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ティファニーで定食を

2021-04-15 14:51:00 | ノンジャンル
東京の山谷と並ぶ大阪の西成かある、新今宮界隈を歩いた「女子」のエッセイです。

いわゆる「炎上」しているそうで、たくさん寄せられた批判コメントを併せて読んでみました。批判内容は以下の2点に集約できると思います。

ティファニーで朝食を。松のやで定食を。
https://note.com/cchan1110/n/n5527a515fba2

A.まず、ジェントリフィケーションの地ならしとして新今宮の魅力を伝えるためのPR記事を大阪市と電通から依頼されて書いた、という筆者の立場への批判です。

再開発によって、「タワマン」など高級マンションができることで、一時的には、街がきれいになり裕福な住民が増えて税収も増大するが、周辺家賃が高騰して地元住民が立ち退きを迫られ、ホームレスが増加し、治安も悪化する。

そのため、地元役所が新たに貧窮者向けの住宅を建設するなど、結局は再開発で潤った以上の多大な社会的コストの負担がのしかかる。これがアメリカで起きたジェントリフィケーションによる負の連鎖でした。

B.次に、新今宮で「デート」したホームレスの「お兄ちゃん」をはじめ、出会った町の人々を消費し搾取した「感動ポルノ」だという文芸への批難です。

新今宮の魅力として、優しく、あたたかな、人情ある住民をアピールすることで、町外の読者に貧困を消費するという視点を喚起したということです。

搾取とは貧困の消費を煽った文章で原稿料を得ているうえ、その「文化的地上げ」によって、自らの特権性や優越感を確認し、併せて読者から「感動した」「ほっこりした」などの好評を得たというのが内訳です。

大阪らしい当意即妙の会話のやりとりにくわえて、女性らしい柔らかなほのぼのしたタッチで書きながら、そのじつ新今宮の土地柄や貧困に「無知無自覚」ではないかという推測に立ち、いっそう差別性や犯罪性が露わな一篇になったという見方が多いようです。

私はそうは思いません。

A.については、電通へPRを委託した大阪市の反論があるはずですから、B.についてのみその理由を述べてみます。

若い頃は、PR屋として、こういうパブリシティ記事の企画を立てたり、編集や執筆をした経験もあります。こんなPRとして難易度が高く、良質な原稿が上がってきたことはなかったのですが、私が編集なら一行だけ書き直しをライターに要求します。

「近く寄ったら、会いに来るね」と言うと、
「来なくていいよ。じゃあ、またね」と、高架下に帰っていった。


「来なくていいよ。じゃあ、またね」という拒否と受容が同居した会話に、上記の批判を織り込んで用意周到に、PR記事以上の原稿を書こうとしたライターの心算をみることができます。

「来なくていいよ」はないでしょう。新今宮に親しみをもってもらう目的なんですから。書き換えるか、いっそ削りましょう。私が編集ならライターにそう告げます。

ライターが「無知無自覚」などではないのは、次のこの一行でもわかります。

服はぼろぼろだけど清潔感があって、お酒のにおいはしない。独特の甘いにおいもしない

ホームレスの「お兄ちゃん」に対する観察ですが、ふつうなら、汗と小便の匂いがこもった「饐(す)えたにおい」とするところです。

「独特の甘いにおい」が覚せい剤など違法薬物を連想させることから、「差別的な視線」という批判コメントもありますが、そういう意図だとしたらなおさら、あるいは文献などで調べていて知ったかぶりをしたとしても、「無知無自覚」ではないわけです。

いや、ここは「無知無自覚」なので、知ったかぶって空回りしたり、逡巡したりちょっと怯えている私、という文芸的な企みと受けとるべきなのかもしれません。

少し軽薄で、孤独で、自己肯定感を求めていて、ちょうど「ホームレスのお兄さん」を分身とする、しかし同性同士の「デート」を描いた文芸創作として読める気もします。

マイ・バック・ページ」で高見順の小説「いやな感じ」から私娼窟を歩く描写を引用しました。川本三郎も同様な社会の最底辺を訪ね歩き、貧しい人々と接する「覆面ルポ」を週刊朝日に連載していたそうです。そのルポを読んでいませんが、川本三郎の「良心的でナイーブ」な筆致はおよそ想像がつきます。

この島田彩というライターのエッセイを批判した人たちは、たぶん、川本ルポにはここまで酷く批難しないでしょう。「女子」だからではないかと思います。そういう「ライターである女子」もまた、島田彩さんの「創作」のひとつなのですが。

PR屋からフリーライターになって食い詰めたとき、原発PR誌の記事を書かないかと知人から誘われたことがあります。目の玉が飛び出るような原稿料で、取材期間や取材費もたっぷりありました。私は礼を述べつつ、即座に辞退しました。

原発には「無知無自覚」でしたから、「反原発」が頭をよぎったからではありません。当時はメディアのほとんどが「反原発」の「空気」でしたから、原発PR誌に書いたことが知られたら、飯の食い上げになると知っていたからです。それだけのことに過ぎません。

反ーアンチが間違っているとは限らないように、正しいとも限りません。ただ、そんな正否を問われることより、迎合するかしないかを迫られる場面のほうがずっと多いはずです。

たとえ、広告文であろうとPR文であろうと、良きものを書こうとする人はいます。「島田さん、あそこ直した? 削った?」と私が尋ねたとしたら、彼女は微笑むか、唇を噛むかして、何と答えたでしょうか。そんなことを想像しました。

林栄一 Eiichi Hayashi - I'm A Fool To Want You</span>


林栄一 Eiichi Hayashi (as)
加藤崇之Takayuki Katoh (g)
是安則克 Norikatsu Koreyasu (b)
外山明 Akira Sotoyama (ds)
guest :山下洋輔 Yosuke Yamashita (p)
Album:" Eiichi Hayashi / Mona Lisa "
Recorded :Tokyo,1996


4/22捕捉:筆者ツイッターに謝罪文が出ました。


(止め)

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