HYML函館懇親会・・・
「guchiパパを偲ぶ会」 in 函館
「偲ぶ会」会場に添えられたguchiパパの遺影
★ 訃報から3年経っても・・・
2021年2月10日、訃報の連絡は突然だったが、毎日更新するguchiパパのブログが2日間更
新されいない事は承知していたので危惧はしていた。そんな中での訃報。
あんなに元気だったguchiパパが何故?どうして?と言葉を失い涙が出て来た。
その後、葬儀の日程などが決まったがコロナ禍でもあり「家族葬」で執り行う事も伺っていた。
しかし、連絡をくれた函館のKさんにお願いし、ご家族の了解も得て葬儀に参列させて頂き感謝し
ている。奥様の香奈子さんも葬儀では気丈にふるまい私たちにも挨拶してくれたが、心情を察する
になにも聞けなかった。香奈子さんはその後、guchiパパのブログを利用して読者にも挨拶している
し、「お別れ会」にも触れて日程が決まり次第ブログで報告します。とあったが、奥様にとっては
時間が止まったままだったのかも知れない・・・。
Kさんから「偲ぶ会」開催の連絡は昨年から頂いて、すぐに出席の返事をしていた。
出席される人数により会場選びにも苦労されたと思うが、地元函館に住む多くの関係者の協力で準
備が進められたと後に聞く。札幌からもHYMLの仲間たちが出席していて「偲ぶ会」は32名と
聞いている。HYML函館懇親会の中での「偲ぶ会」だったが、大いに盛り上がる中でguchiパパを
語り合う仲間たちとのひと時だった。
【2月9日 (金) 】
坂口一弘 (さかぐちかずひろ) (2021.2.10 76歳 没)
HYML (北海道の山メーリングリスト) (1999.12 創立) の創立メンバー。当時はまだインターネッ
トの普及も少なく山情報が僅少なために、初心者の登れる山は限定的だった。そこで北海道の山情
報に特化した情報交換が出来ないかと考えたのが、メーリングリストでした。数名から立ち上げた
メーリングリストも少しずつ会員が増え、創立10年目の時には800名を超える大所帯に膨れ上
がっていた。(現在は600名弱)
登山を40代後半 (1992) から始めた坂口さんは、1998年にホームページ「一人歩きの北海道山
紀行」を開設し、これをベースに翌年「北海道の山メーリングリスト」 (HYML) の創設に関わっ
た。一人歩きが基本のスタイルだったが、独りよがりの山から脱皮でき、より多くの山に足跡を残
す事が出来たのは、HYMLの仲間のお陰と著書「ほっかいどう山楽紀行」のあとがきでも述べて
いる。年間100日を越える山行を目標にしたり、6年かけて「日本三百名山」も完登、道内の山
は650山以上踏破し、一人旅では四国遍路、熊野古道、中山道、大峰奥駈道などを踏破して来た。
著書「ほっかどう山楽紀行」は、2017年4月20日共同文化社から出版されたが、それまで北
海道新聞 (札幌圏版) に5年間で115回に及ぶ山紀行の連載がベースになって執筆されたものだっ
た。単なるガイド本にならないよう、その山の魅力、特色、歴史などを自分が登った時の感動や出
合いのエピソードを中心に綴られている。
これまで2度の大腸癌で手術をしながらも克服しブログ「癌春 (がんばる) 日記」でも日常の出来事
や山紀行を毎日更新していました。これからも元気で愛好家の皆さんに少しでも多くの山情報を発
信し続けるはずでした。この日もクロスカントリースキーの練習をすると言って自宅を出、伊達市
大滝区にあるクロスカントリーコースに向かったのです。前日、夫婦の会話の中で8キロコースを
3周すると言っていたそうですが、そのコース上で倒れていたところで同じく練習に来ていた自衛
隊の方に発見され病院に搬送されました。しかし、午後死亡が確認されました。
突然の訃報で言葉も失いましたが、当時はコロナ禍でもあり葬儀は家族葬で執り行われました。
奥様も気丈に夫のブログを更新し「訃報」のお知らせとお礼を綴っていました。坂口さんと山行を
共にした多くの仲間たちも悲しみに暮れながら葬儀にも参列したかったと思いますが、後に「お別
れ会」をしたいと言う奥様の意向に応えてその日を待っていたと思います。
完全に感染拡大が終わった訳ではありませんが、コロナの感染が「五類扱い」となってから徐々に
規制も緩和され、ようやくの「偲ぶ会」が開催される事になったと思います。葬儀からずっと傍に
居て準備に関わって来た函館のKさん始め、スキー連盟の方々やHYML函館在住の方々が中心に
なって進められ、2月9日の「偲ぶ会」開催となりました。
「偲ぶ会」と共にHYML函館懇親会でもあり後半で撮った集合写真です・・(一部帰宅された方も)
2011.6.21 guchiパパと二人で登った滝ノ沢岳(1352m)・・・背景は前岳(1501m)と夕張岳(1668m)
2009.3.29 guchiパパの案内で登った道南「カスべ岳 (1049m) 」頂上にて
心からguchiパパのご冥福をお祈りしています。
guchiパパ、ありがとうございました・・
「guchiパパを偲ぶ会」 in 函館
「偲ぶ会」会場に添えられたguchiパパの遺影
★ 訃報から3年経っても・・・
2021年2月10日、訃報の連絡は突然だったが、毎日更新するguchiパパのブログが2日間更
新されいない事は承知していたので危惧はしていた。そんな中での訃報。
あんなに元気だったguchiパパが何故?どうして?と言葉を失い涙が出て来た。
その後、葬儀の日程などが決まったがコロナ禍でもあり「家族葬」で執り行う事も伺っていた。
しかし、連絡をくれた函館のKさんにお願いし、ご家族の了解も得て葬儀に参列させて頂き感謝し
ている。奥様の香奈子さんも葬儀では気丈にふるまい私たちにも挨拶してくれたが、心情を察する
になにも聞けなかった。香奈子さんはその後、guchiパパのブログを利用して読者にも挨拶している
し、「お別れ会」にも触れて日程が決まり次第ブログで報告します。とあったが、奥様にとっては
時間が止まったままだったのかも知れない・・・。
Kさんから「偲ぶ会」開催の連絡は昨年から頂いて、すぐに出席の返事をしていた。
出席される人数により会場選びにも苦労されたと思うが、地元函館に住む多くの関係者の協力で準
備が進められたと後に聞く。札幌からもHYMLの仲間たちが出席していて「偲ぶ会」は32名と
聞いている。HYML函館懇親会の中での「偲ぶ会」だったが、大いに盛り上がる中でguchiパパを
語り合う仲間たちとのひと時だった。
【2月9日 (金) 】
坂口一弘 (さかぐちかずひろ) (2021.2.10 76歳 没)
HYML (北海道の山メーリングリスト) (1999.12 創立) の創立メンバー。当時はまだインターネッ
トの普及も少なく山情報が僅少なために、初心者の登れる山は限定的だった。そこで北海道の山情
報に特化した情報交換が出来ないかと考えたのが、メーリングリストでした。数名から立ち上げた
メーリングリストも少しずつ会員が増え、創立10年目の時には800名を超える大所帯に膨れ上
がっていた。(現在は600名弱)
登山を40代後半 (1992) から始めた坂口さんは、1998年にホームページ「一人歩きの北海道山
紀行」を開設し、これをベースに翌年「北海道の山メーリングリスト」 (HYML) の創設に関わっ
た。一人歩きが基本のスタイルだったが、独りよがりの山から脱皮でき、より多くの山に足跡を残
す事が出来たのは、HYMLの仲間のお陰と著書「ほっかいどう山楽紀行」のあとがきでも述べて
いる。年間100日を越える山行を目標にしたり、6年かけて「日本三百名山」も完登、道内の山
は650山以上踏破し、一人旅では四国遍路、熊野古道、中山道、大峰奥駈道などを踏破して来た。
著書「ほっかどう山楽紀行」は、2017年4月20日共同文化社から出版されたが、それまで北
海道新聞 (札幌圏版) に5年間で115回に及ぶ山紀行の連載がベースになって執筆されたものだっ
た。単なるガイド本にならないよう、その山の魅力、特色、歴史などを自分が登った時の感動や出
合いのエピソードを中心に綴られている。
これまで2度の大腸癌で手術をしながらも克服しブログ「癌春 (がんばる) 日記」でも日常の出来事
や山紀行を毎日更新していました。これからも元気で愛好家の皆さんに少しでも多くの山情報を発
信し続けるはずでした。この日もクロスカントリースキーの練習をすると言って自宅を出、伊達市
大滝区にあるクロスカントリーコースに向かったのです。前日、夫婦の会話の中で8キロコースを
3周すると言っていたそうですが、そのコース上で倒れていたところで同じく練習に来ていた自衛
隊の方に発見され病院に搬送されました。しかし、午後死亡が確認されました。
突然の訃報で言葉も失いましたが、当時はコロナ禍でもあり葬儀は家族葬で執り行われました。
奥様も気丈に夫のブログを更新し「訃報」のお知らせとお礼を綴っていました。坂口さんと山行を
共にした多くの仲間たちも悲しみに暮れながら葬儀にも参列したかったと思いますが、後に「お別
れ会」をしたいと言う奥様の意向に応えてその日を待っていたと思います。
完全に感染拡大が終わった訳ではありませんが、コロナの感染が「五類扱い」となってから徐々に
規制も緩和され、ようやくの「偲ぶ会」が開催される事になったと思います。葬儀からずっと傍に
居て準備に関わって来た函館のKさん始め、スキー連盟の方々やHYML函館在住の方々が中心に
なって進められ、2月9日の「偲ぶ会」開催となりました。
「偲ぶ会」と共にHYML函館懇親会でもあり後半で撮った集合写真です・・(一部帰宅された方も)
2011.6.21 guchiパパと二人で登った滝ノ沢岳(1352m)・・・背景は前岳(1501m)と夕張岳(1668m)
2009.3.29 guchiパパの案内で登った道南「カスべ岳 (1049m) 」頂上にて
心からguchiパパのご冥福をお祈りしています。
guchiパパ、ありがとうございました・・
鎌鹿さんのブログは知りませんでした。
後でご本人に聞いて見ようと思います。
先日の氷筍 (ニョロニョロ)は、徳舜瞥川上流にありますが、言葉で場所の説明は難しいかな?「百畳敷洞窟」で検索すると出て来ると思いますので、よろしくです。
山の仲間大切ですね。
コメントありがとうございました。
FB友達申請しましたので・・・。
鎌鹿さんのブログには エバさんが写真を担当されたことが記されていました 遠路 お疲れ様でした 私は登山というより山登り初級者ですが坂口校長さんとは山でちょくちょく会いました ヒマな時 ご覧いただければ 幸いです 先日の氷筍 場所を知りたいです そのうち山で会ったら教えて下さい 感謝
https://blog.goo.ne.jp/inaka4848/e/90cce54b0304a5c0e3aa30b53c4230f8