詩を味わう文学的センスは持ち合わせていないが、アル中の被害妄想や強迫観念からくる乱暴な言葉が並ぶアルチュール・ランボーの「酔いどれ船」は、理解しているかは別としてジャズ喫茶でパーカーを聴きながら読んだ。紫煙漂う薄暗い空間と妙に同調する。茨木のり子の「自分の感受性くらい」は、ビル・エヴァンスのタッチに似ていて開いたページに思わず顔を埋めた。
なかでも6月14日に亡くなった白石かずこの「聖なる淫者の季節」は強烈だ。アルバート・アイラーの不気味さとセシル・テーラーの不可解さで迫ってくる。この前衛的な詩人を知ったのは、1969年にジャズ・ピープル社から創刊された「jazz」だった。SJ誌がメインストリームをいくなか、フリージャズに目を向け杉田誠一が立ち上げたジャズ誌はアヴァンギャルド志向のリスナーが待ちわびたものである。同誌に掲載された白石のエッセイはその詩同様、口にするのを憚る性語が並ぶ。その単語から妄想が無限に広がり刺激で股間が爆発しそうだ。。
1977年に録音された「ジョン・コルトレーンに捧ぐ」は、詩の朗読とその声の響きに呼応するサム・リヴァースとのセッションである。70年代に沖至や翠川敬基のフリージャズ・ミュージシャンと組んでポエトリー・リーディングの面白さを伝えてきた白石の集大成と言えよう。この時リヴァースはジャズクラブやコンサートホールに依存しないロフト・ジャズの中心的な存在だった。マイルスと来日したときの頼りない音や、ブルーノート時代の新主流の波に乗れないもどかしいフレーズは消え、迷いのないジャズ観に包まれ強く逞しい。異色ながら時代を知るうえで貴重な記録である。
白石のライブを聴く機会はなかったが、どの会も大盛況だったという。現代詩を魅力ある文学に押し上げたこの催しから詩歌の世界に触れ、またジャズの魅力に取り憑かれた人もいるだろう。今でこそ詩と音楽のコラボレーションは珍しくないが、当時としては画期的だった。「日本のアレン・ギンズバーグ」と呼ばれた現代詩人白石かずこ。享年93歳。合掌。
なかでも6月14日に亡くなった白石かずこの「聖なる淫者の季節」は強烈だ。アルバート・アイラーの不気味さとセシル・テーラーの不可解さで迫ってくる。この前衛的な詩人を知ったのは、1969年にジャズ・ピープル社から創刊された「jazz」だった。SJ誌がメインストリームをいくなか、フリージャズに目を向け杉田誠一が立ち上げたジャズ誌はアヴァンギャルド志向のリスナーが待ちわびたものである。同誌に掲載された白石のエッセイはその詩同様、口にするのを憚る性語が並ぶ。その単語から妄想が無限に広がり刺激で股間が爆発しそうだ。。
1977年に録音された「ジョン・コルトレーンに捧ぐ」は、詩の朗読とその声の響きに呼応するサム・リヴァースとのセッションである。70年代に沖至や翠川敬基のフリージャズ・ミュージシャンと組んでポエトリー・リーディングの面白さを伝えてきた白石の集大成と言えよう。この時リヴァースはジャズクラブやコンサートホールに依存しないロフト・ジャズの中心的な存在だった。マイルスと来日したときの頼りない音や、ブルーノート時代の新主流の波に乗れないもどかしいフレーズは消え、迷いのないジャズ観に包まれ強く逞しい。異色ながら時代を知るうえで貴重な記録である。
白石のライブを聴く機会はなかったが、どの会も大盛況だったという。現代詩を魅力ある文学に押し上げたこの催しから詩歌の世界に触れ、またジャズの魅力に取り憑かれた人もいるだろう。今でこそ詩と音楽のコラボレーションは珍しくないが、当時としては画期的だった。「日本のアレン・ギンズバーグ」と呼ばれた現代詩人白石かずこ。享年93歳。合掌。
70年代に白石かずこさんのライブに行かれた方はご感想をお寄せください。
Kazuko Shiraishi - 故ジョン・コルトレーンと他のジャズ詩に捧げる(1977)
https://www.youtube.com/watch?v=8T09g1u66e8