DT200Aの庫 (goo-blg)

30年前の10月 吾妻線タカ座A団臨


 頭の中の構造が人と違う私は変なことだけを記憶している事があります。この写真を撮影した事は全く記憶にないのですがこの場所まで立つまで朝露に濡れた稲穂のおかげでズボンがビシャビシャになった事だけは記憶しいます。      89,10,05 祖母島 9522レ オリンパスOM1 TMY スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

 30年前の10月は早朝に運転された吾妻線のDD51牽引の高崎12系お座敷列車を撮影しています。この頃、高崎支社は全国でも名を知らしめた団体集客好成績支社で(当時は団体集客の過剰なノルマでノイローゼになった社員もいて負の遺産もありました)その成果が全国でもまれにみる一支社お座敷客車2編成配置と言う形であらわれていました。お座敷客車名を”くつろぎ”・”やすらぎ”と名付けていました。部内では前編成をタカ座と呼び後編成をタカ座Bと呼んでました。タカ座は終始シックな色合いで。タカ座Aは白を基調としたすこし派手な色をまとっていました。当然、タカ座の方が人気がありました。
 さて、この日は長野原草津口からの団臨が早朝にありました。たしか渋川を7時前後に到着するスジだったと記憶しています。吾妻線内のこのスジはよく使われ東京方面や伊豆方面への団臨だと高崎から8742レ継承となり、また新潟・長野方面へ北上する際はいったん高崎まで行って機関車を付け替えて上越線や信越線を北上していました。
 余談ですがたしか元都庁の大先生とご一緒させていただいたと記憶していますが、この後元都庁の大先生は撮影地の最寄り駅から新幹線でご出勤されたと記憶しています。この列車を撮影するためにはかなり早朝かあるいは前夜に出発しなければならず、それでもご出勤されたと言うのは当時、身体に無理が効いた証拠だと思います。
 この写真を撮影してから早30年。当時は31歳。無理の効いた歳で今思えば無理してもっと撮影に行っていればと悔いています。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

残席3
南福島で高座A初見参の時、原結婚のニュースが! ビックリしました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「鉄ちゃん」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事