旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

ハングリアン民族=バイクとの出会い

2016年12月30日 | その他
 私とバイクの出会いは本当に数奇な出会いでした。前のウンチクで述べたように異常に厳しい家庭で育った私にとって、バイクは完璧に”暴走族の乗り物”でした。だから高校生になっても専ら興味は自転車の旅。バイクなんて悪者の乗る乗り物。実際、私の高校ではバイクに乗って暴走して退学になった同級生もいましたから...。

 高校3年生の7月頃のこと。私の頭に”死ぬほど勉強する”という友人たちの会話がこびり付いて離れなくなりました。ときどきこういう事があるのはどこか頭に異常があるのかもしれません。その後、”死ぬほど勉強する”という事に固執するようになり、3年生の夏限定で”死ぬほど勉強する”事にしたのでした。

 家にいると雑念も多いので叔父の家(お寺です)の本堂に場所を借りて、”死ぬほど勉強する”という定義を自分で決めた私は本当に1ヶ月だけ死ぬほど勉強してみました。進学が目的でもなく、ただただ”死ぬほど勉強する”人体実験が目的。その結果、夏休み明けの実力考査ではぶっちぎりの学年1位。競争率の低い高校ですね。この事が私の人生を大いに狂わせます。

 私の高校には関西の某私立大学への”推薦枠”が1名だけあったのです。そして、その選考が実は夏休み明けの実力考査にかかっていたようなのです。妙な人体実験に取り組んだ結果、その推薦枠に入ってしまった私。進学のことを考える間もなくあっけなく進学が決まってしまったのです。
 
 さて、学校側としては成績1番の生徒が進学が決まった途端に遊び始めて他の子たちを巻き込む事が懸念材料となります。母親が学校に呼び出されて相談した結果、”他の子達の進学に悪影響を及ぼさないために何かやらせよう”という話で、その”何か”が”運転免許”だったのです。
 
 それまで4輪の免許すら少し軽蔑していた私は教習所へ通う事になりました。そして教習所の説明を聞きに行ったら”二輪と同時教習の方がお得”という噂を耳にしたわけです。

 私にとってバイクは暴走族の乗り物でしたが、それでも免許はあるに越したことありません。母親、父親に”お得”と説得して同時教習を受けることにしたのです。

 はじめての2輪の実技講習を受けた時、私に衝撃が走りました。一言で言えば、こんなに面白い乗り物、他に無いと確信したのでした。それ以降、教習所へ通う自転車で、歩道の縁石を使って”平均台”の練習をしたり、家の前の道路に架空のパイロンを思い描いてスラロームの練習をしたり、免許が取れる頃には、絶対バイクを買うと心に決めていました。

 私の姉は原付免許を持っていて、スクーターに乗っていました。3ナイ運動が行われている学校に通っていた私ですが、私の運転免許は上記のような理由で学校公認。時たま姉のスクーターを借りて乗っていましたが、スポーツバイクへの思いは募ります。

 ちょっと記憶が定かではないのですが、その頃の事に違いないのは”カップヌードル”の"ハングリアン民族”のCM。同世代のオフロードライダーなら知っているでしょう。Hound Dogの名曲"フォルティシモ”をBGMに、蜃気楼の中を疾走するオフロードバイクに完璧にシビレてイカれてしまった私は近所のバイクショップを巡って中古車のMTX80Rを手に入れてきたのでした。

 ”80ccだから原付に毛が生えた様なもの”との説明に油断していた私の母は、納車が終わって乗って帰ってきたバイクを見て涙を流して泣きました。今でも”あのときは息子はもうすぐ死んでしまうと本気で思った”と言う母。---彼女にとって私は今でも子供。車で帰省するというと本当に心配するのですが、”あのね、その心配する人にガイドされて海外で運転している人がいっぱいいるんだから、そろそろ信頼してね。”と言うと”そういえばそうだね。”と。母にとって子供は死ぬまで子供。
 
 テレビCMの1シーンが人生に影響を与えたといったら、なんだかアホっぽいですが、実際のところ、その通り。あのCMがなければオフロードバイクに乗っていないし、その後の色々な出会いや体験は一切私の人生に無かったと思うのでした。


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