ちょっと長いけど 興味深かったので訳してみました。。。
サンウのところは赤字にしてあります
お時間あれば読んでみてね^^
naverよりお借りしました<(_ _)>
ホン・チャンヒョン写真展<知っている人>
2018.10.4(木)- 10.28(日)、ロッテ百貨店蚕室(チャムシル)店アベニュー・エル アートホール6F
◆展示紹介
'知っている人'ホン・チャンヒョン写真展
世の中の中心で後ろを向いた写真家、ホン・チャンヒョン
ロッテ百貨店、蚕室(チャムシル)アベニュー・エル アートホールでは創立39周年記念展示で10月4日から10月28日まで韓国代表ファッション フォトグラファーホン・チャンヒョンの'分かる人'展示が進行される。
ホン・チャンヒョンの知っている人、後ろ姿だけ見ても誰でも知っている人、人気セレブ(俳優、モデル、歌手など)を入れた写真39点をリリースする。
作家の初めての個人展だ。
その間ファッションフォトグラファーで活動して全世界でラブコールが相次ぐ作家に成長した。
作家の手を経てマガジンの表紙で装飾された写真カットは数百枚であり国内外ファッション ブランドの画報および広告は彼の手を通さないブランドを探すのがさらに難しいほどだ。
そのようなベテラン ホン・チャンヒョンも撮影はいつも負担になって大変だと話す。
被写体(モデル)を対する時とうてい向き合うのが難しい瞬間彼は話す。
振り返って求めて。 後ろを向いたモデルは分からない不安感と緊張の瞬間だが作家には最高のカットを入れることができる刹那だと…が後ろ姿プロジェクトは10年近く進めてきていてその間入れた人物だけでも200人余りを越える。
そのうちの一部を今回の個人戦を通じて初めて公開しようと思う。
作家の息が詰まった時間が最高のカットでリリースする席になるだろう。
このプロジェクトは作家がファッション フォトグラファーで活動を継続する限り継続される進行形作業で最高の瞬間が積もって行くだろう。
写真は大衆と広く疎通できる最高の媒体だ。
作家と被写体との教頭を入れた今回の写真展を通じて大衆と疎通しようと思う。
しばしば‘私あの人分かって!’という時分かるという基準は何か?
一度見た人も知っている人といったりその基準は曖昧だ。
ホン・チャンヒョンが知っている人、ホン・チャンヒョンを知っている人皆を招こうと思う。
世の中の中心で後ろを向いた写真家、ホン・チャンヒョン
<後ろ姿>外にも後ろ姿がある。
観覧客の後頭部を、彼らの背後に立った写真家を、見ることになるだろう。
あきれた額縁式構成の風景を描いてみる。
写真家は想像してみたかも分らない。
バスに乗れば一番後ろの席に座る人、などが刺すような視線をよく耐えることができないホン・チャンヒョンならば。
人生で答えを探さなければならない年齢になったような四十台に、ホンジャンヒョンが初めて個展を開くことにする。
その間泰山を作って押し倒した作業が頻繁だったし開始を探すのに難しかったというやや低めである告白は、“これが完成本だと話すことは難しいが、完成するところだということができる”という態度は、良くて継続するファッション写真を‘人生の終わり’まで押し進めるという意志で読んでほしいという注文だ。
商業と専業の間で‘作家’という境界を悩んできた写真家、命をやっと引き続き生きていくという‘延命’という単語をインタビュー合間合間羅針盤のように置いて話をつないだホン・チャンヒョンの目を記憶する。
いつも前を見せて‘顔’を広げた存在を後戻りをしようとたてる瞬間にらんらんなその目つきを。
この後ろ姿は彼が‘知っている人’だ。 ほとんどの知りえた‘名前’を持っている、俳優、スポーツ選手、モデルはその間ホン・チャンヒョンが現在進行形で仕事をして縁を結んだ人々だ。
これらの特徴を後ろ姿で捕らえるのに充分だった程時間を共有してきた関係だ。
だがアイロニーにも首で鼻先でのびた線、丸く曲がった腰、露出したまっすぐな襟首、頑強に背を向けた顔では人物のディテールより‘一つの塊り’が先に目に映る。
夜中積もった雪原のように白い白紙で<後ろ姿>が近づく。
被写体を囲んだところには存在を後押しするいかなる装置もない。
雰囲気を読むほどのニュアンスまでない空っぽの空間だ。
ミッシェル トゥルニエがかつて話したように、“単に誰かの後ろ姿が視線を捉えて引っ張ったとすれば、全てあらわれる真実性に魅了されたと外には”.
この場面には自ら何を望むのか明確に知らない被写体と一つで縛られていた撮影現場で写真家が‘いかなる契機’になることを願って隠した話がある。
“私に向かってあなたに対して、話してみます”という注文だ。
美術史家離縁式は‘後ろ姿は世の中が自らを分けながらも表わして、表わしながらも分ける方式だ。
逆にそれは私たちが世の中を眺める方式だ’でした。 こちらとあちらが目に見えなくても押し出したり引く有機的な関係で結ばれた私たちは世界を共有して生きていく。
その間でいかなる真理はしばしば省略される。
多いことが外れるけれども私を教えたい人と同行する人生があたえる暖かい充満感を写真家ホンジャン玄銀分かる。
数多くの‘知っている人’の後ろ姿をカメラより先に目に入れて彼は繰り返して言っただろう。
‘同じ方向を見るには後ろ姿を見ざるをえない’で。
居住地をハワイに移した。 スタジオはソウルに置いて家族がいる家まで遠い距離を行き来する。
1年に180日以上海外ロケをするのにソウルに留まった期間は1年に半島ならなかった。
今でも似ている。 なじむパターンだ。
‘小さい人間’が成し遂げたきらびやかな文明を畏敬する人々は単純な旅行でも自然よりは都市側を選ぶ。
ファッションという世界やはり都市とさらに密接だが、なぜハワイだったか?
都市に関心がない人ではない。
ただし自然が恐ろしいという事実を知る。
思ったより自然で撮影した経験があまりないが、私がとても小さく感じられて何かをできなかったよ。
ハワイに居住地を移したことは、自然をさらに大きく見たくて行ったのでもなくて単純に良くても違う。
ただまだ自然が恐ろしいが、このような感情も大丈夫であるようだ。
最近になって人生で答えを探さなければならない年齢になったという気がした。
若さ中で何か探そうとした時期は終わった。
昨年にコルシカで1ヶ月を生きた。
何もしなくて静かに留まった時間が良かったし居住地を自然がある環境に移してみようとハワイに行った。
計画をたてれば早く実行するほうだ。 悩みはそこでしてもかまわない。
写真撮影もそうしたが、かえってこの頃は少し違った。
‘哲学’を入れる悩む時間が長くなった。
ハワイにあったので今回の展示をするというおかしな容器も出すことができたという気がする。
その間本出版や展示提案を誘って受けたがいつも断った。
好きなファッション写真を継続してきたが作品としていかなるシリーズを最後まで引っ張っていくことは容易ではない。
一人だけ良くてとりとめなく印刷する写真を作業で成し遂げられないと。
‘後ろ姿’シリーズは去る7年間時々準備してきた作業だ。
まだ完成本だと話す訳には行かないが、完成するところだといったりすることができる。
人生もことも人もいつも現在進行形に変化する流れ中にあるから。
リチャード、アベドン(Richard Avedon),スチーブン、マイーゼル(Steven Meisel)のような商業写真の代表者をラルフ ギブスン(Ralph Gibson)よりより好きだったといった。
なぜファッション写真に引きずられたか?
私の感覚とよく通じた。
写真を始めた時からファッション写真家以外のことを考えてみなかった。
商業写真家として引退してあえて専業作家で活動するとしてもペ・ビョンウ先生と同じ掘られたアートをしはしないことだ。
このことで70才まで延命するのが目標だ。
延命という単語を否定的に解釈しない。
無数に‘人’と共にファッション写真を撮ってきた。
被写体と教頭はどのように成り立つか? 最も満足するほどの被写体は誰だったか?
大学校3学年冬、当時つきあったガールフレンドを撮影した時。
100%純度の‘ホン・チャンヒョン感情’を入れた撮影で‘写真のカタルシス’が何か経験した。
人間関係を重要だと考えるが開始を開くことは相変らず大変だ。
親しくなるのにかなり時間が必要で、親しくなった人とだけ一生生きたい。
写真をしながら国は人に対し、私をどのように表現したいのかに対し発見してきた。
互いにやり取りすることがある関係を指向する。
交感する瞬間に対する話だ。
‘私’という存在の強みと弱点を直視する瞬間人生で追求しなければならない目標と方向が生じるという意と聞こえる。
そうだ。 おとなになる過程だ。 傲慢にならないよう努力する。
セレブと頻繁に作業してきた。 ファッションはそれを表現する人の役割も重要だ。 図を作る過程が気になる。
一貫しない。 ただし、人間対人間関係を不便がる私が持っている武器は‘カメラ’だ。
常に親切な写真家ではないので時々被写体を広い海に投げて置く。
彼らが自己確信を持つほどの要素が全くない空間にたてておいた‘後ろ姿’と同じ瞬間だ。
お互いの交感が必要な写真作業は‘気勢対気勢の戦い’だ。
自分らしいということがあってこそ‘表面のかっこう’に終わらない結果が出てくる。
スタイルは結局国は存在を確立していくことであるから。
そのようなメンで出る被写体に非常に利己的に勝負をかける。
写真は結局フレームの中での選択だ。 排除される部分が必ずできて、流れに合わないならば捨てる方法も分からなければならない。
自分だけの基準点は何か.
高校生の時分かる兄に‘カルチャーキーパー’という話を聞いた。
私が人生を生きて良かったりそうではないのを自ら取り除くことができる意識と知識がなければならないということ。
それを世の中に見せるかやめるかの選択もまた、私の意識でしなければならないということ。
それでフレーム内外に選択と排除の問題というよりは、果たして私の基準にあるいはコマーシャルの基準でする選択が正解を訪ねて行くところだと考える。
どうしても私の仕事は商業的なベースが多い。 非商業的な作業では私だけの基準がさらに作用するし、選択の幅も広くなるだろうがコマーシャルはコマーシャルだ。
これが嫌いならば現場に立ってはならないだろう。 某俳優は、10億という(のは)契約金を受けてチキン広告撮影をするのに絶対チキンを食べたり入らない。
こういうもの等を見て“あ、ああしたことはよくない”と感じる。 そのような基準ができてしまった。
このような部分で出る明確におとなに成っていっていると見えるが、まだおとなとは違うようだ。
コマーシャルと自分の作業を完全に分離して生きることは難しいことなのに。
アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)はファクトリーとは違い誰にも公開しなかった‘本当に作業室’を別に置いたという。
ウォーホルのようにショオプをできれば本当に良いだろう。
幸か不幸かショーアップを出来ない私は思ったより閉鎖的に生きている。
大衆の目には派手な人生のように見えるだろうが、全く違う。
結局は労働者であるだけ. 他の人々がしたくないのをしてこそ一つでも取り出す人ではないか?
ところでこのように生きるということが悪くない。
30代半ばぐらいに必ず大衆と疎通する必要はないと感じた。
私は‘町内祭り’をしなければならない人だ。
私の写真が好きな人々が眺めれば良い。 アイロニーしないのか。
ファッションは見せなければならない職業であるのに本当に自身を見せたがらながる人々が仕事をしているという事実が。
ズワイガニ後ろ姿被写体を選択して撮影することは即興的になされたといった。
撮影間に成り立った人々も結構ある。
何か交感されない瞬間や、その状況に不便さを感じる時“振り返ってほしい”と要求する。
平正心を探す時間だ。 それと共に始まったようだ。
自身の後ろ姿を見て印象的なコメントを残した人がいるか。
ティルダスウィントゥン(Tilda Swinton). <ヴォーグ>マガジン カバー撮影の時なのに、“私はこの後ろ姿でカバーしたい”した。
そのような人々と仕事をすればとても楽しい! 句句節節理由を説明するよりは“これが良いが!”一言ならば終わる、作家大被写体としてのうっとりした教頭話だ。
約200枚の中で39人を選択した基準があるならば。
10年後に見せてあげたくて取り除いたのもある。
ティルダスウィントゥン写真はとても惜しむが見せてあげたかったし。
全体的な流れの強弱を見るのにボードに写真を付けて離して多くの時間を過ごした。
その中にはかつらや靴のような事物もあって、風景もある。
人々が予想する‘後ろ姿’の流れを捻るポイントが興味深い。
さらに多いが取り出した。 瞬間瞬間を精製する場面転換で1,2枚なら充分だと見る。
ファッション写真作家として私だけの基準がある。
空に浮かび上がった概念的な話をしたくはなかった。
いつかは哲学的に武装するならばすることもできるだろうが、まだ不足する。
スーザン・ソンタグ(Susan Sontag)は“時間の中で一部の人は単純にその人だけのことだ。
常にそのままの人. 空間の中で一部の人は他の人になることができる”とした。
無関心な背景の中に置いた人物から感じられる温度は、冷える。
俳優クォン・サンウはこれらの中で一番影をひそめている。
世の中に見られる姿とは全く違う。
これらの日常はそのように本当に違う。
だがセレブたちの背後にある憂鬱と寂しさのような話をしたくはない。。
仕事をしないでしばらく立ち止まった日常の空白のように‘白い壁’を見ていはしなかったのだろうか?
俳優をインタビューすれば日常のルーチンを必ず尋ねるが、俳優キム・ジソクは“何日か前牛肉煮込みスープ(コムタン)を沸かした”とした。
それをインタビューの最初の文章で使った。 演技観と人生観が‘持久力’という地点で一致すると見えて。
日常が一番難しい。
“君は何を好きなの?”が質問が世の中で一番難しい。 私は何を好きな人だろう? 私は誰だろう? という式で自分の存在論を終わりなしに食い込むように連れていってしまうと。
ぴったりその瞬間に連れてきたわけだ。
不便で広くて果てしなくて、鏡もなくて配慮もなしで。
皆に配慮受け入れた人々なのに。 ハハハ。
今は親しくなったこれらが話したよ。
二三の分けなかったし特に親切でもなかったのに‘なぜ私をすべて見せただろう?’という気がしたと。
そのコードが合うスターらと気楽な友達で日常でも会う。
すでに私を知っている人には心をパッと開く。
この頃現代美術に関心を持ってコレクションもすると聞いた。
写真であたる苦しさを人文学や哲学本で探すことはできなかった。
ヘミン僧侶がした話はすでに自ら三十台頃に感じたことで。
熱心に生きれば感じることがあると信じる。
キム・ファンギ画伯、イ・ウファン作家のように良く知られたこれらに関心も持って作品を見て買って見たりもして芸術が何か悩んでいる。
偶然にデービッド ホーク丹羽内誕生日が同じだという事実を知って作品一点を買ったりもしたし、なぜこのように描いたか考えもしながらよく見ている。
10コルソ コモ ソウルに現れた<凍ったプリティー>シリーズとともに<後ろ姿>も反語法的な作業だ。
チョンゴウンキュレーターから‘知っている人’という企画意図を聞くやいなや思い出させたシリーズが‘後ろ姿’だ。
反語的な方法が気に入った。
人を読む技術が優れるといったのに。
気勢が合う人と良く過ごす。
仕事をよくする人より一緒にご飯食べる時楽しい人、のように出張に行ってある部屋で過ごすことができる人が良い。
ステップ面接の時ぴったり一つを質問する。
“優しいですか?”ほとんどの“そうだ”と答えたよ。
その瞬間に感じで判断する。 とにかくホンジャンヒョン、相手を不便にさせるのが好きな人が合う。
写真で一生にかけて成し遂げようと思うのは?
四十台の目標は延命だ。
三十台に人生哲学を完成するという自体が矛盾だ。
私が暮らしてみた三十頃は哲学で武装するにはとても幼い。
経験だけが全部であるように前に出しては四十台に質が良い哲学的基盤を作ることができない。
以後に自分の作業をずっと押して行くなら非常に重要な時期だ。
それがこの頃好きな‘延命’という単語にもつ意
今まで写真作業中最も気に入るカットを挙げろと言うなら何があるだろうか?
商業的にもあって個人的にもあるが、一番良い評を聞く写真は娘たちを入れたのだ。
すべてのセルロプトゥルが私に“私もそんなにとりたい”と話したよ。 それで言った。
“被写体が与えるのをとることであって私たちが作ってとるのではないじゃない。 君が与えなければ私もできなくて。”
<後ろ姿>格好良く合わせる命題だ! 最高級写真家のペイボリッ写真家と呼ばれるホン・チャンヒョンが今関心を持つ若い写真家は誰か?
キム・ヒョンシク、早期席と同じこれらだ。
彼らを見れば写真の新しい100年が始まっていると見える。
デジタルの生まれとかみ合わさった世代に写真はこれ以上プリント物でない。
端的に言ってみれば、インスタグレムで美しければ良い。
それを見て広告依頼が入ってきたりもする。 ギャラリーに行かなくても良い新しい形態のオンライン ギャラリーであるインスタグレムで大衆が熱狂する写真が明確にある。
このような新しい文化の流れの中で飛び出してくる作家を無視しない。
彼らとどのようにすれば同時代を生きていくことができるか悩む。
ホンジャンヒョンのアナログ的な感性が入れられた写真をよく撮る。
フィルムの代案でデジタルカメラが初めて出てきた時買っておいて2~3年を送った。
今でもデジタルで撮影した写真をどのようにすればフィルムのようにリットル称するのかずっと研究するところだ。
それが私がすることができる写真で、したい写真だ。
ところでこの頃友達は反対にフィルム写真を撮る。
露出がよく出てこれなかったそれ自体を美しくて不思議に受け入れる。
昔で問い詰めればメカニズムを分からない作家という言葉がならないことなのに。
だが、今はそんなに話してはいけない世の中になった。
私の作業をさらに丈夫にして新しい文化的流れと協業していく方法を悩まなければならない。
この時代を生きていくには。
‘ホン・チャンヒョンの後ろ姿’をセルフ撮影して感じた鑑定をした節で圧縮するならば。
あなたの不安感があたえる私の安らかさ. その乖離が猛烈だった瞬間
この方も同じ40代なんだね。。。
写真家としての延命について考えたとか。。
親しくなるのにかなり時間が必要で、親しくなった人とだけ一生生きたいとか。。。
なんだかサンウに似てる気がしたよ・・・・^^
写真家ホン・チャンヒョンさん。。。
サンウの後ろ姿・・・もっと撮ってほしいな・・・・
雨の中お疲れさまです~
一段落してよかったです^^
でもまだこれからかな・・
お疲れ出ませんように・・
はい~後ろ姿も素敵なサンウ
ねっ^^
この写真家さんに撮ってほしいですね
もちろん お顔も
こちらも雨がしとしと。。
週末まで降るみたいですね
ありがとうございます~^^
もう少ししたらお仕事頑張ります