ハプニングのない旅はつまらない。
で、いつもやらかす。
今回は、マジネパールの軍隊に連行された。
警官ではない、軍隊にだ。
それは、瞑想センターからの帰り道に起こった。
瞑想仲間のドイツ人のおばちゃんと
(Himalayan Buddist Meditation Center にて)
いつものように、いろいろ撮影しながらホテルへの約30分の道のりを歩いていた。
交差点に差し掛かり、警察官の交通整理の模様をビデオ撮影して(この間4~5分)、
横断歩道を渡っていると、後ろからExcuse meと呼びかけられた。
物売りか何かだろうと無視したが、
しつこく呼び止められる。
振り向くと迷彩服にヘルメットをかぶった、見るらにいかついアーミーだった。
とっさにボクは撮影のことだと感じた。
「あなたは今ビデオをとっていましたね」
ボクは正直にYesと答えた。
Something wrong?
というとPlease follow meと言ってはす向かいの詰め所に連れていかれた。
ボクは素直に従った。
後ろからついていく途中、ボクはカメラのスマートメディアを抜き取ってポケットに忍ばせた。
没収されたら元も子もない。
詰所には数人の軍隊が仁王立ちしてボクを取り囲んだ。
「ここは撮影してはいけない重要な場所なのだ」
「Oh, I din't know about that」
「いくつか質問があります。時間は大丈夫ですか」
意外と丁寧だ。
どこから来たか、何のために来たか。
そしてパスポートの提示を求められた。
「パスポートはホテルに置いている。今ここには持っていない」
「滞在先は?」
ボクはホテルの名刺を差し出して見せた。
「ここに来ればパスポートはある。来ますか?」
それから、名前、日本の住所、年齢などなど根掘り葉掘り聞かれた。
Kajiという意味が、ネパール語ではBig peaple communityだと聞いていたので
そう説明すると彼は思わずにんまりした。
年齢を言うと、驚いて、若く見えるといった。
いくつに見えるかと逆に質問した。
40くらい、と彼は笑いながら答えた。
みんなそういうよというとまた笑った。
「ネパールは何のために来たのか?」
「瞑想しに来た」
日本住所をいうとき
KUMAMOTOは今や世界的に有名である。
特にここネパールにおいては、1年前に同じ規模の地震を経験しているので。
同じ被災者(victim)というと、まるで同じ釜の飯を食った同胞のように共感してくれる。
「被災者はみんな心の痛手を負っている。
それは、あなたたちもわかるはずだ。」
彼は深く相槌を打つ。
「ボクはそれを瞑想で癒したいと思っている。
そのために、ネパールに瞑想修行に来た。
ネパールの瞑想は素晴らしい。
今も、瞑想センターからの帰りだ。
ほら向こうにあるだろう、瞑想センターが、知ってるか?」
彼は首を横に振った。
「PTSDには瞑想がとても効果的なんだ。
何なら教えようか」
彼は苦笑した。
「なぜ、ここで撮影したのか」
おいでなすった。
「ここの交差点に感動したimpressiveからだ」
「Impressive?」
「そう、警察官の交通整理が素晴らしい。
みんなよく規則を守っている。
交通事故も起きない
こんな素晴らしい国は見たことがない」
ちょっとオーバーだが、褒めちぎった。
「そんなに素晴らしいのか}
「素晴らしいなんてもんじゃない。
だからこの光景をつい撮影したくなった」
「見せてみろ」
ここが問題の交差点(左にアーミーが見ている姿がある)
きたきた。
ボクはカメラを見せた。
「何も映ってないぞ」
「そんな馬鹿な」
わざとらしくのぞき込む。
「オーマイガッ!なぜ映ってないのか!?」
他人事のように驚く。
「あー、しまった!ソフトを入れわすれたのだ」
「じゃあ、何も撮ってなかったのか」
「そういうことになる、しまった!残念だ!」
ここはオーバーアクション。
「我々は何も撮ってないあなたを拘束したことになる」
彼は苦笑しながら申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「いやいや、それは構わないよ。こちらも知らなかったのだから。
じゃあ、もう行っていいかな?」
一件落着したかのように見えた。
ところが、
「いや、もう少し待ってくれ。
今USAの係が来る」
「アメリカ?アメリカ軍がここにいるのか?」
「あー、いる。今そこからの指示を待っている」
そうか、ここでも中国の侵略に備えて米軍が駐留しているのか。
そうでなくて、アメリカ大使館だったのだ。(星条旗が見えない)
それで合点がいった。
彼らは、アメリカ大使館の警備担当だった。
面倒くさいなーと思いながらも、指示を待っている間雑談する。
「ネパールは好きか」
「あー、いい国だ。特にネパールの瞑想は優れている」
「ネパール人はどうだ」
「みんな親切だよ」
たわいもな会話の中にも緊張感が漂う。
隙を見せてはいけない。
しばらくすると、無線が入った。
「もういい、帰っていいよ」
「アメリカ大使館員は来ないのか」
「あー、来ないそうだ。時間を取らせたな」
「いやいやこちらこそ」
最後は握手をして別れた。
いやー、身体検査でもされたらどうしようと、内心ハラハラドキドキものだった。
その場合は、日本の大使館を呼び出そうと考えていた。
そこまでいかなくてよかった。
パスポートナンバーも聞かれないままだった。
ここががもしも中国大使館だったらと思うと、血の気が引いた。
フーッと、安堵の息を気づかれないように吐き出しながら足早に立ち去った。
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【追記】
ネパールでは10年前(2006年)まで、
11年間にわたりネパール政府軍とネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の間で内戦が繰り広げられていた。
チベット問題と絡めて、
中国の侵略も続いている。
ここにUS armyの制服組がいてもおかしくはない。
ところで、
先ほどUS armyの高官(General)からfbの友達申請があった。
これは偶然なのか。
背筋がぞくっとして鳥肌が立った。
帰りは中国経由。
成都と北京。
国内線に乗るので、一旦中国に入国しなければならない。
そして北京で一泊。
果たして無事帰国できるだろうか。
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で、いつもやらかす。
今回は、マジネパールの軍隊に連行された。
警官ではない、軍隊にだ。
それは、瞑想センターからの帰り道に起こった。
瞑想仲間のドイツ人のおばちゃんと
(Himalayan Buddist Meditation Center にて)
いつものように、いろいろ撮影しながらホテルへの約30分の道のりを歩いていた。
交差点に差し掛かり、警察官の交通整理の模様をビデオ撮影して(この間4~5分)、
横断歩道を渡っていると、後ろからExcuse meと呼びかけられた。
物売りか何かだろうと無視したが、
しつこく呼び止められる。
振り向くと迷彩服にヘルメットをかぶった、見るらにいかついアーミーだった。
とっさにボクは撮影のことだと感じた。
「あなたは今ビデオをとっていましたね」
ボクは正直にYesと答えた。
Something wrong?
というとPlease follow meと言ってはす向かいの詰め所に連れていかれた。
ボクは素直に従った。
後ろからついていく途中、ボクはカメラのスマートメディアを抜き取ってポケットに忍ばせた。
没収されたら元も子もない。
詰所には数人の軍隊が仁王立ちしてボクを取り囲んだ。
「ここは撮影してはいけない重要な場所なのだ」
「Oh, I din't know about that」
「いくつか質問があります。時間は大丈夫ですか」
意外と丁寧だ。
どこから来たか、何のために来たか。
そしてパスポートの提示を求められた。
「パスポートはホテルに置いている。今ここには持っていない」
「滞在先は?」
ボクはホテルの名刺を差し出して見せた。
「ここに来ればパスポートはある。来ますか?」
それから、名前、日本の住所、年齢などなど根掘り葉掘り聞かれた。
Kajiという意味が、ネパール語ではBig peaple communityだと聞いていたので
そう説明すると彼は思わずにんまりした。
年齢を言うと、驚いて、若く見えるといった。
いくつに見えるかと逆に質問した。
40くらい、と彼は笑いながら答えた。
みんなそういうよというとまた笑った。
「ネパールは何のために来たのか?」
「瞑想しに来た」
日本住所をいうとき
KUMAMOTOは今や世界的に有名である。
特にここネパールにおいては、1年前に同じ規模の地震を経験しているので。
同じ被災者(victim)というと、まるで同じ釜の飯を食った同胞のように共感してくれる。
「被災者はみんな心の痛手を負っている。
それは、あなたたちもわかるはずだ。」
彼は深く相槌を打つ。
「ボクはそれを瞑想で癒したいと思っている。
そのために、ネパールに瞑想修行に来た。
ネパールの瞑想は素晴らしい。
今も、瞑想センターからの帰りだ。
ほら向こうにあるだろう、瞑想センターが、知ってるか?」
彼は首を横に振った。
「PTSDには瞑想がとても効果的なんだ。
何なら教えようか」
彼は苦笑した。
「なぜ、ここで撮影したのか」
おいでなすった。
「ここの交差点に感動したimpressiveからだ」
「Impressive?」
「そう、警察官の交通整理が素晴らしい。
みんなよく規則を守っている。
交通事故も起きない
こんな素晴らしい国は見たことがない」
ちょっとオーバーだが、褒めちぎった。
「そんなに素晴らしいのか}
「素晴らしいなんてもんじゃない。
だからこの光景をつい撮影したくなった」
「見せてみろ」
ここが問題の交差点(左にアーミーが見ている姿がある)
きたきた。
ボクはカメラを見せた。
「何も映ってないぞ」
「そんな馬鹿な」
わざとらしくのぞき込む。
「オーマイガッ!なぜ映ってないのか!?」
他人事のように驚く。
「あー、しまった!ソフトを入れわすれたのだ」
「じゃあ、何も撮ってなかったのか」
「そういうことになる、しまった!残念だ!」
ここはオーバーアクション。
「我々は何も撮ってないあなたを拘束したことになる」
彼は苦笑しながら申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「いやいや、それは構わないよ。こちらも知らなかったのだから。
じゃあ、もう行っていいかな?」
一件落着したかのように見えた。
ところが、
「いや、もう少し待ってくれ。
今USAの係が来る」
「アメリカ?アメリカ軍がここにいるのか?」
「あー、いる。今そこからの指示を待っている」
そうか、ここでも中国の侵略に備えて米軍が駐留しているのか。
そうでなくて、アメリカ大使館だったのだ。(星条旗が見えない)
それで合点がいった。
彼らは、アメリカ大使館の警備担当だった。
面倒くさいなーと思いながらも、指示を待っている間雑談する。
「ネパールは好きか」
「あー、いい国だ。特にネパールの瞑想は優れている」
「ネパール人はどうだ」
「みんな親切だよ」
たわいもな会話の中にも緊張感が漂う。
隙を見せてはいけない。
しばらくすると、無線が入った。
「もういい、帰っていいよ」
「アメリカ大使館員は来ないのか」
「あー、来ないそうだ。時間を取らせたな」
「いやいやこちらこそ」
最後は握手をして別れた。
いやー、身体検査でもされたらどうしようと、内心ハラハラドキドキものだった。
その場合は、日本の大使館を呼び出そうと考えていた。
そこまでいかなくてよかった。
パスポートナンバーも聞かれないままだった。
ここががもしも中国大使館だったらと思うと、血の気が引いた。
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ネパールでは10年前(2006年)まで、
11年間にわたりネパール政府軍とネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の間で内戦が繰り広げられていた。
チベット問題と絡めて、
中国の侵略も続いている。
ここにUS armyの制服組がいてもおかしくはない。
ところで、
先ほどUS armyの高官(General)からfbの友達申請があった。
これは偶然なのか。
背筋がぞくっとして鳥肌が立った。
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