マーラー:交響曲第3番ニ短調テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団東芝EMI持ってるのはダブルフォルテ盤 |
よく晴れた今日のような日曜日の朝にこの曲を聴くのが大好き。
90分を越す大交響曲。ギネスにも認定されてたはず。
長いだけに、まともに最後まで聴くことが難しい。
例えば今日も、
トイレに中座したり朝食食ったり(笑)
この曲との出会いはまだ10代の頃。
マーラーといえば「巨人」くらいしか知らなかった頃。
某女友人が、終楽章がキレイだとかで聴かせてくれた。
その出会いがなければ、ここまでこの曲を僕は溺愛していただろうか。
---------- キリトリ -----------
第1楽章 パンが目ざめる。夏がすすみくる。
第2楽章 牧場で花が私に語ること。
第3楽章 森の獣たちが私に語ること。
第4楽章 夜が私に語ること。あるいは人が私に語ること。
第5楽章 朝の鐘が私に告げること。あるいは天使が私に語ること。
第6楽章 愛が私に語ること。
第7楽章 子供が私に語ること。
マーラーはこうした標題を考えてたりもした。
(第7楽章は後に削除)
---------- キリトリ -----------
昔、許光俊氏が言っている。
この交響曲は、「ウィンドウズ」であると。
すなわち、いろんな世界をのぞける窓が、
平気な顔して並んでいる。
終楽章に向かって時を追って高まっていくのではない。
むしろ空間性云々と。(クラシック名盤&裏名盤ガイド・洋泉社)
全てを引用することはしないが、とても興味深い論だった。
そして、たぶんその通りなのかも知れないと思う。
自分は根っからの無宗教者だが
この音楽を真に理解し享受するために必要だというなら
どんな洗礼だって受けるし
どんな啓示のドアも叩いてよいとさえ思えるのだ。
そこまでに、たとえば
第1楽章の行進曲はおおきく
第5楽章の児童合唱はあたたかく(ときにかなしく)
終楽章の光の中で救われたような救われないような気持ちになる。
本日はやっと届いたテンシュテット盤で。
LIVEでなくても、相変わらずの情念の塊。
ショルティの3番にコメントを有り難うございました。
テンシュテットの全集も愛聴盤なんです。情念渦巻く演奏ですね。最近トシを取ったせいかテンシュテットを聴くと疲れますが・・・。正規のEMIライヴ盤で聴く5番や6番、7番はスゴイですものね。
この3番はゆったりと大らかに聴ける名演奏だと思います。特に終楽章がやはり素晴らしいですね。
「店主手と」は酷かったですね。すみません。
テンシュテットは気楽に聴かせてくれない凄みがあると絶対思います。
…タイプミス全然おーけーです(笑)