全ては基礎が大切だ。これに異を唱える人はいないだろう。
ただ、この手の議論で注意が必要なのは、基礎とは何かという問いかけがなされないまま話が進行してしまう点だ。
さて専門外のことを書くのだが。
ネットで見かけるばかりか生徒たちからも聞き及ぶのだが、小学生低学年の算数で足し算において順序が決まっているという。
4個饅頭を買ったらおまけに1個貰った。幾つになったか、という問いに4+1は正解だが1+4は不正解だと。
これが僕には分からないね。
大人なりの理屈はつく。しかしですよ、わーい、1個おまけに貰った!という喜びを感じた子は1を先に書くかもしれないではないか。
全部で5個になるということが理解出来ていれば良いだろうと僕は思う。ここで難しい理屈を唱えて訳が分からなくする危険は無いのか?算数の敷居を高くすることが目的ではなかろう。
数学者も二派に分かれているそうだ。厳格派の人に訊きたい。アンタ、そんなことで万が一躓いたら数学者になれなかったかもしれないぞと。
アバウトに理解して進めるうちに緻密さが生じることも多いのである。緻密さが必要ではない場合にはそのままで構わないのではなかろうか。
水槽に金魚が4匹います。1匹買ってきて入れたら何匹になりますか?この問いも同様4➕1でなければならない。その理由を説明するに金魚の気持になってみよう、というのがあったそうだ。
1匹のところに4匹増えたら心細いとでもいうのかな。金魚は果たして心を有しているのかという遠大なる問いは今後の研究を待ちたい。
しかしね、そこまで気持を前面に押し出して説明するのなら饅頭の例を挙げて、わーい一個増えた!という喜びはなぜいけないのだ?僕だったら1➕➕➕➕4とでも書きたくなるぞ。
教育を大人の自己満足の道具にしているのではないだろうか、僕の素朴な疑問なのである。この計算順序問題は当初は掛け算の順序問題だったらしい。それについても素朴な疑問を記しておきたいが、先ずここまでを投稿しておく。
ただ、この手の議論で注意が必要なのは、基礎とは何かという問いかけがなされないまま話が進行してしまう点だ。
さて専門外のことを書くのだが。
ネットで見かけるばかりか生徒たちからも聞き及ぶのだが、小学生低学年の算数で足し算において順序が決まっているという。
4個饅頭を買ったらおまけに1個貰った。幾つになったか、という問いに4+1は正解だが1+4は不正解だと。
これが僕には分からないね。
大人なりの理屈はつく。しかしですよ、わーい、1個おまけに貰った!という喜びを感じた子は1を先に書くかもしれないではないか。
全部で5個になるということが理解出来ていれば良いだろうと僕は思う。ここで難しい理屈を唱えて訳が分からなくする危険は無いのか?算数の敷居を高くすることが目的ではなかろう。
数学者も二派に分かれているそうだ。厳格派の人に訊きたい。アンタ、そんなことで万が一躓いたら数学者になれなかったかもしれないぞと。
アバウトに理解して進めるうちに緻密さが生じることも多いのである。緻密さが必要ではない場合にはそのままで構わないのではなかろうか。
水槽に金魚が4匹います。1匹買ってきて入れたら何匹になりますか?この問いも同様4➕1でなければならない。その理由を説明するに金魚の気持になってみよう、というのがあったそうだ。
1匹のところに4匹増えたら心細いとでもいうのかな。金魚は果たして心を有しているのかという遠大なる問いは今後の研究を待ちたい。
しかしね、そこまで気持を前面に押し出して説明するのなら饅頭の例を挙げて、わーい一個増えた!という喜びはなぜいけないのだ?僕だったら1➕➕➕➕4とでも書きたくなるぞ。
教育を大人の自己満足の道具にしているのではないだろうか、僕の素朴な疑問なのである。この計算順序問題は当初は掛け算の順序問題だったらしい。それについても素朴な疑問を記しておきたいが、先ずここまでを投稿しておく。
教育の場を離れれば、純粋に数学的な問題として
4+1=1+4
あるいは一般的に、
a+b=b+a
はなぜ成立するのか。これは考えるに値すると思いますし、そこで躓く意味は、数学者、でなければ哲学者にとって、大いにあると思います。そこで躓く子どもがいたら神童じゃないかしら。
コメントをありがとう。
君の説明は勿論理解します。
ただね、僕が躓くというのは君の言う本質論?における躓きではない。君にしても恐らくは漠然とした理解が先にあり、自分の資質や勉強の結果、数学の或いは論理の奥深さに達したのでしょう?
僕が敢えて異を唱えて躓かせるという言葉を使ったのは遥かに下世話なことだ。文字通り算数が出来ない子供を作り出すだけではないか、それを躓かせると言ったのです。
a+b=b+a これの持つ意味も成る程君のいう通りだろうが、中学生は単なる解法のルーツとしてしか理解していない。そしてそれはそれで構わないだろうと僕は考えているのです。
僕は数学が苦手ではなかったがせいぜいそこ迄の理解、愛着しか持たなかった。中にはそこから数理の面白さに魅せられたり君のように論理の面白さに惹かれた人も出たでしょう。それもこれも、繰り返しますが、算数、数学の敷居が高くないところから各人の必然として発展したものではないですか?
4人いるところに1人来るのと1人のところに4人来るのは勿論違う。しかしそんな事を教えたいと教師が思うとしたら僕としては呆れますね。そこまで子供を低く見ているのかな。
それは生活の中でどんな子供だって知っている事です。もっと複雑なシチュエーションでもやはり知っている。
それを数という極めて抽象的な世界で表現するわけです。その第一歩は漠然とした理解からの方が宜しかろうという穏健な意見しか僕は持てませんね。