彼らがイマイチの理由
今日のボストンレッドソックスのホームゲームで、大谷翔平投手が逆転勝利をもたらす2ランホームランを放ちました。
この日負ければ、リーグ首位のレッドソックスに3連敗を喫し、前アストロズ戦から5連敗となる、敗色濃厚な9回2死でした。
ポテンヒットで一塁にいたトラウトの頭上をはるかに越える打球は、リーグ最下位に低迷するエンゼルスにとって、まさに起死回生の一発でした。
youtube動画のコメント欄を読むと、新コロ下の鬱々な日々、彼の活躍に小躍りする日本人にかぎらず、全米のベースボールファンが敵味方や地元を越えて、大谷翔平の活躍を喜び、元気づけられているようです。
アメリカにおいては、ベースボールは地元ファンに支えられるローカルスポーツといわれます。一選手の活躍が地域を越えて全米的な話題になるなど、これまでにはなかったことのようです。
しかし、大谷のツーランで勝ち越したとはいえ1点差の9回裏、また逆転されそうでハラハラしました。大谷のピッチングと比べると、中継ぎ投手陣はいかにも凡庸に見えてしまいます。
それをいえば、MLBを代表するスラッガーのトラウトやレンドーンを擁する打撃陣もイマイチかみ合っていないようにみえます。
今日もまた敗戦かとあきらめムードの9回2死から投手に逆転ホームランを打たれる、それもリーグトップタイの12号ときては、莫大な年俸を得ている主軸としてかなり面目ないはずです。、
トラウトやレンドーンは超一流の打者ですから、つまらない嫉妬ややっかみにとらわれたりはしないでしょうが、俺たち以上に打って、さらにピッチングもするという二刀流の圧倒的な事実には、まだ慣れないのかもしれません。
圧倒され続ける日々とは、彼らにとっても、これまで経験のない初めてのことでしょう。絶大な自信がその困惑に多少揺らぎ、それがイマイチにつながっているのではないかと想像をたくましくしてしまいます。
はたして大谷は受け入れられているか
もしそうだとするなら、投打の二刀流はまだほんとうには受け入れられていないわけですが、それ以上に大谷翔平というプレーヤーの存在が受け入れ難いのはないかとも考えられます。
彼と彼らの間には、カネとビジネスをめぐる大きな差異があるからです。
まずカネでいえば、大谷翔平が渡米してエンゼルスに入団したときの年棒はMLB最低保証の約6000万円でした。大リーグ規定の25歳以下の年棒制限によるものですが、2年後に契約していれば、田中将大やダルビッシュ有と同様に、120億円以上の契約金になるのは間違いありませんでした。
さて、トラウトは今年12年480億円、年棒にして40億円の契約をエンゼルスと結んでいます。最近入団したレンドーンもほぼ同額だそうで、これはMLB選手のなかでも最高額になります。
大谷翔平も今年、2021~22年の2年契約で約9億円の契約に結び直しましたが、それでもトラウトやレンドーンの年棒の1/10ということになります。
そのレンドーンは、「野球が好きというわけではない。自分のゲームだけではなく、TVで野球放送をみることもない。あくまでも金のための仕事と割り切っている」と公言しています。
おかげで、その輝かしい実績のわりには、ファンの人気がないことで知られているそうです。レンドーンが偏屈というわけではなく、彼らのベースボールが冷徹なビジネスである一面を正しく語っているとみるべきでしょう。
さて、自分たちの1/10のカネしかもらっていない若造に凌駕されて、彼らは困惑しているのでしょうか。超一流の彼らにも好不調の波はあるのでから、そんなことにいちい反応するはずがありません。
横たわる日米の違い
彼らがほんとうに困惑し、なおかつ受け入れられない事実があるとすれば、大谷翔平が自分を安売りし、あえて不利な契約を選び、割に合わない仕事を選んでいることかもしれません。
彼らなら絶対拒否し、避けるはずのそれらすべてを、大谷翔平は意に介さないか、喜んでやっているとしか見えないのです。
巨額の契約金に見向きもせず、最低保証額で結んだ契約内容は、ほとんど前例がない投打二刀流を条件としたために、打者としては規定打席に達せず、投手としては登板回数が限られるなど、かなり不利な条件を自らに課したことになります。
どれほど活躍しようと投打いずれも「中途半端」な記録に終わりかねません(ただし、大谷翔平の出現によって、今年からMLBに「二刀流(Two-Way-Player)」選手の登録が新たに設けられました)。
MLBにおけるカネと名声とは、契約金や年棒であり、記録やタイトルのことです。そのいずれも手にしたトラウトやレンドーンはMLBの頂点であり、MLB選手ならひとしなみ追い求めるものです。
それはたんに個人の欲望という次元にとどまらず、MLBという巨大なビジネスゲームの担い手である自覚をともなうものです。
球団は選手以外にも、コーチやトレーナー、ドクター、広報など多くのスタッフが抱えていますが、選手個人としてべつにそれぞれのスタッフを雇っている一流選手は少なくありません。
何より、代理人(Agent)なくして選手は立ち行きません。MLB選手は一人のプレーヤーであると同時に、彼自身がビジネスそのものであり、彼のカネと名声は彼だけのものではないわけです。
「アメリカは国家じゃない、ビジネスだ!」と映画「ジャッキー・コーガン」のなかで、プラッド・ピッド扮する殺し屋は、報酬を値切ろうとする雇い主の使いに言います。「すべてはディールだ」とは、トランプ前大統領の言葉です。
”It’s not your(my) business”は、「それはあなた(私)の仕事ではない」ではなく、「あなた(私)は関係ありません」という意味で使われます。それほど、ビジネスはアメリカ人に血肉化しているといえます。
MLB選手の夢
ビジネスとは契約によって成り立ち、契約は競争によってもたらされ、競争は条件によって構成されます。「アメリカンドリーム」とはそんな競争社会の象徴といえます。
大谷翔平の場合、二刀流というありえない条件を自らに課す代わりに、巨額の報酬を棒に振り、選手生命を短くするかもしれない過酷な負担を買って出る不利な契約を結んでいるのです。
そのうえ、現在のところエンゼルスでただ一人休養なく試合に出場しているわけです。にもかかわらず、楽し気にゲームに臨んでいるそんな大谷翔平を苦々しく舌打ちをして見ている者がいるとすれば、得られたはずの高額報酬を得られなかった、強欲で知られる業界でトップクラスと目される大谷の代理人だけでしょう。
アメリカのビジネスにとって、大谷翔平ほど不誠実な姿勢もありません。その成功者であるトラウトやレンドーンがどれほどの違和感を覚え、困惑を覚えたとしても不思議ではありません。
しかし、彼らの違和感はけっして不快なものではないだろう、と推測することもできます。彼ら二人をはじめ、チームメートは大谷翔平を「まるで弟のように可愛がっている」(アップトン)そうです。
「オオタニはメジャーリーグを高校野球に変えてしまった!」といったのは、解説者になったA・ロッドでしたか。エースピッチャーでホームランバッターなんて、高校野球のようなありえない活躍じゃないかと驚いた言葉です。
そのいかにも嬉し気な表情から、「高校野球のような無垢な楽しさを味わせてくれる」という言外を聞くこともできます。
カネと名声を追いかけて、日々のプレッシャーに耐え、不調に陥れば将来に不安と恐怖を覚え、少しでも長く現役で生き残りたいと願う、彼らにとってはごく当然の「ビジネス」です。
ところが、日本から来た、まだ少年にしかみえないルーキーは、この「ビジネス」にまるで無頓着にしか見えません。
それはかつて、ビジネスとしてではなく、無垢にベースボールゲームに興じ、プレーを楽しんでいた、少年野球や高校野球の頃の彼ら自身の姿を想起させるものでしょう。
アメリカ内外の都市や田舎で、原っぱや学校のグラウンドで、飛びぬけた投手や打者や守備であり、観客の歓声を浴びてガッツポーズを青空に突きあげているかつての自分。眼前の彼の楽しそうな姿に重なってしまうのではないでしょうか。
大谷翔平にホームランを打たれた相手投手の多くが、「これまでに見たことない才能ある選手だ。健康に気をつけて、少しでも長く現役を続けてほしい」と型通りのように同じコメントを出しています。
けっして平坦な道ではありえない、二刀流の弟の将来を気遣う兄のようです。MLBの一流投手も少年時代は好打者だったはずですが、プロになるために投手一本に自分の将来を絞ったのです。
投げて打って走って守る、そのすべてが好きだったからこそ、野球少年になったに違いないのですから、誰もがかつて大谷翔平だったのに、誰もが大谷翔平になれなかったといえます。
大谷翔平の投打の「二刀流」は、彼らMLB選手がビジネスのために捨て、忘れてしまった夢を思い出させてくれるのかもしれません。でなければ、あれほど多くの異なるチームの選手たちが注目し、讃辞を惜しまない理由があるわけがないのです。
ビジネスと生き甲斐
最近、英語に、”ikigai”が加わったそうです。「生き甲斐」に相当する英語がないからです。
「競争」を通じて、「より大きくより多く」を得る「アメリカンドリーム」がアメリカのビジネスの理想なら、直訳すれば人生の価値となる、日本語の「生き甲斐」はきわめて対称的なものです。
カネや名声には結びつかず、むしろ「より小さくより少なく」を選ぶ「ほどほど」の生活哲学といえるでしょう。暮らしや仕事を人生の些事として、そこから学び喜びを見出す考え方といえます。
大谷翔平はアメリカのビジネスには仕えていないようにみえますが、もちろん、「ほどほど」の成績に満足する人ではなく、MLBの頂点をめざしているのは明らかです。
彼の「生き甲斐」が何であるか、彼に聞いてみないとわかりませんが、MLBのゲームやプレーの日々のひとつひとつにそれを見出しているのでしょう。彼の頂点とは結果として得られるもので、それ自体が目的ではないようにみえます。
「一将功成って万骨枯る」がアメリカの<ビジネス>とすれば、日本の<生き甲斐>なら、「みんな違ってみんないい」でしょうか。
そうした大谷翔平の投打にとどまらぬ「二刀流 ”Two-Way ”」に、ほんとうに慣れて受け入れたとき、エンゼルスの躍進がはじまるのかもしれません。
(止め)
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