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Salyu、をちゃんと聴くのは初めて。
13曲中6曲が、一青窈さんの詞。
Salyuという人の歌声は独特だ。
ハスキーとも違う。
一度聴くと忘れられない。
言い方を変えると、非常にクセがあるというか、
たぶん好き嫌いの分かれるところなんではないだろうか。
一青さんの歌詞は、
一青さんらしいところと、
一青さんらしからぬところが同居している。
この「らしさ」というのが曲者で、
要はこの自分の幻想でしかないのかも知れない。
一青さん「らしい」遊び心が詞の随所に見られる。
---------- キリトリ -----------
自分の勝手な主義主張をここで書かせてもらうと、
歌詞にイギリス語(所謂英語)が含まれている歌が、好きではない。
イギリス語独特のリズムを活かすのだ、という意図が仮にあるとしても、
でもそれがイギリス語である必然性は
この国において全然ないと思えるのだ。
かと言ってそんな歌を全然聴かないかと言えばそうではなくて
この人はそういう「キャラ」なんだなと少々苦笑しながら聴く。
日常世界におけるイギリス語の絶対的優位性が絶対的に嫌で、
だからこそ
中国語の含まれている歌は一方で許せるという気分。
で、Salyuのこのアルバム、
そんな視点でも聴いてみる。
イギリス語文章が含まれている曲は、
ほぼ全部一青窈さんの作だった。
(Salyuの「I BELIEVE」もあるが)
逆に言えば、
小林武史や櫻井和寿のつくった詞は
完全日本語のみ(カタカナ語は除く)。
意外と言えば意外だった。
一青さんと言えば「東洋風」なうた、
というイメージがない訳ではないし。
実際彼女が自分で歌う曲に
ここまで陳腐と言えるまでにイギリス語が姿を現すことはない。
これは面白い現象だ。
一青さんの変化なのか、
Salyuへの提供をイメージした結果なのか。
他の人に提供した詞はどうなんだろ。知らない。
陳腐さをあえて狙った表現か?
そこまで天邪鬼じゃないだろうし。
「らしさ」の問題で言えば、
今後一青さん自身の歌がこの路線になっていくんだとしたら、
はっきり言って嫌だな。
これが、自分勝手な妄想信徒の
「らしさ」原理主義?
こわいこわい。
---------- キリトリ -----------
蔦谷で借りて
早速車中で聴く。
気分がよくなって
窓を全開して風と走った。
まだ寒いんだけど。
でも、花粉が飛び始めるまでの
ヒトトキの空気を大切にしてみよう。
そんなに若くない(失礼。80年生らしい)こと発覚で、”気になるリスト”に追加されました。
近々、ゲオで・・・。
最近ボキがはまっているのは、「ピストル・バルブ」という20歳位の女の子10人組の集団。
歌あり、サックスあり、トランペットあり、バイオリンあり、DJあり・・・。
あ、バリサクはこのバンドで知りましたw
朱さま、興味ありましたらDVD・・・。
若いとダメなの(笑)?
しかも水戸華之介と二人でなにやら活動しているとか。