この日はひだ号君と午前中の1往復だけ撮影して帰還しています。三つ峠―寿(暮地)は東側に比較的高い山が迫り、なかなか太陽の光が射さないのでここに移動して来ましたが、思ったより良い撮影地で納得の1枚です。息子みたいな歳の会社の後輩のひだ号の送り迎えと車の運転と、至れり尽くせりだった気がします。私が若い頃にここまでしてくれる先輩なんていなかったんですけど・・・笑 13,01,27 富士急東桂―十日市場 07:46頃 Canon EOS7D
首都圏の鉄ちゃん今、50歳台を迎えている昭和30年代生まれの世代にとって京王5000系は昭和の名車の名に恥じない憧れの存在でした。しかし、城南地域、それも沿岸部に住んでいた私にとって京王電車そのものが乗る機会も全くなく馴染みが薄い鉄道であった事は間違いないと思います。
この撮影地は3日に列車に乗って撮影に来たときに車内で目星をつけておいた撮影地です。前回、ひだ号君に草刈をしてもらっていたので助かりました。 13,02,03 富士急行十日市場―都留文科大学前 11:56頃 Canon EOS7D
各線の線路際に立って撮影するようになっても京王5000系を撮影する事は出来ず、唯一撮影する機会を得たときには北野―京王高尾間の区間運転に充当されていた末期の頃だけで特急車の面影は残していたものの何とも哀れな姿でした。
その後、工事用車両として余命をつないでいた時代もありましたが、特急車両としての風格残る姿で地味に働く姿は飯田線で工臨を牽引するEF58同様、哀れで撮影する気にはなりませんでした。
その後、余剰となった京王5000系はゲージの違う富士急に譲渡され営団3000系の台車を穿いて富士急1000系として活躍し出しましたが、変更それた塗装には撮影意欲がわく事もなく元京王5000系の事は記憶の片隅から消えていっていました。
大月06:53→河口湖07:44の列車を何処かで撮れないかと地図とにらめっこして見つけた場所です。これから太陽の出る位置が東から東北東の位置へ移動すると条件は悪くなるので今の時期限定の撮影地といえます。厳密に言うと富士急行バス車庫の用地内ですが、現場の方は黙認してくれていました。 13,02,03 富士急行富士山 07:34頃 Canon EOS7D
それが昨年、京王5000系誕生50周年を迎えるにあたって一番京王時代の面影が残っている1001号編成が京王原色に戻される事になりましたが、この決定に際してはただ色を戻すと言うことだけではなくこだわりに徹して広幅貫通路やロングシート、原型パンタである事も考慮されたと言うこだわりには思わず脱帽に値するのではないでしょうか?まだ同時にそれだけこだわってくれた富士急行にも感謝です。
我ながら”こんなのも撮るの?”と思ってしまいますが、中央線から乗り入れてくる115系はどうしても撮ってしまいます。JRマークが付いて更にシングルアーム化された115系なんて耐え難いものがありますが、やはりスカ色と言うのがポイントが高いのではないでしょうか?もし、長野色だったら撮らない鴨(かも)? 13,02,03 富士急行十日市場―都留文科大学前 1543M 08:58頃 Canon EOS7D
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