昭和40年代の思い出&高3双子の年中時代の思い出

昭和40年代、東京下町・足立区での子供時代の思い出と年中だった双子息子こと。大好きな料理、お酒のことを描いてます

双子の父の昭和の思い出  ヤブ探検隊1

2020-12-13 03:56:07 | 昭和の思い出
歳の近い方は、テレビ番組で『川口ひろし」の探検隊番組を

ご存知の方がいらっしゃるかと思います。

二枚目俳優の川口ひろしさんがレギュラーで色々な謎を確認するため 

色々な所に探検に行かれる番組でした。私たちはそんなすごい所には

行けませんでしたが、こういう探険は毎度行なっていました。

そしてそれが今でも思い出に残っています。

双子の父の昭和の思い出 奇人変人

2020-12-10 17:49:24 | 昭和の思い出
お昼からは、テレ朝(NET)の大正テレビ寄席

親がいるとNHKののど自慢。

そして、1時15分からは、日テレの『テレビジョッキー』

これは欠かせませんでした。中でも、変わった芸を持つ

素人がそれをお披露目するコーナー

賞品として、ジーンズと白いギターがもらえる

そして、それは芸をする者を紹介した者もいただける

当時、ギター欲しさに何か芸がある友達を、毎日探していました


双子の父の昭和の思い出 プチ暴力?!

2020-12-07 19:18:54 | 昭和の思い出
父の昔と違い、ちょっと何か言ったり、茶化したり、
怒ったりすると『セクハラ』『パワハラ』『モラハラ』と
言われるようになりました。
当時、別にイジメではなく、儀式としてのこんな暴力
ありました。以前双子に聞いたら、今はこんなことしていない
と言われてしまいました。
記憶遺産ですね

双子の父の昭和の思い出  おにぎり

2020-12-02 14:01:43 | 昭和の思い出
最近、人気コンビニおにぎりは・・・
シーチキンマヨネーズなんて言われていますが
昭和40年代には、そんなおにぎりありませんでした
おにぎりと言えば、その家の味で
父は母の握る『味噌おにぎり』が大好きでした
お腹が空くとリクエスト。
学校で悪さして残された時もリクエスト。
父に叱られ、押し入れの刑の時もリクエスト
でした

双子の父の昭和の思い出  おまめ

2020-11-30 19:45:14 | 昭和の思い出
今、息子の双子は同級生、せいぜい一学年下とか上とかの友達と

遊んでいますが、当時はそういう観念はあまりなく、年の離れた

子供とも遊んでいました。でも、やはり体力差、経験値の違いから

ハンデをあげないと、本人も一緒に遊ぶ周りもなかなか上手くいかず 

このおまめ制度は、当たり前のように存在していました

ただ、もう自分はおまめなんかじゃ無いとつっぱる子もいて、時に

こうして年長者による卒業試験のようなことをしていました


双子の父の昭和の思い出 数を数える

2020-11-29 10:00:33 | 昭和の思い出
かくれんぼ、缶けりなどなど、子供遊びでは

鬼になった子は、数を数え終わってからじゃないと

行動が起こせないというルールでした。なので

出来るだけ早く数を数えることが、とっても重要なことでした

普通『1・2・3・4・5〜』(イチ、ニー、サン、シー、ゴー)と

数えますが、これよりもいかに早く数えるか、まして大体100まで

数えるのが普通だったので、『91・92・93〜』だと(キュウジュウイチ、

キュウジュウニー、キュウジュウサン)と言い回しにとてもとても時間が

かかってしまいました。そこで、下品ではあるけれど、1〜10と同じ数に

なる、言い回しが早く出来る言葉を、その代わりとして数えで使用して

いました。

父が1番使っていたのが『インディアンのキンタマ』(10文字分)でした(笑)


双子の父の昭和の思い出  学校給食8

2020-11-24 12:39:17 | 昭和の思い出
今でも教室内の暖房はダルマストーブなんでしょうか?

当時は『ストーブ係』を先生から任命された、身体の大きな

男子2人組が、朝他より早く学校に行き、燃料となる

コークスを専用のバケツに入れて教室まで運び、新聞紙を火種にして

コークスに火をつけていました

そして、暖を取るだけではなく牛乳を温めたり、パンを焼いたり

焼きみかんを作ったりと色々楽しいことばかりでした。