旅のウンチク

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神や仏は存在するか

2007年04月07日 | 宗教
前回の長い前書きを読んだ人の中にはどんな事を書こうとしているのか胡散臭く感じた人もいるかもしれません。ですから前書きの続き気味の私の中での宗教感にわかりやすく一つ触れておきましょう。

皆さんは神様が居ると思いますか。私はいつの頃からか、神様は居ると考える事にしています。"妙な事を書き始めたな"と思わずに少し我慢して読み進んでみてください。

私が神様は居ると考えているのは、単純な話、その方が"便利"だからです。こんな事を書くと罰があたるかもしれませんが、まさか、この程度の事で罰をあてるほど神様は心が狭くはないでしょう。(と神様にもプレッシャーをかけておきます。)

それでは神様の便利な使い方について説明してみましょう。

例えば、自分の理想のために懸命にがんばって、別に何も悪い事をした覚えもないのに連続して悪い結果ばかり巡ってきたりする事は人生に於てままある事ではありませんか。"勝ち組、負け組"などという言葉にマスコミが盛り上がっていた時に"がんばった人が報われる社会"などとマコトシヤカに話す人がいましたが、そんなに単純な話ではない。人一倍頑張っていても負け続ける事だってたくさんあります。

こんな時、人は"神も仏もあるものか"と思って世の中に絶望してしまうのかもしれませんが、それは使い方を間違っているのです。

"神様が何か考えて与えた試練なんだから、きっとそのうち報われる時がやってくるようになってるんだろうなあ。"

こう考えると、少しは気が楽になりませんか。

自分が今まで直面した事のないような困難に直面してしまい、毎日眠れないほど苦しむ事もありますね。そんな時も使えます。

"神様が与えた試練なんだから、どうしても乗り越えられないような無茶な話ではないだろう。どこかに出口があって、そこを探せって事だろうから探してみよう。何せ、悪魔じゃなくて神様なんだから。"

と思えば、もう少し落ち着きを取り戻す事ができると思いませんか。

試験を受けて、あとは結果を待つばかりという時なんかはどうでしょう。上手くいっていても、失敗していても、試験が終わってしまったらもう手の施しようがないのに、どういうわけか人はクヨクヨしたりします。同じ眠れないのであれば試験勉強してる時に不眠になれば良いのに、その時は眠ってしまうものなのですね。

この時はアラーの神が助けてくれます。

"受かるも受からないも、アラーの神のおぼしめしである。インシャラー"

アラーの神はあまり連発すると、何でも"なるようにしかならない"で片付けたくなりますから、利用法が難しいです。私は主に、"いまさらどうにもならないけれど、気になって仕方がない、結果待ち"の事をアラーの神に担当してもらうようにして、あまり乱発しないようにしています。異教徒ですから。

ついでに異教徒であるのにアラーの神に登場していただく事にもロジックを用意しています。

"神さまなんだから、そこまで心が狭くはないでしょう。"

人はいろんな事で悩んだり落ち込んだりしますが、そういうのを外から見てみると"たいした事じゃないじゃない"という事もたくさんあります。

でも、自分じゃなかなか客観的になれないんですね。

それを"神様"を使って少し客観的な落ちつきを取り戻す作戦です。

というわけで、こんなに便利な神様。"居ない"と言い張る人はもったいないのではないでしょうか。

悩んだ時、苦しんでいる時は神仏の利用法を考えてみてください。かなり広範な利用が可能だと思います。なんといっても神は"全能"なのです。

非常に不謹慎な文章だと感じた方々には申し訳ないのですが、神仏の存在の大きな役割は人の"心"の苦悩を取り除く事にある事を平易に表現したという事を理解していただければ幸いです。


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