歳の近い方は、テレビ番組で『川口ひろし」の探検隊番組を
ご存知の方がいらっしゃるかと思います。
二枚目俳優の川口ひろしさんがレギュラーで色々な謎を確認するため
色々な所に探検に行かれる番組でした。私たちはそんなすごい所には
行けませんでしたが、こういう探険は毎度行なっていました。
そしてそれが今でも思い出に残っています。
ご存知の方がいらっしゃるかと思います。
二枚目俳優の川口ひろしさんがレギュラーで色々な謎を確認するため
色々な所に探検に行かれる番組でした。私たちはそんなすごい所には
行けませんでしたが、こういう探険は毎度行なっていました。
そしてそれが今でも思い出に残っています。
お昼からは、テレ朝(NET)の大正テレビ寄席
親がいるとNHKののど自慢。
そして、1時15分からは、日テレの『テレビジョッキー』
これは欠かせませんでした。中でも、変わった芸を持つ
素人がそれをお披露目するコーナー
賞品として、ジーンズと白いギターがもらえる
そして、それは芸をする者を紹介した者もいただける
当時、ギター欲しさに何か芸がある友達を、毎日探していました
親がいるとNHKののど自慢。
そして、1時15分からは、日テレの『テレビジョッキー』
これは欠かせませんでした。中でも、変わった芸を持つ
素人がそれをお披露目するコーナー
賞品として、ジーンズと白いギターがもらえる
そして、それは芸をする者を紹介した者もいただける
当時、ギター欲しさに何か芸がある友達を、毎日探していました
父の昔と違い、ちょっと何か言ったり、茶化したり、
怒ったりすると『セクハラ』『パワハラ』『モラハラ』と
言われるようになりました。
当時、別にイジメではなく、儀式としてのこんな暴力
ありました。以前双子に聞いたら、今はこんなことしていない
と言われてしまいました。
記憶遺産ですね
怒ったりすると『セクハラ』『パワハラ』『モラハラ』と
言われるようになりました。
当時、別にイジメではなく、儀式としてのこんな暴力
ありました。以前双子に聞いたら、今はこんなことしていない
と言われてしまいました。
記憶遺産ですね
最近、人気コンビニおにぎりは・・・
シーチキンマヨネーズなんて言われていますが
昭和40年代には、そんなおにぎりありませんでした
おにぎりと言えば、その家の味で
父は母の握る『味噌おにぎり』が大好きでした
お腹が空くとリクエスト。
学校で悪さして残された時もリクエスト。
父に叱られ、押し入れの刑の時もリクエスト
でした
シーチキンマヨネーズなんて言われていますが
昭和40年代には、そんなおにぎりありませんでした
おにぎりと言えば、その家の味で
父は母の握る『味噌おにぎり』が大好きでした
お腹が空くとリクエスト。
学校で悪さして残された時もリクエスト。
父に叱られ、押し入れの刑の時もリクエスト
でした
今、息子の双子は同級生、せいぜい一学年下とか上とかの友達と
遊んでいますが、当時はそういう観念はあまりなく、年の離れた
子供とも遊んでいました。でも、やはり体力差、経験値の違いから
ハンデをあげないと、本人も一緒に遊ぶ周りもなかなか上手くいかず
このおまめ制度は、当たり前のように存在していました
ただ、もう自分はおまめなんかじゃ無いとつっぱる子もいて、時に
こうして年長者による卒業試験のようなことをしていました
遊んでいますが、当時はそういう観念はあまりなく、年の離れた
子供とも遊んでいました。でも、やはり体力差、経験値の違いから
ハンデをあげないと、本人も一緒に遊ぶ周りもなかなか上手くいかず
このおまめ制度は、当たり前のように存在していました
ただ、もう自分はおまめなんかじゃ無いとつっぱる子もいて、時に
こうして年長者による卒業試験のようなことをしていました
かくれんぼ、缶けりなどなど、子供遊びでは
鬼になった子は、数を数え終わってからじゃないと
行動が起こせないというルールでした。なので
出来るだけ早く数を数えることが、とっても重要なことでした
普通『1・2・3・4・5〜』(イチ、ニー、サン、シー、ゴー)と
数えますが、これよりもいかに早く数えるか、まして大体100まで
数えるのが普通だったので、『91・92・93〜』だと(キュウジュウイチ、
キュウジュウニー、キュウジュウサン)と言い回しにとてもとても時間が
かかってしまいました。そこで、下品ではあるけれど、1〜10と同じ数に
なる、言い回しが早く出来る言葉を、その代わりとして数えで使用して
いました。
父が1番使っていたのが『インディアンのキンタマ』(10文字分)でした(笑)
鬼になった子は、数を数え終わってからじゃないと
行動が起こせないというルールでした。なので
出来るだけ早く数を数えることが、とっても重要なことでした
普通『1・2・3・4・5〜』(イチ、ニー、サン、シー、ゴー)と
数えますが、これよりもいかに早く数えるか、まして大体100まで
数えるのが普通だったので、『91・92・93〜』だと(キュウジュウイチ、
キュウジュウニー、キュウジュウサン)と言い回しにとてもとても時間が
かかってしまいました。そこで、下品ではあるけれど、1〜10と同じ数に
なる、言い回しが早く出来る言葉を、その代わりとして数えで使用して
いました。
父が1番使っていたのが『インディアンのキンタマ』(10文字分)でした(笑)
脱脂粉乳が、都内下町のうちの小学校では小学2年まであり、
3年より、ビン牛乳になりました。
今でもあの時のうれしさは忘れないくらい、うれしかった出来事です。
ビンの牛乳を嫌いな生徒多くて、いつもいつも思う存分いただいていました
3年より、ビン牛乳になりました。
今でもあの時のうれしさは忘れないくらい、うれしかった出来事です。
ビンの牛乳を嫌いな生徒多くて、いつもいつも思う存分いただいていました
学校を休む。
水ぼうそう、ハシカ、おたふく風邪以外には
まったく休んだことのない父。だって給食が1番の楽しみでしたから
なので、好きなおかずの時の休みはくやしくてくやしくて、ボロボロ
泣いていました(笑)
水ぼうそう、ハシカ、おたふく風邪以外には
まったく休んだことのない父。だって給食が1番の楽しみでしたから
なので、好きなおかずの時の休みはくやしくてくやしくて、ボロボロ
泣いていました(笑)
今でも教室内の暖房はダルマストーブなんでしょうか?
当時は『ストーブ係』を先生から任命された、身体の大きな
男子2人組が、朝他より早く学校に行き、燃料となる
コークスを専用のバケツに入れて教室まで運び、新聞紙を火種にして
コークスに火をつけていました
そして、暖を取るだけではなく牛乳を温めたり、パンを焼いたり
焼きみかんを作ったりと色々楽しいことばかりでした。
当時は『ストーブ係』を先生から任命された、身体の大きな
男子2人組が、朝他より早く学校に行き、燃料となる
コークスを専用のバケツに入れて教室まで運び、新聞紙を火種にして
コークスに火をつけていました
そして、暖を取るだけではなく牛乳を温めたり、パンを焼いたり
焼きみかんを作ったりと色々楽しいことばかりでした。