何度か自転車旅で行っている十勝岳吹上温泉の『白銀荘』の敷地内に句碑を見つけた。野営地の中だがこれまでは温泉に浸かって上富良野町日の出公園キャンプ場に日帰りしたり、白銀荘に宿泊していたので気づかなかった。
~ 鬼欅の中の温泉に来ぬ橇の旅 ~
自転車旅人としては「橇の旅」に惹かれた。作者名は達筆で読めなかったので家に戻って検索してみた。
十勝岳観光協会の資料により、“立体俳句”を提唱した1886年(明治19年)生まれの俳人長谷川零餘子(はせがわれいよし)であることが分かった。「立体俳句を提唱し、日本の俳句界に多大な影響と足跡を残した。」とある。俳句は単なる自然観照の文学、写生をいうのでないという立場らしい。
大正時代に東京から5回来道している。北海道が好きだったのだろう。この句は1923年(大正12年)に、たっての希望であった「橇の旅」で吹上温泉に登った時のものだ。当時の本館から温泉に行く渡り廊下から外の情景を詠んだ。
道案内は旭川のお寺の住職で俳人の門上浄照師であり、上富良野町駅から吹雪の中、12Kmの道のりを12時間かけて夜中の11時過ぎに到着している。馬は10メートル進むと休みの繰り返しで発汗も激しく口から泡を出して可愛そうだったという。
吹上露天風呂に入っていると「エッ、自転車で!」と驚かれる。長いこと乗っているので人が考えるほどではないがキツイ。最後の3Kmくらいは何度も休息する。何のために?と自問もしたりするが登り切って野趣たっぷりの露天風呂に浸かる爽快感、達成感が勝ってしまう。
しかし、上富良野からであれ、今回の美瑛からであれ、あの急坂の冬道は想像がつかない。露天風呂で一緒になる地元の人の話では樹木が倒れんばかりの雪が積もるという。当時は馬橇が交通手段だったとしても、昔の山道の深い雪を行く馬の難儀はいかばかりのものであったか。
句碑の前で馬から立ち上る湯気、馭者の振るまい、遭難の危険・・・、想像が次々に湧いた。