世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

店づくり

2016年08月23日 | 100の力
自分だけの小さな宇宙空間。

そんな感じでコツコツと店づくりに勤しむ日々。

なんといっても自分で作くる楽しみは尽きない。



もともと小さい時から建築家になりたかった。

小学校のころ、

マッチ棒で家の模型を作った。

確か、夏休みの工作の宿題だったかな。

それが、優秀賞に選ばれて展示されたのがきっかけだったと思う。

(だから、子供は褒めて育てなさいね)


そのころから、自分の理想の家を建てるのが夢になった。

日本家屋だけでなく、海外の建物にも強く興味を持った。

子供のころ受けた影響は(良いも悪いも)計り知れない。

それが人生を決めるといっても決して過言ではないだろう。

(結局、「建築 < 海外」 の比重が大きくなり外国語大学へ)


たまたま始めたペンションの最初の建物が校倉造だったことから、

興味の矛先は勢いログハウスへと移っていった。

後に(久住高原時代)ログビルダーとして(もちろん、ナンチャッテだけど)、

ログビルディングスクールを開校したくらいだから。

(昔から厚かましかったなー(-_-;))


(注) 校倉造りとは、

三角、四角、あるいは丸太の断面の木材を水平に積み重ね、

角の部分でかみ合うように交差させて壁体を構成する工法。

奈良の正倉院が日本最古の校倉造になっている。



家(建物)は、すべてのパーツがそれぞれ芸術品である(そう思っている)。

ドア、窓、屋根、床、お風呂、トイレ、キッチン、居間、寝室などなど。


そして、世界中にそれはある。

興味は尽きない。


     ネイティブアメリカンのものが多い


     ピッケルにつけたアルプスのエンブレム(エイセイ世界一周ミュージアムより)

世界を旅し、世界中の建物を見て歩くことも旅の醍醐味だ。


そうして建てた家が、ここだ。



もともとホテルとして設計して建てた。

自分の持てる知識と技術と感性をフルに活用して。

外観は、ヨーロッパ調(おもにドイツ)、

中はログハウス(カナディアン)、

そして寝室はアーリーアメリカンといった具合に

メンテや使い勝手も考慮して組み合わせた

遊び心満載の完全なオリジナルだ。


今ここを、瞑想カフェとして改装中である。

もちろん、手作りで。


インテリア、エクステリアへの関心も半端ない。

やることには事欠かない。

楽しみはゆっくり時間をかけてやるものだ。

さて、今夜はここでじっくり飲むとするか。

彼女が出ていきました

2016年08月22日 | 100の力
彼女が出ていった。


       イメージ

置いてた着替え、化粧品、ペアのコーヒーカップ、

そして二人で育てていた花など、

車に積んで出ていってしまった。

思い出のすべてを引き連れて。


それはあまりにも突然の出来事だった。

そう、

別れは唐突にやってくる。


これまでも喧嘩をするたびに何度も別れようと思った。

理由はいつも些細なことだった。

実際に別れかけたこともあった。

それでも何とか繋いでこれた。

それはひとえに彼女の忍耐の賜物だった。


だが今回は、もうこれまでかと腹をくくった。


出会ってまだわずか10か月。

短い期間だが、この間地震を含めいろいろな出来事、事件が起きた。

人生をギュッと凝縮したような、

あまりに濃い時間が足早に過ぎ去っっていった。


彼女の姿が消えて、茫然自失。

涙さえ出てこない。

外の森では追い打ちをかけるようにフクロウがホー、ホーと寂しげにないている。

あまりの静寂に耐え適て、音楽をかけた。


いつの間にかすれ違い始めた。

もっともっと話したいことあったけど

涙に変わりそうで言葉にできなかった。

好きになってよかった~♪♬


聞き覚えのある歌詞が流れている。

じわ~っと目頭が熱くなる。


と、その時、


目の前の窓が

スーッと開いた。


ワ~!

息が止まるほど驚いた。


窓の向こうに彼女が立っていた。



ボクが鬱にならない7つの理由(ワケ)

2016年08月21日 | 100の力
        天国への階段?さてこの上には(阿蘇瞑想の森)

ぼくがウツにならない理由(ワケ)


① 手を抜く

いつでもどこでも常に100%の力を出し切ることはできない。

集中するところと手を抜くところとメリハリをつけること。

ただし、手は抜いても、気は抜かない。


② 息抜き

スポーツなど身体を動かす。

遊び心を持つ。

気分転換すること。

それには旅に出るのが一番。

外出するだけでもいい。

外の空気を吸う。

日光に当たる。

できれば自然の中に身を置く。


③ テキトー、イー加減を心得る。

完全を目指さない、求めない。

6~7割でちょうどいい。

不真面目になることを恐れない。



④ 気にしない

人の言うこと、人の目を気にしない

鈍感なくらいがちょうどいい。

変わり者、ダメな奴と思われていた方が、気が楽。

良く見られよう、嫌われないにしよう、期待に応えようとするから、疲れる。

自分以上に自分を見せようするから、疲れる。

やりたいことをやる。


⑤ 食事

何でも気にせず食べる。

好き嫌いしない。

コーヒー、ビールが日課。


⑥ 睡眠

横になったら何も考えない。

もしも考えるなら楽しいことにする。

遅寝遅起きで、睡眠時間7時間をキープ。


⑦ 瞑想すること。


    上り詰めた先に祠(ほこら)がある(阿蘇瞑想の森)


要は、身体も心も無理せず労わること。

そうすれば持続可能な心身を生涯維持することができる。


仕事も人間関係もスムーズにいき、病気知らずの人間になることができる。

学校なんか行かなくていい

2016年08月20日 | 100の力
『地球が教室、旅が授業』 by Asay

(「地球はわが家の教室 - 子育て400日間世界一周」 くもん出版 かじえいせい著より)


「アイデアと移動距離は比例する」

あるいは、

「移動距離と真実を見る目は比例する」とも言われる。


ところが、

バーチャルの世界だけで、すべて分かった気になる「情報デブ」がどんどん増えているのが日本の現状だ。

景色、街並、空気、気候、人、言葉、音、色、そして匂いなど様々なものによって五感が刺激され、

この五感が極限に敏感になった状態こそがアイデアを生み出す「クリエイティビティの源泉」になる。


「情報デブ」は

自分で経験できないことは、メディアを信じてしまう傾向があり、

地震や台風、水害といった自然災害、

あるいは、戦争やテロといったいざ本当の危機が訪れた時に身動きが取れなくなってしまう。


知りたいことのおおよそ半分は、ネットや本で調べればわかるだろう。

が、どこにも載っていない「もう半分」を知るためには、自分で考え出すか、経験するしかない。


現場を体感していれば、

テレビなどで最新の情報など追わなくても、自分の感覚で世界情勢を理解することで、

自分の立ち位置をしっかりと見極めら、どう行動していいのかという判断力も自然と身についてくる。

日本を離れ、自らの五感を通じて世界を感じ

勇気を持って反対意見や周りに合わせない発言ができるようになる。


2016年はもう戦後ではなく、「戦争前夜」かもしれない。

「君たちに戦争の責任はない。でもそれを繰り返さない責任はある」ことを忘れてはいけない。


成熟社会になり、景気が低迷し、イノベーションが息詰まり、閉塞感が漂うと、

「国とは何か?」、「自分は一体何者なのか?」、「これからどのように生きていけばいいのか」などといったことを

考えるようになってくる。


日本のことを知る、自分が何者なのかを知るためには、

とにかく一度身体ごと日本を離れる必要がある。


「西洋文明を救いうる唯一の道は瞑想である」とも言われる。


夏休みももう後わずか。

さあ、親子で学ぶ旅へ出かけよう。


     夏休みの宿題に精を出す(「阿蘇・瞑想の森」にて)


㊟ 一部、夏目氏の記事から抜粋、加筆しました。

【追記】



かじえいせい著 「地球はわが家の教室 子育て400日間世界一周」くもん出版

アマゾンにて発売中






満月の夜

2016年08月19日 | 100の力
静寂の森。

音もなく雨が降り出した。

満月だったが月は見えない。

森のどこかでフクロウがないている。


内観するにはもってこいの夜だ。


一夜明け、爽やかな朝が待っていた。


変えられないものを受け入れる心の静けさと

変えられるものを変える勇気と

その両方を見分ける英知がここにはある。


家庭菜園もやがて収穫の時を迎えようとしている。



まるですべての人生の楽しみがここに集結しているかのようだ。


ボクが実践している

人生を楽しむたった4つの方法。


一、やりたいことをやる

  やりたくないことをやらない勇気を持つ。


二、楽しむ

  何事も楽しむこと。


三、笑う

  どんなことがあっても笑うこと


四、感謝する

  すべてのことに感謝すること  



ボクは負けない I love ASO.

2016年08月18日 | 熊本地震
あの忌まわしい地震から4か月が過ぎた。

今尚1700人強の人が避難所で暮らしている。

9月半ば、あと一か月でその避難所のすべてが閉鎖されるという。

行き場を失った人はどうするのか。


未だブルーシートのかかる家は多い。

傾いたままの家、

台風が来たらどうなるのだろうか、不安は尽きない。


ボクが今いる阿蘇・西原村は4月16日の本震で震度7を記録し、

益城町と並ぶもっとも甚大な被害を蒙ったところだ。


そこで敢えて事業を再開することにした。

傷ついた心を癒す場所「阿蘇瞑想の森」として。


むしろ逃げ出す(転居する)人が多いこの地域だからこそ、

敢えて震源地であるここで踏ん張って残りの人生を賭けてみようと思った。


幸い、ボクの所有する建物は5棟(同敷地内)とも残った。

ここも梅雨が明けるまでは、土砂災害の危険性があるということで

雨の度に避難勧告や、指示が発令されていた。


だが、少なくともボクの住むこの敷地は大丈夫という根拠のない確信があった。

17年前にこの土地600坪と、築120年の古民家を手に入れる時、

周りの地形も自分なりに調べた。


ボク自身、過去、水害や台風の大きな被害を体験している。

当然、土砂崩れの危険性がないかも判断した上での購入であった。

巨木が10数本生えている森の中にあり、

竹林でもあり地盤がしっかりしているし、

今回の地震で亀裂のできた山裾からは30メートルほど離れている。

もちろん100%大丈夫とは言えないが、

仮に山崩れが起きてもここまで土砂は及ばないだろう。

(万が一のため、地下シェルターもある)


敷地の両脇には隣接して祠(ほこら)と鳥居が存在する。


     祠の向うに「瞑想カフェ」がある(左奥)のが見える

まるでこの家を守って下さっているかのようだ。

かってな解釈であるが、心強さを感じずにはいられない。

なにか神秘的な霊感さえ覚える。


     自然信仰の賜物

ここは守られし地なのだと。


    反対側(左端)には鳥居が(この土地の守り神)


そうした確証なき自信が湧いてくるのは、

ボクの感性と閃きがそう思わせているのかもしれない。


幸い、ここまで来る道路は地震直後こそ通行止めになったが、

すぐに復旧した。

そして現在、南阿蘇村に通じるう回路(大動脈)となっている。

潤す湧水も枯れることなく滾々とその流れを保って

美味しいコーヒーを提供してくれる。

何と幸せなことだろう。

ありがたい、感謝の気持ちでいっぱいだ。


ただ、震度7の震源地にほど近く、

西原村自体が壊滅的被害を蒙ったことから、

未だ敬遠する人が多いことも事実である。

そうした風評被害も伴って、訪れる人はまだまばらだ。


しかし、1年後、あるいは3年、5年後、

ここは救われた地として、多くの人々の癒しの地となり、

心の傷の湯治場的存在となり得ると確信している。

ボクの感性と閃きがそう言っている。


つまり、時代を先取りするとはそういうことなのである。

先駆者たるもの、3年の辛抱は当たり前のことなのだ。

(失敗する事業は、大概1年以内に辞めてる。

諦めが早すぎるのだ)


これまで手掛けてきた事業も、

すぐに花開くことはなかったが、

1年から3年後には決まってヒットを見せてきた。


しかもテーマは、

ペンション、観光牧場、ログハウス、古民家と時代と共に移り変わりを見せてきた。

そして今回は、「癒し」がテーマである。

その底流には「泊まる」「留まる」というキーワードが隠されている。


じっくり腰を落ち着け、会話や非日常の体験を通じて

自然と人が一体となったコミュニティが形成される。


そこには人が本当に心休まる空間が出現する。

ここはまさに心癒される恵まれし地なのである。

感謝。

ゲストハウス オープン!!

2016年08月17日 | 100の力
ついに「阿蘇瞑想の森」にゲストハウス「LOVE TRIP」がオープンした。



2室あるうちの一つだが、

もともと築120年になる納屋(牛小屋)を改装して

約18年前にコンドミニアム・ホテルとしてリフォームしたものだ。


    広々としたロフトのベッドルーム(10人は泊まれる)

3年ぶりの復活となる。


同敷地内のカントリー・ログハウスが「瞑想カフェ」であり、

別棟でゲストハウスとして再デビューを果たした。




素泊まりだがキッチンも充実しているので自炊もできる。



屋内のBBQルームもあるので雨や冬でも平気。


      家族風呂も室内にある


料金システムは次の通り。

(素泊まり、一泊、税別)

一人 3000円

二人目 2000円

三人目からは 1000円

子供(小・中学生) 800円

幼児 無料(大人一人に対しひとりまで)


長期滞在も可。(料金要相談)

無料駐車場有

Free Wi-Fi完備


熊本県阿蘇郡西原村出の口1547-1
ドゥリーミンカントリー・インAso内


震災前の地図です