

2015.09.24 08:33
俳優クォン・サンウは青春のアイコンだった。ブルース・リーに次ぐ硬いスタイル、すらりとしたキー、海事た美貌の彼は「火山高」(2001)、「ひとまず走れ」(2002年)、「同い年の家庭教師」(2003)、「マルチュク通り残酷史」(2004)などの映画高校生役を務め、多くの女性たちの愛を一身に受けた。
俳優として彼の魅力は、無謀と熱い青春の純度を思いがけなく描き出す点にあった。
そんなクォン・サンウが変わった。
「ジャージ」を着て、妻の小言に臭い食べ物のかすを持って走る。
末っ子の糞おむつを替えてくれる、手に付着した汚物にいたずらを打つ。
あふれる好奇心のせいで自分自身との関係もない事件を推理するとして出る姿はとんでもない。
たとえドラマ「野王」、「誘惑」などギホンナムの役割をしたものの、このように生活に疲れた「おじさん」の姿は、観客に多少見慣れない。
映画「探偵:ザビギニング」(キム・ジョンフン監督、以下「探偵」)でクォン・サンウは自ら「ギャグ」を担当した。
この映画の中で、彼はソン・ドンイルとツートップだが、一見コミックに見えるソン・ドンイルが笑いを担当するだろうと予想しやすい。
しかし、実際の映画の中で二人の雰囲気は予想と正反対だ。
両方のコンビプレイが笑いをかもし出しないが、容赦なく壊れる方はクォン・サンウだ。
長期的なアクションも減らした。ひたすら、推理と「バカ(のような天才)ギャグ」だけに集中しているようである。
なぜクォン・サンウは壊れたのだろう?
彼は封切りを控えてOSENとのインタビューで、「元から壊れることの恐怖はなかった」とし「俳優として観客がクォン・サンウを見て想像していなかった姿を見せたい欲も多い」と説明した。
しかし、実際に彼がそう壊れる役割を選んだのには欲以上のものがあった。
俳優としてのアイデンティティに対する悩みだった。...
また、同じインタビューで彼は"映画俳優として韓国では危機だと考える。
私が今年韓国年齢で40才だ。 30代後半で40代初めの俳優は誰でもスランプを体験するようだ。
こういう悩むことになってからかなりなった"として"私がチョン・ウソンのように素晴らしい役割だけすることができる俳優ではないためだ。
出てきて似た同じ年頃の俳優がどのようにスランプを克服したしどんな状況でどんな映画を選択したしどんな道を歩いていったのか研究している"として悩みを表わした。
一言で俳優として'進化'が必要な時期と感じたこと。
実際の映画の中でクォン・サンウは多くのことを下ろしたように見える。
'チジラン'パパを'演技'しなくて彼自身に受け入れたように安らかに見せる。
たとえ平凡な貸し漫画屋主人に'チュリドク'としてはスタイルが優れるという点(?)このそっとぎこちないが、その他の演技)的な部分では見ている人を不便にする点がない。
格好よくなくても似合うということはクォン・サンウにはまた他の進化が起きたという意味だ。
青春スターの'粋'はなくても変化を恐れない率直な俳優の'粋'はある。
俳優は色々な種類があるが、結局にはスターと俳優の別れ目で悩むことになる場合が多い。
特に若い時期すでに大きい成功を味わったトップスターは適切な進化を通じてスターとしての価値が落ちる前、俳優としての価値を高めるための一段階跳躍が必要だ。
もちろんクォン・サンウは相変らず韓流の中心にあるスターだ。
それでもはやいほど良いのが準備だ。
誠実に進化していくクォン・サンウの姿がうれしいのはこのためだ。