Dream of Sangwoo

♫드림오브상우♫ クォン・サンウ 권상우-ssiに癒されて‥💕Kwon Sang Woo Fighting!!

「風流で韓流を夢見る」

2014-09-28 13:46:25 | 권상우 クォン・サンウ







一つの心。。。。



分かる気がする・・・・




風流で韓流を夢見る


風流精神は今日韓流と連結されて世界が共に味と粋、興味を楽しむ文化コードになっている。


大衆文化だけでなく先端技術、文化芸術、生活、学術および授賞まで合わせている韓流、高い次元の韓流に新たに出るために風流が進む道に対して話す。



風流は韓国人の著しい情緒の中の一つだ。


風流はあなたの物、私の物を問い詰めないで、渾然一体になって人情を感じるところで出てくる。


地上にある物は固定されてそれぞれ区別されるが、空で吹く風は固定されていないで一つで通じる。


風流を風という意の風と流れを意味する流で使う理由がここにある。



風流という字が現在残っている文献に見えるのはチェ・チウォンの鸞郎碑序から出ることが初めてだ。


その内容は次のとおりだ。




国に玄妙な道歌あると‘風流’という。


その教えの内容は船会社(善事、プレゼント)に詳しく記録されている。


風流はユー・火・では三教を含むこととして、すべての生命体に接して感化させることだ。


家に入ってきて両親に親孝行して外に出て行って国に忠誠をつくすのはノ・ナラ司寇である孔子の意と同じことで、何気なくことを処理して無言の教えを行うのは周国柱史である労資(老子)の意と同じことであり、悪漢仕事はせずに善良なことは敬って行うのは天竺国の太子であった釈迦の教化のようなことだ。


国有玄妙之道曰風流設教之源備詳仙史実乃包含三教接化群生且如入則孝於家出則忠於国魯司寇之旨也処無為之事行不言之教周柱史之宗也諸悪莫作諸善奉行竺乾太子之化也(『三国史記』 「新羅本紀」真興王條)



風流は空死傷(史上、思想)に基づく。


韓国人の情緒を圧縮して表現したこと中に檀君神話がある。


檀君神話は韓国人の精神的故郷を空で説明する。


空心は一つの心だ。


韓国人はまだ一つの心という話を多く使う。


一つの心で生きる人は空心で生きる人で、空心で生きる人は空だ。


人乃天死傷(史上、思想)の核心がまさにこれだ。



空が空心を持って地上の全てのものを包容するように、韓国人は一つの心を持って地上のすべての教えを包容して一つで融和させる。


それが風流だ。


風流は空心から出ることであるから高尚だ。


風流は地上を超越しているので超越的だ。

風流は地上)の全てのものを包容するので包容的だ。




韓流は近ごろしばしば上がっては下りる新しい造語で、韓国文化の世界化を意味する。


風流が超越的で包容と融合の徳性を備えているので結局韓流と相通じる概念になる。



根本的に韓流は粋の概念だ。


粋という(のは)意味は国文学科芸術分野でそれぞれ違う立場と意があって確かに何だと話すことは難しいが、単純な粋でなく人を得してする粋、超越的な自由と呼吸を合わせて成し遂げる調和の粋がすぐに韓流が追求する指向するところといえる。



風流と韓流を貫く恨の概念



風流精神と韓流のアイデンティティを話すには恨の概念から理解しなければならない。


風流と韓流は韓国人の恨の情緒とかみ合っている。


一般的に韓銀過ぎたことが悔しかったりうらめしかったりくやしく考えられて凝りが負けた心を意味する。


だが、私たちの韓銀しこりができたのを解くための報復や報復でない。


パク・キョンニ先生は“恨の情緒は希望で、その希望を実現しようと思う努力だ。


しかし日帝強制占領期間の影響で私たちの漢方医元気で未来指向的なエネルギーが退歩的で否定的なことで歪曲されてしまった”と話した。




そのような意で一という(のは)希望を実現させること、一を実現させる時新しい風が吹くことだと話せてそれがすぐに神明だ。


国文学者キム列キュは“調子は生まれがあまりにも身命と双子だ。


‘興がわく’の身命は天地神明から始まった言葉だ。


すべての天地と自然の神霊をトントゥロソシンミョンという。


調子も身命も本来神の役割だ。


それらの根本は新機運だ。


人間が新機運を乗ったのが調子だ。


調子や身命もそれぞれ違うところなしで、人を恍惚の境地の境地(耕地)に浸るようにする”とした。



韓国人は興がわく時一つの心になって風流客になる。


これは韓国人の習性・芸術・文学などであまねく現れる。


サムルノリや農楽を演奏して見物して共同体的な無我の境地に陥って入ったり、結ばれたい人を思い出させて‘およそ五百年’を呼んだりもする。


ユーモアと愛憎が入れられたパンソリを熱唱したりもする。


こういうものが一を表現する方式で、これが凝縮されて爆発したのが韓流である。



韓国人の情緒、伝統文化が溶け込んだ韓流



韓国人は永らく一つの心を取りまとめてきた人々なのでまだ暖かい心が残っていてまだ風流が残っている。


しかし近代以来世の中は力強い人々が羽を伸ばす世の中になってしまった。


帝国主義の結果で力強い者が弱い者を侵略して略奪することが正当化された。



しかし歴史は一直線で流れない。


四季が循環をするように、歴史も循環をする。


寒い冬が過ぎれば春がくるように、からだを取りまとめる力の時代が過ぎれば心を取りまとめる時代を迎える。


今がそうした時だ。


日帝強制占領期間と自虐的な植民史観を通じて黙殺された韓国人の文化がもう花を咲かせる時になった。


韓国人の暖かい心が引き立って見えて韓国人の風流が素晴らしく感じられる時になったのだ。




世界的な流行である韓流は私たちの風流に対する世界の人の反応といえる。


海外韓流ファンたちは韓流で‘情熱’、‘活力’、‘多様性’、‘個性’等を感じるという(SBS-TV ‘アジアで吹く韓国大衆文化の熱風(2001.7.21)’).


このようなことは風流での身命と相通じることだ。


韓国に来た留学生に韓流の原動力が何か尋ねた時最も多い返事は‘躍動的であり創意的な技法’であったし、‘踊りと歌を楽しむ生活態度’がその次を繋いだ。


すなわち韓流文化のブームは韓流の主導者が創意的で、踊りと歌を通じて風流を楽しむ気質を持っているということだ(ユ・サンチョル・アン・ヘリ『韓流DNAの秘密』、考えの木63ページ).


もちろんこの風流気質はいくつかの芸能人から強く現れるだろうが韓国人の普遍的な気質としても間違わないだろう(クォン・サンウ‘韓流のアイデンティティと風流精神’ 『同棲哲学研究』、第42号).



韓国のドラマには暖かい心が溶けていて、韓国人の歌にも暖かい心が溶けている。


神がかりになったように動く韓国人の踊りには心が溶けている。


韓流文化がブームを起こすということは単純な事件でない。 歴史の大転換が始まったとのことを暗示する。



しかし注意しなければならないことがある。


韓流文化が持続するという保障はない。


韓流を経済概念にだけ受け入れてはいけなくて、文化的な異質感が感じられないように平等な交流の次元で私たちの風流精神の価値を伝播しなければならないだろう。


そうでないならば風流も徐々に消えて行くことで、韓流を通じて世界文化を主導する機会がきたのにそれを生かすことができないだろう。



風流精神をよく入れるようにあらゆる分野で方案を探すことが私たちが一番最初にしなければならないことだ。


これからまた初めて戻って私たちが失うところだった風流精神、すなわち一つの心回復のための努力に力を注がなければならない。


一つの心を再び回復しさえすれば韓国人の風流は再び生き返って、韓国の韓流文化はますます光を放つだろう。


過去にまばゆいばかりに光った灯が再びつくだろう。


韓国の灯が再びつけばもうアジアの明るい光になることに終わらない。


世界を明らかにする灯になるだろう.



文イギドン(成均館(ソンギュングァン)大学校留学東洋学部教授)







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