昭和40年代の思い出&高3双子の年中時代の思い出

昭和40年代、東京下町・足立区での子供時代の思い出と年中だった双子息子こと。大好きな料理、お酒のことを描いてます

双子の父の昭和の思い出  学校給食7

2020-11-23 00:15:10 | 昭和の思い出
給食当番。班ごとに回ってくる仕事でした。

当時は、子供が多くて、父の時代の小学校は、

1クラス45名くらいで6組までありました。

なので、1クラス6班くらいとなり、月に一度は

給食当番(月から金曜まで)が回ってきました

自分の分を多く盛り付けることは楽しみでしたが

当番の白衣が、前任者が洗濯してこなかったのに

当たると最低な1週間でした

双子の父の昭和の思い出  学校給食 6

2020-11-20 17:39:32 | 昭和の思い出
お腹が空きはじめる、3時限目辺りから

給食室の匂いが、空きっ腹で敏感な鼻腔に

届きました。献立表でメニューはわかっていたので

おお、今炒めてるな。おお、今大鍋で煮込んでいるな

なんていうのも、腹ペコオヤジにはわかってました。

給食の後、今度はいやーーーーーは、臭い匂いに

授業そっちのけで楽しんでいました

双子の父の昭和の思い出 学校給食1

2020-11-12 10:10:42 | 昭和の思い出
学校に行く大きな目的、楽しみが 給食でした。

そんな何でも食べる父でも、脱脂粉乳は苦手でした

残したり、捨てたりすると、真面目な女子が学級会で

言いつけされて、先生からこっぴどく叱られました。

だから、ビン牛乳に変わったときは、天国に行き着いた状態でした。

大好きだった給食の思い出、しばらく投稿します。

双子の父の昭和の思い出  オバケえんぴつ

2020-11-11 08:01:26 | 昭和の思い出
今のように物があふれていない時代でしたが

子供達は、何か面白いことはといつも考えて

創意工夫していました。その一つがこれ。

芯と鉛筆の木製部分の接着が良くなかったのか

机で芯の先を「トントン」と折れないようにやっていると

芯が鉛筆から抜けるようになりました。

文字を書くときは指先で反対側の芯を押さえていないと

書けないという、考えればおバカなことでしたが

夢中になって授業中「トントン」していました

双子の父の昭和の思い出  カナブン

2020-11-10 10:51:16 | 昭和の思い出
都内下町の昭和40年代。公害、光化学スモッグ

で東京はじめ地方も今より、とても環境良くありませんでした

なので、あちこちに畑、田んぼ、原っぱありましたが

カブトムシやクワガタなど全くいなくて、撮れるといえば

果樹に付くカナブンばかり。捕まえるとすぐにフンをするため

子供にもあまり人気のない虫でした。

そこで、こんなことして遊んでいたら、とっとも面白かったし

周りからも喜ばれました