昨年のクリスマスに、真央ちゃん宮本武蔵説を書きましたが、真央ちゃんは負けても美しい佐々木小次郎でした。日本国内はもちろんですが、世界のスケーターたちから賞賛の声が寄せられ、とくに中国ではたいへん盛り上がっているようです。
前日のショートプログラムですべてのジャンプに失敗して16位となりながら、一夜明けたフリースタイルでは、トリプルアクセルをはじめ、6種8回のジャンプのすべてに成功する見事な演技。どん底から再起した美しきスケーターの物語に感動するのは当然です。
ただし、そうした佳話はなにも真央ちゃんに限ったことではありません。41歳にしてはじめてオリンピックメダルを二つも獲得した葛西選手をはじめ、ほかの日本選手たちにも感動の物語がありました。もちろん日本以外の国々の選手たちにも、たくさんの物語があるはずです。
日本国民はただ純粋に日本代表の真央ちゃんのがんばりに拍手したのですが、世界のスケーターたちや中国の人々は、真央ちゃんにそれ以上のものを見出したのかもしれません。ときにスポーツが実現する無垢な光といったものに、喝采を贈ったように思えるのです。いうまでもなく、同じ日に、「疑惑の判定」という闇を見せつけられていることと無縁ではありません。
ソトニコワは素晴らしい演技をしましたが、あきらかに、金メダルはキム・ヨナのものでした。プルシェンコのツイッターも、それを裏づけていると思います。
最後のロシア語はGoogle翻訳してみます。
おめでとう、アデリーヌ・ソトニコワ。ロシアのオリンピックチャンピオンの歴史の中で、初の女子フィギア金メダル! ブラボー
時系列でいくと下から上へ、①金のソトニコワへ「おめでとう」、②銀銅のキム・ヨナ、コストナーへ「すばらしいスケートをありがとう」、そして、③真央ちゃんへという順です。注目すべきは、②③の投稿間隔が、4:15~4:16 とわずか1分しかないことです。つまり、ソトニコワ以外の非ロシア選手3人へのコメントは、たぶんいっぺんに書いたものを分けて投稿したと考えられます。
②③をひとつの文章だったと考えれば、Maoへの賛辞が本論という構成になります。3つを読み比べてみると、真央ちゃんへのツイッターが、ほかとは異質に熱狂的で肉声に近いことがわかります(ほかはフルネームなのに、Mao、ですもんね)。プルシェンコの一連のツイッターを、ソトニコワ、キム・ヨナ、コストナーより、Maoだ!と読んでも、うがち過ぎとはいえないと思うのです。
Maoへのコメントで、女子選手としては、唯一浅田真央だけが可能な、難技のトリプルアクセルを決めた闘志を手放しで褒め称えています。その高い技術と挑戦する姿勢をプルシェンコは何より誰より尊んでいることがわかります。"amazing skating!" とスケートへの賛辞と "great" や "real fighter!!" の存在や姿勢への賞賛はあきらかに違います。
ロシアを代表する金メダリストのプルシェンコとすれば、誰よりもソトニコワに言及するのが、ふさわしい態度のはずです。あるいは、ソチ五輪女子フィギアをオーソライズするためには、金銀銅の3選手をその内容を含め称えて然るべきでした。自国主催の冬季五輪、ロシアが上位を占めたフィギア競技という観点からは、真央ちゃんの再起パフォーマンスは、1エピソードに過ぎません。
ツイッターという個人の「つぶやき」の場としても、かなりアンバランスなコメントといえます。そこに、たぶん不本意な棄権で終わったプルシェンコの無念が、また「疑惑の採点」への鬱屈した思いが、Maoの再起によって晴らされた、とまでいうなら、それはうがち過ぎというものでしょう。
ただし、少なくともこうはいえるはずです。さまざまなスポーツ以外の要素に、オリンピックや競技や選手が左右されるからこそ、メダル獲得が絶望的になってもなお、自己ベストを尽くした真央ちゃんにプルシェンコは感動したのではないでしょうか。
引退同然だったのに国威発揚のために出場させられ、ショートプログラムを前に怪我を理由に棄権したことで、国内から厳しい批判に晒されたプルシェンコですから、真央ちゃんの再起に自らを重ねたかもしれません。
中国の観客たちの感動もプルシェンコのそれに通ずるものでしょう。真央ちゃんによって、オリンピックとは国威発揚の舞台という通念が覆され、彼らはほとんどはじめて、オリンピックが選手それぞれの努力による可能性を追求する場であることを知ったのです。
皮肉なことに、真央ちゃんの素晴らしいパフォーマンスが話題をさらうことで、結果的に疑惑の判定がかすみ、スポーツを鑑賞する純粋な悦びへの信頼もつなぎ止められたわけです。ソチ五輪女子フィギアもまた、真央ちゃんに救われたようです。プーチン、真央ちゃんに、お礼は?
さあ、もう真央ちゃんでは失礼ですね。浅田真央さん、ありがとう、おつかれさまでした。
と終わるつもりでいたら、プルシェンコに勝るとも劣らない偉大なスケーターから、真央ちゃんへ心のこもった言葉が寄せられました。滲みるなあ。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2014/02/21/0200000000AJP20140221003800882.HTML?input=www.tweeter.com
H. Grimaud 1/3 Rachmaninov piano concerto No.2 in C minor, op.18 [Moderato]
(敬称略)
前日のショートプログラムですべてのジャンプに失敗して16位となりながら、一夜明けたフリースタイルでは、トリプルアクセルをはじめ、6種8回のジャンプのすべてに成功する見事な演技。どん底から再起した美しきスケーターの物語に感動するのは当然です。
ただし、そうした佳話はなにも真央ちゃんに限ったことではありません。41歳にしてはじめてオリンピックメダルを二つも獲得した葛西選手をはじめ、ほかの日本選手たちにも感動の物語がありました。もちろん日本以外の国々の選手たちにも、たくさんの物語があるはずです。
日本国民はただ純粋に日本代表の真央ちゃんのがんばりに拍手したのですが、世界のスケーターたちや中国の人々は、真央ちゃんにそれ以上のものを見出したのかもしれません。ときにスポーツが実現する無垢な光といったものに、喝采を贈ったように思えるのです。いうまでもなく、同じ日に、「疑惑の判定」という闇を見せつけられていることと無縁ではありません。
ソトニコワは素晴らしい演技をしましたが、あきらかに、金メダルはキム・ヨナのものでした。プルシェンコのツイッターも、それを裏づけていると思います。
Mao - you was great, special thanks for Axel 3,5! You're real fighter!! #Sochi2014
— Evgeni Plushenko (@EvgeniPlushenko) 2014, 2月 20
Congratulations to Una Kim and Carolina Costner, thank you for amazing skating! #Sochi2014
— Evgeni Plushenko (@EvgeniPlushenko) 2014, 2月 20
Поздравляю Аделину Сотникову-нашу первую в истории России Олимпийскую Чемпионку! Браво!#сочи #sochi2014
— Evgeni Plushenko (@EvgeniPlushenko) 2014, 2月 20
最後のロシア語はGoogle翻訳してみます。
おめでとう、アデリーヌ・ソトニコワ。ロシアのオリンピックチャンピオンの歴史の中で、初の女子フィギア金メダル! ブラボー
時系列でいくと下から上へ、①金のソトニコワへ「おめでとう」、②銀銅のキム・ヨナ、コストナーへ「すばらしいスケートをありがとう」、そして、③真央ちゃんへという順です。注目すべきは、②③の投稿間隔が、4:15~4:16 とわずか1分しかないことです。つまり、ソトニコワ以外の非ロシア選手3人へのコメントは、たぶんいっぺんに書いたものを分けて投稿したと考えられます。
②③をひとつの文章だったと考えれば、Maoへの賛辞が本論という構成になります。3つを読み比べてみると、真央ちゃんへのツイッターが、ほかとは異質に熱狂的で肉声に近いことがわかります(ほかはフルネームなのに、Mao、ですもんね)。プルシェンコの一連のツイッターを、ソトニコワ、キム・ヨナ、コストナーより、Maoだ!と読んでも、うがち過ぎとはいえないと思うのです。
Maoへのコメントで、女子選手としては、唯一浅田真央だけが可能な、難技のトリプルアクセルを決めた闘志を手放しで褒め称えています。その高い技術と挑戦する姿勢をプルシェンコは何より誰より尊んでいることがわかります。"amazing skating!" とスケートへの賛辞と "great" や "real fighter!!" の存在や姿勢への賞賛はあきらかに違います。
ロシアを代表する金メダリストのプルシェンコとすれば、誰よりもソトニコワに言及するのが、ふさわしい態度のはずです。あるいは、ソチ五輪女子フィギアをオーソライズするためには、金銀銅の3選手をその内容を含め称えて然るべきでした。自国主催の冬季五輪、ロシアが上位を占めたフィギア競技という観点からは、真央ちゃんの再起パフォーマンスは、1エピソードに過ぎません。
ツイッターという個人の「つぶやき」の場としても、かなりアンバランスなコメントといえます。そこに、たぶん不本意な棄権で終わったプルシェンコの無念が、また「疑惑の採点」への鬱屈した思いが、Maoの再起によって晴らされた、とまでいうなら、それはうがち過ぎというものでしょう。
ただし、少なくともこうはいえるはずです。さまざまなスポーツ以外の要素に、オリンピックや競技や選手が左右されるからこそ、メダル獲得が絶望的になってもなお、自己ベストを尽くした真央ちゃんにプルシェンコは感動したのではないでしょうか。
引退同然だったのに国威発揚のために出場させられ、ショートプログラムを前に怪我を理由に棄権したことで、国内から厳しい批判に晒されたプルシェンコですから、真央ちゃんの再起に自らを重ねたかもしれません。
中国の観客たちの感動もプルシェンコのそれに通ずるものでしょう。真央ちゃんによって、オリンピックとは国威発揚の舞台という通念が覆され、彼らはほとんどはじめて、オリンピックが選手それぞれの努力による可能性を追求する場であることを知ったのです。
皮肉なことに、真央ちゃんの素晴らしいパフォーマンスが話題をさらうことで、結果的に疑惑の判定がかすみ、スポーツを鑑賞する純粋な悦びへの信頼もつなぎ止められたわけです。ソチ五輪女子フィギアもまた、真央ちゃんに救われたようです。プーチン、真央ちゃんに、お礼は?
さあ、もう真央ちゃんでは失礼ですね。浅田真央さん、ありがとう、おつかれさまでした。
と終わるつもりでいたら、プルシェンコに勝るとも劣らない偉大なスケーターから、真央ちゃんへ心のこもった言葉が寄せられました。滲みるなあ。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2014/02/21/0200000000AJP20140221003800882.HTML?input=www.tweeter.com
H. Grimaud 1/3 Rachmaninov piano concerto No.2 in C minor, op.18 [Moderato]
(敬称略)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます