加山到のハマッ子雑貨飯店

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原田裕臣氏。旅立っていた・・・

2024-12-03 | レコード

数日前。 ネットニュースや友人のサイトなどで目にした「原田裕臣逝去」の記事。ニュースソースは「ミッキー・カーチス氏が11月10日のinterfmのラジオ番組『Daisy Holiday』にゲスト出演した際の話」との事です。但し、亡くなった時期は不明のようです。

ネットで検索した内容を簡単にまとめると、原田裕臣氏は・・・1971年「ミッキー・カーチス&サムライ」にドラマーとして参加。解散後にミッキーのプロデュースによる「ガロ」の『学生街の喫茶店』を含めたアルバムでドラムを担当。「PYG」の2代目ドラマーとして参加し、そのまま井上堯之バンドに移行。74年に脱退した後にミッキー吉野グループ~ゴダイゴの初代ドラマーとして参加し、ファーストアルバム制作途中に脱退。以降はPYG時代の盟友である萩原健一や沢田研二のバック演奏に参加・・・・・・という事です。

「侍」ミーッキー・カーチス&サムライ(オリジナルレコードは1971年発売/フィリップス)

ジャパニーズ・ニューロックが開花し始めた頃のメジャーな一枚。香港やタイからヨーロッパに活動拠点を広げてからの日本帰国。ただ単に”ロック”にとどまることなく、情緒豊かなメロディや和風テイストをちりばめた曲調、シンプルでありながらもノリの良い楽曲まで堪能できます。その中で原田のドラムは、決してでしゃばることなくそれでいて聞く者をノセてしまう心地よさが印象に残りますね。

「学生街の喫茶店」ガロ(1972年/マッシュルームレコード・コロムビア)

当初は注目を浴びなかった楽曲だったものの、その後じわじわと人気が出て翌年の大ヒットにつながり、紅白歌合戦にも出演するきっかけとなった作品。原田のドラムは、その楽曲のイメージからしっかりとリズムをキープしているだけという印象ですね。シンプル・イズ・ベストかな。

「太陽にほえろ!/傷だらけの天使」井上堯之バンド(1974年・ポリドール)

「太陽ほえろ!」と、そこで初代新人刑事・マカロニ役を演じていた萩原健一が主演した「傷だらけの天使」のカップリングアルバム。原田は「太陽!」の初期楽曲を演奏していたようですが、このアルバムがリリースされた時にはすでに脱退していたため、ライナーノーツのスチールには後任の田中清司が掲載されています。

「新創世記」ゴダイゴ(1976年・コロムビア)

優しすぎるほどやさしい歌声のタケカワユキヒデの、ビートルズを彷彿させるアコースティックで明るい楽曲が印象的な一枚。ただし、B面は”組曲”ゆえ、23分にわたり異なるタイプ/リズムの楽曲がメドレー的に演奏されており、原田の様々なドラミングを楽しめます。このアルバムの制作中に脱退したために、後任の浅野良治が数曲を担当しており、スチールにも原田ではなく浅野が写っています。

「今 僕は倖せです」沢田研二(1972年・ポリドール)

沢田研二のオリジナルアルバム。楽曲のすべてを「井上堯之グループ」(PYGの別名称とも言える)が担当。上記4枚ではお目にかかれなかった原田の顔が見える。それがこちら ↓↓

左から大野克夫・井上堯之・原田裕臣・萩原健一・岸部修三・沢田研二

 

その後はどのような活動をしていたのかわかりませんが、ご存命であったなら80歳。冒頭のラジオ番組ではミッキーが「原田はいいドラマーだった」と発言されていたようです。伝説的なドラマーであることには間違いありません。

どうぞ安らかに・・・。

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