季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

W杯予選

2016年09月03日 | スポーツ
前回本大会へ向けての壮行会のバカらしさ、いやだらし無さについて書いたことがある。僕の気持ちは残念ながらサッカーからも離れつつあると。

今回は予選突破は今まで以上に困難だとも折に触れて書いた様に思う。

昨日の試合は、それでも観てしまった。

付け加えることはひとつもない。

有言実行という言葉に自分達が躍らせられて、世界を驚かす、と事あるごとに言っていたのが前回である。それを言うならあのような壮行会を催してはいけない。

昨日の観客席は、あの壮行会がそのままスタジアムに移動してきたような様子だった。

選手は?何も変わっていない。弱さを自覚する選手が多くなっただけのようだ。

真面目な選手はプレーが小さく、固くなり、少し自信を持つに至った選手はプレーが軽くなる。(例えば清武選手のシュートミスは大選手がほんの時折り見せる小技の鮮やかさをしようとして空振りしたものだ)

そもそももう何年もの間、日本のプレーは本質的には変化していない。

リスクを怖れシュートよりパスを選択する。
そのパスはあまりに弱いボールに終始して、相手にしてみれば何の怖さもない。
パス回しが巧みだと思い込むとそこにこだわり過ぎる。
センタリングの精度が低い、等々。

監督が交代してもそれらは一向に改善されないままなのである。

力量は如何ともしがたいけれど、協会としては子供のチームに至るまで、その原因を求めるべきなのである。

ところが、壮行会などを企画し、それに踊るファンさえ集まれば良いかのように、前回の責任者である原氏は昇格する有様だ。

ここまで書いて1日置いてしまった。

記事は急に采配への疑問などに溢れているけれど、そしてそれはその通りかも知れないが、自分達のあの「情緒的な」文面や協会への批判や反省はどこからも感じることはできない。

こうしたことはことサッカーに限ったことではないだろう。

僕の知る音楽の世界(これは本来の意味とはもって非なるもので、正確には音楽業界と言うべきだろう)から様々な業界、学問の世界、そして政治に至るまで、どの瞬間にも露わになる光景だ。

言葉に寄りかかることと言葉を信じることはまったく違ったことなのである。

「絶対に負けられない戦いがここにはある」だったかな、こんな寝言を言ってはいけない。このフレーズに寄りかかっているだけだと誰も言わない。

前述した「世界を驚かせる」にしたところで、このフレーズ及び「有言実行」という「厳しい」言葉に寄りかかっただけなのだといい加減気付いたらどうか。

繰り返しておくけれど、そこが変わらない限り、選手を取り替えようが監督の首を切ろうが絶対に同じことの繰り返しだ。






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