先日、日清製粉のCMで大坂なおみの肌の色が「白い」ことが、差別と批判された。
「ホワイトウォッシュ(非白人を白人のように描くこと)」が差別であるらしいのだ。
裏を返せば非白人は非白人のまま表現しなければならないということで、白人以外が白人らしく装えばそれは差別と言うことになる。
これはものすごく変な理屈である。
少し前にはダウンタウンの浜田雅功がエディ・マーフィの真似をして顔を黒く塗ったら差別的な「ブラックフェイス」だと批判された。
黒人を白く表現したら差別で、黒人を黒く表現しても差別。
じゃあどうしたら良いんだろうね。
イタリアのグッチのセーターも差別として批判されグッチが謝罪した。
過剰だ。
黒いセーターに赤い大きな唇。
これが黒い肌の黒人に対する差別というのは、「黒い肌」や「分厚い唇」という黒人の人種的個性を「差別されるもの」と認識しているからに他ならない。
つまり「差別意識」が「差別」を生み育てる。
差別を指摘する人は自らが差別していること告白しているようなものなのでは?
「ホワイトウォッシュ」が差別なら、同じ非白人である日本人がミュージカルの舞台などで金髪姿で白人を演じるのはどうなんだろうね。
ANAのCMで白人の真似をした「金髪・つけ鼻」が差別と指摘されたことがあったから、きっと「差別」なんだろう。
面倒臭い世の中だ。
いかにも日本人が、ニューヨークのウエストサイドで「トゥナイト」を歌っても、バルコニーから「おおロミオ!」と嘆いてもしっくりこない。
やっぱりそれらしいメイクをしてくれないと・・・。
「王様と私」というミュージカルはユル・ブリンナーが演じて有名だが、彼は「シャム王」を演じるために剃髪したはず。
これも今ならアウトだね。
渡辺謙の王様も剃髪している。
剃髪、即ち「ハゲ」。
チビ、デブ、ハゲ・・・これはオヤジに対する蔑みの言葉。
ならば敢えて「ハゲ」にすることも差別になると誰かが言い出しても不思議ではない。
だが、ブロードウエーで問題になったとは聞いていない。
つまり肌の色に対する差別だけが過剰なのだ。
白人の黒人迫害の歴史に対する負い目が、こうした過剰な差別意識をもたらしている・・・のかも。
いずれにしても面倒臭い。