おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

おさむのひとりごと8月号

2019年07月30日 17時52分49秒 | 家づくり
カタロ通信8月号に掲載した『おさむのひとりごと』ですm(_)m


 近年の空梅雨(からつゆ)ではなく、梅雨らしい梅雨の季節を経て、やっと青空澄み渡る夏の季節がやってきました。40℃に迫るようなとてつもない日が待ち受ける今日、いかがお過ごしですか。

《生きる意味を問う》
 感性論哲学創始者である芳村思風先生の『生きるとは』をご紹介したいと思います。

『生きるとは』

人間において生きるとは、ただ単に生き永らえる事ではない。
人間において生きるとは、何のためにこの命を使うか、
この命をどう生かすかということである。

命を生かすとは、何かに命をかけるということである。
だから生きるとは、命をかけるという事だ。
命の最高のよろこびは、
命をかけても惜しくない程の対象と出会うことにある。
その時こそ、命は最も充実した生のよろこびを味わい、
激しくも美しく燃え上がるのである。

君は何に命をかけるか。
君は何のためになら死ぬことができるか。

この問いに答えることが、生きるということであり、
この問いに答えることが、人生である
                         芳村思風

 実はこれまでに何度もこの『おさむのひとりごと』や個人ブログで紹介させていただきました。何度読んでも色褪せない。何度読んでも胸に刺さる。私にとって本質を突いている大切な言葉です。御歳87歳になられる行徳哲男先生曰く『本物は同じでいい。流行りの弁士は小賢しく知識のバラマキをするが胸に刺さらない。本物は何度聞いても、何度読んでも胸に刺さるものだ』と。その行徳先生も40数年間、同じ事をずっと語り続けられている。そして何度聞いても胸に熱いものが込み上げてくる。

 この『生きるとは』は、老若男女どなたにも通じるものであると思います。『君は何のためにこの命を使うのか。何のためになら死ねるか!』と天から問われているのだ。この問から目をそらし、快のみに生きるとしたら、それはただ単に生きているに過ぎない。それはくすぶった命だ、不鮮明な命だ、生命の根源に対する冒涜(ぼうとく)だ!とまで言い切られる。

 それらが明確になっている方はそれを突き進まれていることでしょう。がしかし、そうでない方のほうが実は多いかも知れない。私もその途上の一人です。ではどうしたらいいか。いろいろな切り口があるかもしれませんが、私は『諦めずに、求め続ける』これしかないと思っています。『君にとって生きるとはなんぞや!』と天から問われている。その問に応えんとする気持ちを持って日々を生きる。すると、『気づき』がたくさん起こる。変化の少ない日常や仕事においてもたくさんの『気づき』が起こる。その『気づき』を流さず、
突き詰めて学ぶ。本を読み、人に会い、現地に赴き、感じてみる。すると、ひとつひとつ階段を登っている自分、成長している自分を実感する、、、その積み重ねの中に必ず『これだ!』というものに出会える。それまで諦めずに、求め続ける。感性のアンテナの感度が鈍らざるを得ない享楽的な現代社会において、必須であると確信しています。

 私は、まあまあそこそこの曖昧な人生を送りたくない。この命を燃やし尽くして死にたい。これからも学び、感じ、それらを分かち合える仲間と共に、仕事を日常を、生きたいと思います。

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ではまた。

おさむ









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