近民間が弱っていくなか、派手な土地買収でとくに目立つのは米国の企業と都市基盤整備公団と(財)民都機構だ。一方、住宅建設戸数においてみれば、官企業によるものが民間を庄倒している。すなわち、都市基盤整備公団はこれまで賃貸住宅で七七万戸、分譲住宅で二八万戸を供給した。

 さらに、地方住宅公社がこれまでに供給した賃貸および分譲住宅は七五万三〇〇〇戸にのぼり、同じく雇用促進事業団が一四万五〇〇〇戸で、これに公務員住宅等を加えると、昭和三〇年代以降、官が供給した住宅はざっと、二〇〇万戸に達する。その補修・管理を含む関連事業も、官の系列企業が独占してきたのだから、民間市場への影響は、はかり知れないものがある。


 市場原理が機能しない経済

 それにしても、日本はいつからこのような、市場が機能しない国、政と官が結託して利権をほしいままにして民を圧迫する国になってしまったのだろうか。来生(きすぎ)新・横浜国立大学教授の『産業経済論』(ぎょうせい、平成八年)によりつつ、振り返ってみよう。

 国家と市場、権力と市場の関係について考え抜かれた著書によれば、敗戦からの復興過程では、希少な外貨のコントロール権を行政が握り、それを最終的な担保として強権的な政治主導型の経済運営が行われた。国内的にも、重要な物資については官僚主導の計画経済が行われた。

 高度成長経済も基本的には政官主導による重工業主体の産業政策が追求されたが、この時代までの政策は今日の直接介入とは異なっていた。権力といえども、産業との協力の下に、あくまで産業そのものの発展を目指す「誘導」「育成」がキーワードだった。

 したがって、この過程では政官主導とはいえ、経団連や商工会議所の財界リーダーたちが日本丸の船頭となっていた。他方では中小企業が活力を発揮した。だからこそ「経済は一流」といわれ、市場経済体制が花開くかに見えたのだ。

 戦後経済でもっとも重大な転換期は、その後の一九七〇年代であった。この時期以降の日本経済について来生氏は「市場を支える勢力が完全に経済運営の主導権を獲得しつつある時代」とみているが、それは誤りだと私は考えている。市場から後退し、自立的な企業同士の民主的かつ公正な競争による自由経済体制を築くべき政治・行政権力が、むしろ力を増したのだ。

 この時期、政官権力は正面から民に対抗するのではなく、新たな協調を求めたようにも見える。しかし、実際は、そうしたポーズをとりながらも、一方で行政指導、経営規制を拡大し、他方で自ら行政企業(官企業) の大群を率いて市場に侵入していった。それだけでなく権力は、自ら法令にょり産業ごとの開発プロジェクトを打ち出し、大規模な事業経営を展開した。

 こうして、市場は、「政官の行政経済」に侵蝕され、自主性と主体的活力を殺(そ)がれ、権力に対して完全に敗北した。政治家と官僚が結託した支配は、一九八〇年代後半以降、どんどん強められていった。そして、ついに、日本経済は市場原理が機能しないものとなったのである。

 資本主義経済で「必然」とされた寡占化、過当競争、失業、恐慌などを克服するものとして、二〇世紀にケインズ経済学が登場した。不況が深刻な恐慌に至らないよう、政府や中央銀行が時宜を得た景気対策や金融政策などを発動し、それによって資本主義経済は息を吹き返した。

 政府の経済政策は独占の制限、労働・雇用対策、税政策などにもおよび、それとともに中央銀行による金融政策の重要性も高まった。日本の公共事業政策が効果を発揮した時期もあった。

 主要国首脳会議(G8)や主要七カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)など、政府の経済政策を国際的に調整するシステムも確立されていった。

 しかし、こうした政府による経済政策や国際的相互作用も、それが有数であり、意義あるものであるためには、その国の経済が自由競争を原理としたものであり、資本主義経済の本質を維持していることが前提条件となる。かりに、その国が金融においても産業においても、自由競争の要因が薄い国になったとしたら、あるいは、経済活動に拡大再生産の資質が失われた国だったとしたら、あらゆる経済対策は景気や雇用問題を解決する力を持たない。一九九〇年代の日本経済が陥ったのは、まさにこうした病弊なのである。政府は公共事業などで、「史上最大規模」の“景気対策”を重ねる。日銀は金融機関に対して「借りてくれ」と懇願するようなウルトラ金融緩和政策をとる。しかし、財政、金融の両面でいくら力んでも、景気はよくならない。その理由は、経済そのものの存立基盤が失われているからなのだ。

 このように、わが国を非効率な社会主義経済にしてしまった機構面での大きな要因は、特殊法人や公益法人を中心とする“行政企業群”、略して“官企業”である。以下、節を改め、特殊法人とはどんな性格のものであるか、主要な特殊法人は、どんな活動をしているか、そして、公益法人とはどんなものか、をみてゆくことにしよう。

第二章 第一節 ここまで