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青が散る 2

2010-12-07 02:08:00 | ノンジャンル
TBSでドラマ化されたときの燎平は石黒賢、夏子は二谷友里恵。


偶然、BSフジにチャンネルを合わせたら、「その時、私は」 という番組に、宮本輝が出ていた。文芸評論家の福田和也がインタビュアー。宮本輝の「その時、私は」とは、生涯の師となる同人誌主宰者・池上義一氏との出会いだったそうだ。

近所の知り合いから、「あんた、小説書いているんか?」と訊かれ、「ええ、はい」と答えたら、「わし、小説にくわしい人知ってるねん」という。「どんな人ですか?」と尋ねたら、「池上さんいう同人誌たらやってる人や」という。(なんや、そんな人なら仰山おる、しょうもない) と思うとったら、その人が相手に電話しよる。「宮本さんいうてな、えらい才能のある人や」と私の小説など読んだこともないくせに話していて、否応なく電話を代わらされました。落ち着いた声の人で、書いた小説を見せに来なさいというので、『螢川』と2編持参して帰宅したんです。すると、すぐに池上さんから電話がかかってきて、「あんたは、天才や」という。もう嬉しくなって、すぐにまた家を訪ねたら、私の目の前で、『螢川』の最初の1頁に鉛筆で斜線入れて消し、「ええ小説やけれど、この最初の15行はいらん」といいよる。「2頁目から書き出すようになれば、あんたは本当の天才になれる」という。カチンときてね、(何が天才やと)。書き出しの15行くらいは、いちばん力を入れるところでしょ? 「この15行がいちばん好きなところです。ここが僕の『螢川』なんです。それを鉛筆でグチャグチャにして、なんて失礼なことをするんですか、あんたは!」といって、怒って持ち返ったんです。家に帰って、落ち着いて、まあ、たまには人の意見も聞いてみようかと思いましてね。ためしに、最初の15行をないものとして、読んでみた。そしたら、たしかにないほうがいいんです。それで、また池上さんを訪ねて、「先ほどは失礼しました。読み返してみたら、あなたのおっしゃるとおりです」と謝ったら、「あんた、ほんまにそう思うんか」と池上さんがいうから、「ほんまです。ないほうがええです」と答えた。「あんたはえらいやっちゃなあ。たった一時間でそれがわかったんか。たいていのやつは一生、それがわからんのに」といわれたんです。

その『螢川』が後に芥川賞を受賞したわけで、「2頁目から書き出すようになれば、あんたは本当の天才になれる」という師・池上義一氏の言葉を肝に銘じて、精進を続けているという締めだった。

功成り名を遂げた作家が修業時代の若き日に、その文学上の師に出会うきっかけが、おせっかいな近所のおっさんの紹介というのが、まず変で可笑しい。師匠の「あんたは天才や」「えらいやっちゃなあ」という賞賛と呆れがすんなり繋がるのが、また変で可笑しい。

しかし、この師弟の出会いの一幕を標準語に直してみると、どうなるか。気取りを捨てたあけすけな大阪弁でないと、くっきりと情景が立ち上がってこないことがわかる。何より、小説の位置づけが大阪と東京では異なっているように思える。

芥川賞を受賞したが、若くして亡くなった在日朝鮮人作家の李良枝が、どこかで「小説の位置が高すぎると思う」と苦々しく語っていたことを思い出した。大阪では、近所のおっさんが、釣りや将棋、三味線と同様に、小説の「お師匠さん」を紹介してくれるのである。

宮本輝の文学観や小説観を知らないが、関西には染め物や木工細工と同じように、小説も職人仕事のように思っている庶民が珍しくないことがわかる。そんな関西と関西人を背景に、『青が散る』は書かれたわけだ。

ということで、『青が散る』は関西弁小説にとどまらず、関西小説であると。大阪と関西、阪神間が、その地域性や文化において、それぞれどんな違いがあるか、まったく私には不案内なのだが。

しかし、宮本輝。歯が煙草のヤニで真っ黒だったな。若き日の写真は、若き作家らしく、鋭角な顔立ちなのに、いまではよく動く小さな口許が、まるで売れない老漫才師のように見えた。



次回は、『青が散る』は大学小説である、の予定。

(敬称略)

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