汗のシャツ枝に吊してかえりきしわれにふたりの子がぶらさがる
時田則男
帯広の農民歌人の歌からは土と汗と逞しい生活の臭いがする。『野男の短歌流儀』(本阿弥書店 2005年)の「旅だった歌たちへ」の項に収録されている。時田さんによれば、教科書や著作に収録された「運のいい歌」達だ。
確か畑からの帰路に詠んだ歌があったはずだと読み返した。
トレーラーに千個の南瓜と妻を積み霧に濡れつつ野を戻り来ぬ
という歌もあった。
そして、その隣の
離農せしおまへの家をくべながら冬越す窓に花咲かせおり
という歌に出会って短歌を始めた。
勉強もせず、何の変哲も無い棒のような歌しか詠めないが「詠うことは訴えること」という『野男の短歌流儀』の一文が12年間支えてくれている。
今週は加工用馬鈴薯の収穫に3日間出掛けた。農作業に出掛けるようになって少し変わったことがある。生来、粗忽で無精な性格だが辛抱強くなった。店頭に並ぶ農作物を見るとそこまでの多くの人の労働を思うようになった。そしてついつい野菜の葉や底の切断面を見てしまうようになった。上手いと思ったり、自分と同じレベルに安心したり・・・。
そして、時田さんの分身とも言える歌がこれまでにも増して好きになった。手伝いが終わって、汗まみれのシャツと泥だらけのオーバーズボンを脱いで車に乗る時、キツイけど農作業支援を始めて良かったと思うひと時がある。
ものぐさな自分が一番変わったところかもしれない。歌づくりを支えてくれるところかもしれない。
《O農場の加工用馬鈴薯畑の収穫跡 2020.9.1~3》