畑仕事に精を出しました

2011-12-25 09:01:45 | 趣味・野良仕事


12月議会も22日で終わりブドウ畑をトラクターで耕しました。来年のために以前肥料を散布し稲わらを細かく裁断して撒いておいたのですが、肝心の耕運(こううん)が後回しになっていました。そうこうしているうちに議会も始まりそのままになっていたのですが、やっと時間がとれるようになりました。

やはりこの時期の耕運は地面が凍結し始めていて、時にはエンジンをふかさないとトラクターの刃がたちません。2時間半ほどかかって終えることができました。年明けからは剪定の作業が始まります。冬でも農家はお休みというわけにはゆきません。

そうしたら今朝起きたら一面の銀世界でした。今年初めての本格的な積雪。それでも数センチですから道路の雪は昼までには融けるでしょうが、畑の雪は残るでしょう。昨日耕運しておいて良かったと思いました。

家のまわりの片付けや大掃除など新年を迎える準備はこれからです。今日は年賀状を書かなければなりません。皆様のお宅はいかがでしょうか。

続東御清翔高校の思い出

2011-12-24 05:29:07 | 雑感
東御清翔高校について市民の方からメールをいただきました。お一人おひとり東御清翔高校に対する熱い思いがあるのだなとあらためて感じました。以下に掲載させていただきます。

私の思い出に、建学の経緯と、市議のご尊父の思い出を、綴って書いていただき、改めて歴史を感じました。(SYさん)

学校は、なだらかな坂の上にあるのがいい。とものの本で読んだことがある。毎日、登校時、向学心、とかやる気とか、何かをたたき込むのでしょう。「飲み水」「向学心」「人材育成」先人たちの思いを知るにつけ、郷土の先人たちに、改めて、敬意を表したいと思います。(遊子)

いろんなことで学校に行けなくなった子どもたちは、沢山います。その受け皿が必要です。東信では、東御清翔高校がその役割を担いました。まだまだ、地域で受け入れられていませんが、温かく育てていって、地域密着の学校になっていただくよう応援したいとおもいます。(今を生きる旅人さん)

東御清翔高校のグランドに「全員野球」の看板のあるのをごぞんじですか。かつて、プロ野球選手も出した野球部です。私はまだあきらめていません。大空高く飛び立つ日まで応援しています。(旅人さん)

私の住んでいる滋野地区には滋野小学校があります。小学校の裏に八幡神社があり、その下から湧き水が滾滾と湧いています。そこから鉄管で学校までひいてきて飲み水に使っていました。暑い夏は冷たく冬は暖かくとても美味しい水でした。小学校の入り口には「原泉混々」という石碑があります。八幡様の湧き水のごとく育っていってほしいと言う先人の教えだと思っています。



昔は滋野小学校は別のところにあったそうです。地域の人々は新しい学校をつくるにあたって地域の中で一番いい場所を選んだそうです。飲み水に不自由することはありません。いつも八幡様が子供たちを見守っていてくれます。滋野村役場にも程近いところです。大切な田んぼをいくつもつぶして広いグラウンドをつくりました。子供たちにいちばんいい環境を用意してあげたいという行政の思いがあったのでしょう。

そこには滋野中学校もありました。いま滋野保育園になっているところです。毎年秋には小中合同の運動会があり、村をあげての一大行事でした。そこで兄や弟、家族で一緒に食べるお稲荷さんと海苔巻きが何よりのご馳走でした。むろん母親が作ってくれたものです。

そんな地域の人々の思いがギュと詰まったところに、いくら必要だからといって校舎を取り壊して道路にするなどとは私なら考えられないことです。

市民説明会にご参加ください

2011-12-23 05:15:24 | 議会活動
12月6日から始まった第4回定例会は22日に終了し17日間の幕を閉じました。今回の定例会の一番のテーマは舞台が丘整備事業でした。一般質問でも13名中6名の議員さんが発言し、その中で様々なことがわかってきました。総括質疑でも市庁舎本館の増額契約が問題となりました。とりわけ確認申請許可を受ける前に契約を行ったため、許可を出す条件として補強工事が必要となり増額となったものです。これについても多くの議員さんが問題にしていました。

この問題について市当局は来年2月初めから各地区ごとに市民説明会を予定しています。お近くの会場にぜひお出かけいただき、お話をお聞きいただければと思います。

 ●舞台が丘市民説明会が開かれます。ご参加ください。

  ・2月1日(水)田中地区(中央公民館)
  ・2月2日(木)滋野地区(滋野コミュニティセンター)
  ・2月6日(月)祢津地区(祢津コミュニティセンター)
  ・2月7日(火)和地区(和コミュニティセンター)
  ・2月8日(水)北御牧地区(北御牧総合支所)


  *いずれも午後6時半からです

公民館報が発行されました

2011-12-23 03:47:46 | 雑感
暮れも押し迫って公民館報で天皇皇后両陛下の中屋敷訪問が特集されました。8月24日に両陛下は中屋敷のブドウ園を訪問され、住民の皆さんの熱烈な歓迎を受けました。特集記事ではこの訪問につながったエピソードを掲載していました。

2年前の8月末、滋野地区の絵画教室のメンバーが軽井沢にスケッチに行かれた時のこと。スケッチされているところへ両陛下が散歩で通りかかり「皆さんはどこから来たのですか」と気さくにお声をかけていただいたそうです。「東御市です」と答えると、「そこはどこですか」と再度聞かれ、「もと東部町と言いました」と言うと、「昔皇太子時代に行ったことがあります」とおっしゃられたそうです。

「その当時の方はどうなされていますか」と聞かれ、「多くの方は亡くなりました。またぜひおいでください」と親しくお話をされたそうです。それが2年後、こんなかたちでの来訪につながりました。

その時の絵画教室の先生は中屋敷の方でした。今年の7月ごろ宮内庁から長野県庁を経由して東御市に問い合わせがあったそうです。東御市の絵画グループを探しているとのことだったそうです。市でも探してもわからず困っていたところ、たまたまそれを耳にした絵画教室のメンバーの知り合いの方から話がつながったそうです。それからトントン拍子に話が進み今回の訪問になったとのことでした。

それにしても両陛下と絵画教室の皆さんとの偶然の出会いがあり、「おいでください」という絵画教室の皆さんのお誘いをきちんと受け止めていただいたこと、48年も前の皇太子時代の訪問を覚えていたことなど、一般庶民とのなにげない触れ合いが、東御市をあげての歓迎行事につながったことは驚くべきことでした。

今回の訪問の中で両陛下のやさしさやあたたかさ、国民を大切に思いやる気持ちを感じ取ることができました。東日本大震災でも何度か被災地に足を運ばれ、被災された皆さんと親しくお話をされている様子をテレビなどで見ていましたが、あらためて両陛下の国民へのやさしい眼差しを感じました。

そういえば今日は天皇誕生日です。お元気でと願っています。


両陛下はとても気さくにお話をされていました。


天皇陛下は48年前、皇太子時代にも中屋敷のブドウ団地を視察していただきました。上はその時の写真、下は今回の訪問の写真です。

収穫祭にご招待されました

2011-12-23 02:17:05 | 雑感
12月22日は滋野小学校5年生の収穫祭でした。子どもたちからご招待状をいただき出席しました。滋野小学校では教育の一環として農業体験を行っています。それぞれの学年ごとに巨峰やそばや豆を作っています。その中で5年生は学校のそばに田んぼを借りて1年を通して稲作を体験しています。

私たちはボランティアでそのお手伝いに参加しています。春の田植え、秋の案山子作り、稲刈り、脱穀と季節ごとの作業をみんなで行います。私は今年はお田植えに参加しただけで都合がつかず稲刈りや脱穀には参加できませんでした。

農家の子どもさんも多いと思いますが機械化が進んでいるため、田植えや稲刈りの経験はほとんどありません。はだしで田んぼに入ったとか鎌を使うのは初めてという子がほとんどでした。とても良い経験だと思います。

当日は子供たちが料理をこしらえ会場を準備し、収穫祭を運営しました。ボランティア一人ひとりに対し感謝の作文を読んでくれました。その後一緒に食事をしました。どのお料理もとても良く出来ていて美味しかったです。滋野小学校の5年生の皆さん、ありがとうございました。


昨年の稲刈りの様子です。みんな一生懸命仕事をしていました。


私たちボランティアもそろって子供たちと一緒に収穫祭の始まりです。


子供達がたくさんの料理をつくってくれました。


とてもステキな感謝状をいただきました。

議会だより13号をアップしました

2011-12-21 14:01:56 | 議会だより
議会だより第13号をアップしました。下記をクリックしてください。PDFファイルがダウンロードできます。どうぞご覧ください。

● 議会だより13号

「議会だより」第13号の内容は下記の通りです。
舞台が丘整備事業について特集しています。

第1面 笑顔あふれる年に!
    評価-3年目の通知表
第2面 一般質問 
    舞台が丘整備事業・第2期工事始動へ!
    市民の納得と合意が必要です
第3面 第4回定例会 
    補正予算1億6000万円を全会一致で可決
    舞台が丘事業、大幅に計画変更
    議員日誌(10月~12月)
第4面 写真で見る議員活動(10月~12月)
    編集後記-わかりやすい「市議会だより」を目指しています

東御清翔高校の思い出

2011-12-21 06:54:59 | 雑感
市民の方から東御清翔高校の思い出が綴られたファックスが送られてきましたので掲載いたします。

旧東部高校周辺は、子供たちの絶好の遊び場であった。正門にいたる坂道の下に、自転車店があった他は、両側は段々の田んぼ、やがて左に実習果樹園、正門の両側にポプラの木。入って右は野球部の部室。木造校舎、ひょうたん池、牛小屋。水のみ場で水を飲み、裏道に出て、石段を登るとグラウンドに、野球部の元気な声が響いていた。土手ファンの中に入り練習を見て帰路に着く。今もはっきり覚えている、私のふるさとの風景である。

あれから、だいぶ変わったが、求女川(もとめがわ)の土手の桜と、正門付近の松、山浦先生の胸像などに、かろうじて当時のおもかげが残っている。今回これを壊そうとする計画があるが、ここで生まれ育ったものには考えられない計画である。(後略)(Yさん)


東御清翔高校は千曲川の河岸段丘の上にあります。高校は田中駅から10分ほどで国道18号線にも近く交通の利便性の良いところにあります。校門からは田中の町並みが一望でき地域の優秀な人材を育てる場所としては最適のところです。

初代校長の山浦政(やまうら・まさ)先生が旧東部高校(東御清翔高校)をこの地に建設された事情を地域の歴史に造詣の深い方から聞いたことがあります。まず近くに飲み水に最適な湧き水があったこと、田中の街から坂道を上って登校するという環境を大切にしてこられたとのことでした。

道路を建設するために、地域の人材を輩出してきた旧東部高校の校舎と体育館を取り壊すという計画は、生徒たちに徳育教育を実践された山浦政先生の教育の理想を否定するようで誠に残念です。

高校があたかも町の発展にとって邪魔な施設であるかのような印象を受けます。そんなことは感傷に過ぎないという考え方もあるかもしれません。しかし私の父は教師として長くここで教鞭をとり、学校の農場で子供たちと同じ釜の飯を食べ開墾にいそしんできました。そんな父が存命ならさぞかし悲しがるのではないかと思います。

この道路、県東深井(あがた・ひがしふかい)線は300メートルで15億円かかるそうです。15億円という金額はなかなかイメージできませんが、1メートルにすれば500万円ということになりますね。

ご意見をお寄せください

2011-12-20 05:21:25 | 議会活動
舞台が丘整備事業についてご意見をお寄せいただきたいとお伝えしましたところ、4名の市民の皆さんから書き込みをしていただきました。貴重なご意見ありがとうございます。以下に掲載させていただきます。

● 1、着工してから増えていくのは、リホーム詐欺のようだ。2、庁舎は耐震補強、消防署は18号とインター線の交わる常田辺りに移転。跡地に図書館を新設すれば、12億でできた。3、防災拠点を作る、といっているが、現在の高校の校舎、体育館、グランドはそのまま避難所として活用できる。なぜ壊さなければいけないのか納得のいく説明がほしい。(Aさん)

● 確認申請前の契約をチェックできなかったのは議会の責任でもあると思います。(Bさん)

● 3割返せばいい、とか有利な起債とか言っていますが、国の借金がふえることになりませんか。今は震災復興がいちばん。なにが「がんばろう日本!」ですか。なにが「絆」ですか。講義室がないと,人づくりできないのですか?(Cさん)

● 市長の「人づくり」、聞いて呆れます。反対する者に声を強めて押さえつけるやり方が人づくりでしょうか。ちょうどラジオで聞いた議会では賛成派の議員さんでしょうか,「この(震災後の)状況で億単位の国からの資金は認められない。今(合併特例債で)できる限りの事をするべき」と。とても悲しくなりました。増えた25億は被災地に回してもらって,住宅や学校の再建をしてもらうべきではないのか?そんな想像もできない東御市なのでしょうか?(Dさん)

舞台が丘整備事業は半世紀に一度の大事業です。皆様はどのような施設が好ましいとお考えでしょうか。せっかくつくるのだからより良いものをという気持ちもわかります。一方東日本大震災があり市民生活もきびしい時だからこそ、ガマンできるものはガマンし身の丈にあった改修にすべきという意見も理解できます。

今回は批判的なご意見が多かったのですが賛成のご意見もお待ちしております。多くの市民の皆様の貴重なご意見をお寄せいただきたいと思います。できる範囲でご紹介させていただきます。

孫がやってきました

2011-12-18 05:03:25 | 雑感


このところ議会関連のこむずかしい話が多く少々食傷気味です。そんな中、娘が二人の孫を連れてやってきました。お兄ちゃんが風をひき病院に行くというので下の孫を預りました。早速寒い中妻とお散歩にでかけましたが、やはり寒さが身にこたえるのかまもなく戻って来ました。

孫の好物はヨーグルトです。冷蔵庫にあるのを知っているので催促し、帽子も脱がずに早速パクつきました。とても上手にスプーンを使って真剣に食べています。とても表情が良かったのでパチリ。来るたびに成長がわかります。

娘は病院から戻り昼前に帰って行きました。やはり孫は来てよし、帰ってよしですね。上の孫は病院から戻っておばあちゃんと遊ぶことを楽しみにしていたので不満顔でした。

娘にとっても近くに実家があると言うことは何かにつけて便利なようです。子どもが小さいときは病気にもかかります。そんな時近くに助けてくれるところがあるということはとてもいいことですね。

私も若い頃転勤で埼玉県の熊谷で数年暮らしたことがあります。3人目の子が生まれた冬、私以外の家族全員が病気にかかり寝込んだことがありました。結局実家から私の母が元気だった上の娘を連れに来て、妻は長男と生後9ヶ月の赤ん坊と一緒に3人で入院しました。

幸い年末までには退院できたのですが結局帰省できず、お正月は上の娘は信州でおじいちゃんとおばあちゃんと過ごし、私たちは熊谷で過ごすことになりました。家族が一緒でなかったお正月はこの時だけでした。5年熊谷で暮らしたのですが、土地の名刹である熊谷寺(ゆうこくじ)の除夜の鐘を聞いたのは初めてでした。

最近共稼ぎのお宅も多くなっているようです。近くに実家がない方はどうしているのでしょうか。ファミリーサポート制度もあるようですが実態はどうなっているのでしょうか。調べてみる必要がありそうです。

総括質疑がありました

2011-12-17 05:26:11 | 議会活動
16日は総括質疑が行われました。総括質疑とは上程された議案の中で常任委員会に付託されない議案を審議する場です。一般会計や特別会計、事業会計などの補正予算を全員一致で採択した後、「東御市庁舎等増改築工事変更契約」を審議しました。

「東御市庁舎等増改築工事変更契約」とは本庁舎(図書館と合築)の増改築工事費を当初の16億300万円から17億2000万円に、1億1700万円増額するというものです。変更は耐震改修工事や既存躯体改修工事、撤去解体工事など17ヶ所にも及ぶものです。

6名の議員が質問に立ち様々な点から変更契約に対する疑問点を問いかけていました。変更金額があまりにも大きいこと(当初契約額の7%)、仕様変更などは最初から分かっていたのではないかということ、確認申請の許可を得る前に契約した(契約-5月9日、確認申請許可-9月20日)ことへの疑問などが取り上げられていました。

私も質疑に立ち、第1に確認申請を経ずして入札・契約を行ったこと、第2に、議会が契約承認するにあたりこうした重要な事実が知らされていなかったこと、第3に結果的に議会軽視になったことを取り上げました。市長からは反省し今後このようなことのないように努めるとの言葉がありました。

問題がありますがだからといって変更契約を認めないわけには行きません。反対という意見もありましたが私は賛成の立場で討論に立ち、第1に、すでに工事が発注されていること、第2に、確認申請で求められた耐震基準を満たすための必要欠くべからざる工事であること、第3に、確認申請をとることなく入札を急いだ背景には考慮すべき事情があったことを述べました。

すなわち3・11の東日本大震災による被災地復興のために建築資材の調達に支障をきたすのではないかという恐れがあったこと、既存建物を活用するためには解体工事と増築工事を一体のものとして実施するほうがコストダウンできること、合併特例債の期限が迫っており今後の工事スケジュールを考えれば何としても春までには入札を終え工事に着手しなければならないという事情があったことです。

すでに市当局も今回の事態に立ち至ったことに対して、反省の意思表示がなされていることを考慮し変更契約はやむを得ないと判断しました。その結果、賛成多数で変更契約は承認されました。

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