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『신의 한 수: 귀수편(神の一手:クィス編)』~クォン・サンウはこのように使ってこそ本来の味、‘神の一手2’監督賢い用兵術

2019-11-13 14:31:31 | 2018 신의 한 수: 귀수편(神の一手:クィス編)/鬼手 




なかなか詳しく書かれてる記事👍



 クォン・サンウはこのように使ってこそ本来の味、‘神の一手2’監督賢い用兵術

Entermedia  2019-11-13 13:12


‘神の一手-クィス編’武侠でシリーズの世界観を生かす





△この映画賛△.

(本文のうち映画内容の漏洩があります。 映画を観覧する方は参考お願いします。)

映画<神の一手-クィス編>は予想外におもしろい。

ところで不合理にも没頭にする力がある。

映画は非常になじんで円形的な叙事を取りながらも完成度を失わない。

また、ドラマとアクション、そして緩いコメディが調和を作り出す。

用兵術も適切だった。

クォン・サンウの長所である腹筋とアクションを生かして、彼の短所であるせりふを大幅減らしたのが功を奏した。

主人公が言葉がなくてその空白をキム・ヒウォンが埋めなければならなかったが、いつもそのようにキム・ヒウォンの‘悪役であるように悪役でない、そっと可愛い’感じが映画全体の雰囲気をよく調整していった。

だが、映画<神の一手-クィス編>の真の妙手は別々にある。






◆ジャンルは‘武侠’、ここは強豪の世界

<神の一手-クィス編>は2014年に封切りした<神の一手-生死便>で派生した続編だ。

全編は賭け囲碁を素材にした犯罪アクション物でもっともらしい面白味と出来ばえを見せたが、致命的な問題を抱いていた。

それは映画の世界観がとても理解が出来ないということだった。

囲碁は賭博ではないので、ウンより実力が重要だ。

トリックを使ったすべてしても実力を隠した上手が代わりに碁を打つという程度なのに、どうして賭け囲碁が賭博と同じ文法に流れるのかいぶかしかった。


何より囲碁の上手になる程頭も良くて、戦いが上手な程からだも良くて、大きい掛け金をかける程お金も多くの人々がなぜヒトリガのように生きて死ぬのか分からないことだった。

すなわち囲碁で生死をかけた賭博を行って、結局体の小競合いをして死んで殺す世界をどのように受け入れなければならないのか分からなかった。

だが、続編はそういう問題点を根本的に解消する。

映画は露骨な武侠の叙事を取ることによって,この世界が現実世界の論理と関係がない独自の‘強豪’の世界であることを明確にする。






そうだ。

<神の一手-クィス編>のジャンルは犯罪アクション物でない、‘武侠’だ。

主人公が家族の怨みを晴らすために道を飛び交って師匠に会って、奇異な修練秘法を通じて人間の限界を跳び越える境地に到達する。

以後全国を回って‘道場破ること’に出て、大型の強豪の上手と合計を競うことを何度も。

その間どうだったことは死んで、どうだったことは彼に命をもの乞いした後誰何になったりもしたので...

いよいよ私たちの主人公は一生の元帥(敵)に会って最後の対決を繰り広げることになるけれど...

ロ続く叙事はもちろんで、ついに怨みを晴らして‘安息’を探して飄々と退場する彼に誰か‘クィス’という名前を付けて彼の名前が伝説に広く知られたというエピローグまで完ぺきに武侠の流れだ。


<神の一手-クィス編>は武侠なので、人物はリアリティーや世俗の欲望とは何の関係がない。

これらは全部強豪の文法により動く。

これらが碁を打って相手の運命に対する占卦で相手をげん惑して、勝敗により損耗枝を切るといっても‘なぜ’あるいは‘どのように’を考える必要がない。

世俗の人物でない強豪の人物であるためだ。

これらが何故鉄道の上で碁を打って命をベッティングしてもとても漫画的だと非難する必要がない。

どうせ武侠の世界で行う対決とか可能性より精神の豪放さが重要でないだろうか。

主人公が初めからお金に無関心なのもそのためであり、最後の元帥(敵)との先日を控えて数多くの彼の誰何らと合計を競わなければならなかったオーバーらしい設定も武侠のジャンルを思い出させるならば顔なじみである手順だ。






全編と緩い連結の輪を持つのも賢い設定だ。

<神の一手-生死便>の主人公テソク(チョン・ウソン)が監房に行った時隣室の誰かと碁を打ったが一度も勝つことができなかったが、彼と見えない碁を打った自家クィスだ。

釈放後テソクは盲人上手神様(アン・ソンギ)を訪ねて行って鬼手に対する話を聞く。

以後テソクの囲碁世界がはるかに深くなるが、神様は“この世が上手には遊び場です下手には生き地獄”という(のは)話を聞こえてくれた。

この話(言葉)は続編で師匠ホイルド(キム・ソンギュン)がクィスにした話で再び登場する。

すなわちホイルドの言葉がクィスを経て神様を経てテソクに行ったことなのに、こういう緩い連結によってクィスはテソクに‘伝説’で機能したわけだ。

要するに現実世界に属したまま色々な矛盾を内包したテソクに伝説のような存在である鬼手の話を戦死で解きほぐすのは現実の強迫から抜け出して円形的な叙事を構築することが許される。

賭け囲碁に命をかける人々の‘強豪’を書いてみせて、内的完結性だけ構築すれば良いことだ。

これが成功すればこれを戦死として全編の世界も具体性の後光を得ることになる。

すなわち‘そのような世界がある’で信じるようにする神妙なバックグラウンドを得ることになるわけだ






◆ジャンルが‘武侠’であっても容赦ならないこと

映画<神の一手-クィス編>の最も大きい短所は臭くて陥ったジェンダー意識だ。

映画には4名の女性が登場する。

鬼手の姉、ファン9段の娘、ホン マダム、釜山(プサン)ジャプチョの‘カルチ’.

姉は犠牲物だ。

ところで真の典型的だ。

弟のために労働をしてセクハラにあう。

セクハラにあった後にも彼は弟のために食卓を整えると突然死を選ぶ。

彼は一瞬も自身のために生きなくて、セクハラの被害に対して十分にかんだり自ら回復する塩辛いことも得られない。

ただ献身的であり潔癖的な存在に描かれるが、これは男性が願う理想的な女性と被害者のイメージに符合する。

姉はただ弟の将来のために生きて、弟の覚醒のために死ななければならない。






一方クィスは姉のセクハラを目撃した瞬間これを阻止するために何の行動をできなかったし、その後には加害者に謝罪でない対決を要請したし、敗北後には劣敗感に包まれて姉を冷遇したまま寝返りを打っていて、姉の死体を置いてそのまま復讐に旅立つ。

彼は一瞬も姉の立場で姉を助けようと行動しないで、唯一自身の鬱憤と傷に没入したまま勝負に執着する。


彼の復讐は果たして誰のための復讐だったのだろうか。

ムタンは“なぜ姉放っておいてそのまま行ったか?”と口ずさむ。

これはクィスの罪悪感を食い込む言葉で、クィスやはり自身の復讐が姉の怨恨を解くためでなく、姉を侵奪されて“記載が全くない”として侮辱された自尊心を回復するためであったのをぼんやり分かる。

だが、彼が姉のボタンで復讐を完成した瞬間、姉の歓迎が現れる。

自身が姉の怨恨を返したと信じたいクィスの精神勝利だ。






ファン9段の娘は人質だ。

クィスがファン9段の娘を拉致することによって、ファン9段と命をかけた勝負を展開することになる。

クィスはファン9段と対決して‘私が姉を侵奪されたように私は君の娘を侵奪する’という構図を作る。

ここでクィスとファン9段が対決の主体で、姉と娘は彼らの付属物になる。

すなわちクィスが姉に対して抱いた考えは至純なように見られるが、実状は賭け賭博に‘カルチ’をかけるという釜山(プサン)ジャプチョの浅はかな思考とそんなに遠くない。

その上に映画で自分自身で存在した女性キャラクターはホンマダム(ユセン)が唯一だ。

彼女は賭け囲碁場所を運営して囲碁実力も相当する。

彼女は最も人間のように見える男トン先生(キム・ヒウォン)の求婚を受けるが、これを承諾するためにホンマダムは2の手ををたたんで囲碁を負けなければならない。

ホンマダムは興味深いキャラクターだが、映画は彼に分量を許諾しない。

特別出演でキャスティングして画面の不足したエストロゲンを満たす用途で活用するだけだ。





<神の一手-クィス編>が運用の墓をよく生かして、武侠のジャンルを積極的に借用してシリーズの世界観を確かにさせた成功的な続編にもかかわらず、女性キャラクターを活用する方式は凄惨なこと言うにおよばない。

明らかに何の問題意識なしでとったとおりとっただろう。

だが変化した観客の目の高さに合わせるには犯罪物でも武侠でも、女性に対する省察と認識が必要だ。

一手を折ってやったまま、“負けてあげたくても絶えなきゃ”と言ってるホンマダムの嘆きのように、ある目をとじたまま見たくてもこれはまったくとても臭くて耐えることはできない。

まあまあでないという話だ。


記事元







この映画での女性の登場の仕方は あちこちで色々批判も読んだけど・・


この方も書かれてるね・・・




でも記事タイトルにもあるけど 俳優サンウがすごく生かされた作品・・と言うのは嬉しいね






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4 コメント

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サンウチェゴ!!! (yoko)
2019-11-13 15:46:17
この記事アップうれしいです
いろいろな事がわかってきました^^
特にラストシーン、「ついに怨みを晴らして‘安息’を探して飄々と退場する彼.....」
とても印象的なシーンでした
それまで辛い表情の多かったクィスが少し和らいだ表情のクィスに~
サンウの演技に拍手👏のシーンでした

記事紹介ありがとうございます❤
返信する
チェゴー^^ (chami)
2019-11-13 17:12:20
yokoさん~クォンにちは^^

この記事、分かりやすくて私も気に入りましたー
お姉さんとの事・・置き去りにして。。
クィスにはそんな思いもあったんですね。。

ラストは印象的なシーンなんですね^^
トン先生を見送るクィスかな?
続きを思わせる・・・とどこかに書いてありましたが・・
ひょっとして3も?^^

復讐だけに生きてきたクィス。。。
色んな思いがあったんですね・・

いえいえ~早く日本公開が決まらないかな~
楽しみです~~
返信する
分かりやすいですね^^。 (koromuku)
2019-11-13 20:18:36
 chamiさんこんばんは

 記事ありがとうございます。
 とっても分かりやすいですね。
 さすがサンウ、ちょっした口の動きや目の動きで感情表現してました

 クィスの言葉数が少ない分、一言一言が、重みのある言葉なんでしょうね~~

 を読ませて頂いて、また改めてサンウの感情表現のすごさを感じました

 クィス役はサンウしかいないですね
 早く日本で公開してほしいです

 映像ニュースも観て来ました
 和訳されてて
  何を話しているのか分かるって良いですね
  ありがとうございました
返信する
はい~^^ (chami)
2019-11-13 22:36:16
koromukuさん~クォンばんは^^

この記事分かりやすいですねー
色んな角度から観てくださってて色々納得^^

繊細な演技は得意なサンウ~
きっとクィスでもそうなんですね

セリフ少ない分 表情演技が重要・・・
でもサンウだから~

後半の一部 某サイトで観ましたが・・・
ほんとに胸が熱くなるシーンも。。。
お姉さんへの思いが この記事読んで分かった気がしました

日本公開~~~早く決まるといいな・・
もちろん二度しましょうかも

ボックスオフィス。。
新しい映画も出てきて押され気味ですが
どうか300万行って欲しいですね
週末の舞台挨拶まで繋げてファイティン
返信する

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