第二の人生
シルバーの4年を振り返る
定年退職して5回目の12月を迎えた。
大きな組織の中で長年勤めて来たせいか、組織に縛られる事を一番嫌ってた自分。
中途半端な月に退職したのも年金が満額支給される年月となり、即辞める事にした。組織から一日
でも早くオサラバしたい思いが強かった事も一因している。とは言っても、その組織に居たお陰で
家族を養う事も出来たし、今の自分たちがある事に感謝しているのも事実である。
退職したら暫くは働かず、悠々年金暮らし、夫婦で全国を旅する事が楽しみだった。
本州の山々を巡りながら車中泊を中心に一カ月くらい掛けてのんびり旅行もしたかった・・・。
しかし、退職後唯一の旅行は、翌年「道東~道北JRの旅」で僅か2泊3日の急ぎ旅に終わる。
「乗り鉄」と「飲み鉄」を兼ねて車内で飲む酒は旨く、終着駅にはほろ酔いで着くありさまだった。
駅の近くにホテルを取り居酒屋で産地の料理を楽しんだ。北の果て稚内駅では、折り返しの列車に
乗るため待ち時間は20分足らず、駅の外に出ても直ぐに戻る。旭川で降りてまた駅前のホテルで
泊まるも夕食は旨い居酒屋のパターン。
観光よりも列車に乗っている時間の方が長く、あっという間の2泊だったが、普段あまり乗ってい
ないJR線から車窓の景色を楽しみながら、のんびり行けた事が良かった。まだコロナ禍ではあっ
たが、恐れる事無く旅を満喫し無事帰宅した思い出は今も鮮明だ。
でも3年前の話なのに、10年以上昔のような気がするし、あれから旅らしい旅も出来ずに月日は
流れてしまった。
しばらく仕事はしないと言っていたのに、辞めた月にシルバー人材センターに登録してた。
高齢者も働ける職場、出来る仕事だけを選べて「組織」とはまるで違う印象は自分に合っていると
思った。最初の仕事は「除雪業務」シーズン通して8回ほど出動があった。早朝は5時半集合、極
寒の中、先輩たちがすでに公共施設の駐車場や道路を除雪機を使ったり手作業で雪を掻いていた。
右も左も分からない初心者の私、戸惑いながらも呑み込みの早さだけは要領良く、すぐに一通りの
作業は覚えたと思う。作業グループの中では一番の若手、誰よりも早く力強く除雪すれば、ちょっ
と目立った出しゃばり新人のボンズだった・・。 笑
3月でシーズンを終える頃、次はキャンプ場スタッフの話が飛び込んで来る。更に草刈りの仕事も
同時に受けた。キャンプ場はGW~10月末までで数人のスタッフで担当を交代するシフト。
受付け時の接客やお金のやり取りも現役時代から手慣れており、そもそもキャンプの知識も自然も
好きだった山オヤジだからなんの違和感も無く業務に就けた。ただ問題は、人間関係と仕事のマニ
ュアルが無かった事。仕事は「先輩のやり方を見て覚えろ」的指導だけ。見習いは無賃で自主的に
来るも来ないも自分次第・・・なんじゃこれ?って感じ。仕事のやり方も人それぞれで当初はどれ
が正解なのかも分からず・・・それで良いと言う方もいた。先輩と言ってもキャンプ経験も無く、
道具の名前さえ知らない方々。テントの設営も撤収も雑で、土足のままテントを踏んでしまったり
する。使用済みの備品も洗う事無く次の客にそのまま提供・・考えられない扱いに新人ながら口を
出してしまった事もある。シルバーだからダラダラ仕事が通用するとは思えないし、適当に時間か
ら時間までという考え方も納得していなかった。賃金の多い少ないの前に先ずはキチンと仕事を覚
え「キャンプスタッフ」としてのスキルを身に付ける事が優先だと思った。ここは公園でもあり、
公園管理も仕事の内、巡回してゴミを拾うのは当たり前も異常があれば対応するのは当たり前だと
思っていた。なのに、そうでない人もいれば巡回すら行かない先輩たちもいた。
それでも通用してた時代だったのかも知れない・・・。
しゃしゃり出て変革とか体制の見直しとかする気持ちはあっても、前に出る事を避けていた。
人に厳しく自分に甘い・・・そんな自分を知っていたから、じっと様子を見ながら意見は小出しで
言う事にしていた。
鹿公園内にある「ホタル池」朝夕は結氷し始めている・・・
★ また組織の中にいる自分・・・
前任のシルバー支所長が急に退職する事になって、交代する人材を探していた。
しかし、お願いした方々は全員「ノー」の答え。止む無く巡り巡って私に白羽の矢が立ったのはも
う3月に入る頃である。シルバー4年目の新人、単純な作業は出来てもシルバー事業を先頭に立っ
て采配したり、会計事務や役所への書類作成もあると知ると「絶対無理」だと断った。
ましてや一番嫌いな組織の上に立つ事など考えられなかったし、そもそもそんな器ではない。
それでも藁をも掴む気持ちで再び私を呼び出して、地区の理事たちにも囲まれて嘆願された。
絶対無理そうな条件を付けたら諦めてくれると思ったら、それでもいいよと背中を押すポーズに、
もう断れない状況となり受けたのが始まり・・・。ずっと後悔しているが、一方では色々学べて面
白かったとポジティブに思考を変え、失敗しても批判されても誰も居なくなっても命まで取られる
事は無いだろうと開き直って目の前の難題と格闘して来た。
本当にずぶの素人だった。分からないから何度も同じ失敗を繰り返す。お前は才能無しだねと言わ
れそうだったが、「じゃ~お前がやれよ!」と言い返す。私は今すぐ辞めても良いんですよがもう
決まり文句になった。
でも出来ないままが一番辛く、出来る男に聞くのが一番の早道。
本所の事務局長はひとつ年上だが、そもそも上司という観念は無く、云いたい事はずけずけ話し何
度も分からない事を聞いては覚える事にした。組織の中の№3みたいな立場だが、気持ちはぺいぺ
いの一年生気分。業務に限らずいろいろ裏表も聞いて、少しずつ事務作業も出来るようになって来
た。依頼主の顔や住所を覚え、会員の自宅にも何度も配送する内に2時間掛かっていたものが、今
では20分で周れるようになった。
管理職ではなく、時間給のシルバー会員として委託業務にも参戦する。
思い起こせば、また組織の中にいるものの以前の大きな組織とはまるで違う事だけは、少し気持が
癒えてなんとか続いている。
来年は、どうなるか分からない・・・。
シルバーの4年を振り返る
定年退職して5回目の12月を迎えた。
大きな組織の中で長年勤めて来たせいか、組織に縛られる事を一番嫌ってた自分。
中途半端な月に退職したのも年金が満額支給される年月となり、即辞める事にした。組織から一日
でも早くオサラバしたい思いが強かった事も一因している。とは言っても、その組織に居たお陰で
家族を養う事も出来たし、今の自分たちがある事に感謝しているのも事実である。
退職したら暫くは働かず、悠々年金暮らし、夫婦で全国を旅する事が楽しみだった。
本州の山々を巡りながら車中泊を中心に一カ月くらい掛けてのんびり旅行もしたかった・・・。
しかし、退職後唯一の旅行は、翌年「道東~道北JRの旅」で僅か2泊3日の急ぎ旅に終わる。
「乗り鉄」と「飲み鉄」を兼ねて車内で飲む酒は旨く、終着駅にはほろ酔いで着くありさまだった。
駅の近くにホテルを取り居酒屋で産地の料理を楽しんだ。北の果て稚内駅では、折り返しの列車に
乗るため待ち時間は20分足らず、駅の外に出ても直ぐに戻る。旭川で降りてまた駅前のホテルで
泊まるも夕食は旨い居酒屋のパターン。
観光よりも列車に乗っている時間の方が長く、あっという間の2泊だったが、普段あまり乗ってい
ないJR線から車窓の景色を楽しみながら、のんびり行けた事が良かった。まだコロナ禍ではあっ
たが、恐れる事無く旅を満喫し無事帰宅した思い出は今も鮮明だ。
でも3年前の話なのに、10年以上昔のような気がするし、あれから旅らしい旅も出来ずに月日は
流れてしまった。
しばらく仕事はしないと言っていたのに、辞めた月にシルバー人材センターに登録してた。
高齢者も働ける職場、出来る仕事だけを選べて「組織」とはまるで違う印象は自分に合っていると
思った。最初の仕事は「除雪業務」シーズン通して8回ほど出動があった。早朝は5時半集合、極
寒の中、先輩たちがすでに公共施設の駐車場や道路を除雪機を使ったり手作業で雪を掻いていた。
右も左も分からない初心者の私、戸惑いながらも呑み込みの早さだけは要領良く、すぐに一通りの
作業は覚えたと思う。作業グループの中では一番の若手、誰よりも早く力強く除雪すれば、ちょっ
と目立った出しゃばり新人のボンズだった・・。 笑
3月でシーズンを終える頃、次はキャンプ場スタッフの話が飛び込んで来る。更に草刈りの仕事も
同時に受けた。キャンプ場はGW~10月末までで数人のスタッフで担当を交代するシフト。
受付け時の接客やお金のやり取りも現役時代から手慣れており、そもそもキャンプの知識も自然も
好きだった山オヤジだからなんの違和感も無く業務に就けた。ただ問題は、人間関係と仕事のマニ
ュアルが無かった事。仕事は「先輩のやり方を見て覚えろ」的指導だけ。見習いは無賃で自主的に
来るも来ないも自分次第・・・なんじゃこれ?って感じ。仕事のやり方も人それぞれで当初はどれ
が正解なのかも分からず・・・それで良いと言う方もいた。先輩と言ってもキャンプ経験も無く、
道具の名前さえ知らない方々。テントの設営も撤収も雑で、土足のままテントを踏んでしまったり
する。使用済みの備品も洗う事無く次の客にそのまま提供・・考えられない扱いに新人ながら口を
出してしまった事もある。シルバーだからダラダラ仕事が通用するとは思えないし、適当に時間か
ら時間までという考え方も納得していなかった。賃金の多い少ないの前に先ずはキチンと仕事を覚
え「キャンプスタッフ」としてのスキルを身に付ける事が優先だと思った。ここは公園でもあり、
公園管理も仕事の内、巡回してゴミを拾うのは当たり前も異常があれば対応するのは当たり前だと
思っていた。なのに、そうでない人もいれば巡回すら行かない先輩たちもいた。
それでも通用してた時代だったのかも知れない・・・。
しゃしゃり出て変革とか体制の見直しとかする気持ちはあっても、前に出る事を避けていた。
人に厳しく自分に甘い・・・そんな自分を知っていたから、じっと様子を見ながら意見は小出しで
言う事にしていた。
鹿公園内にある「ホタル池」朝夕は結氷し始めている・・・
★ また組織の中にいる自分・・・
前任のシルバー支所長が急に退職する事になって、交代する人材を探していた。
しかし、お願いした方々は全員「ノー」の答え。止む無く巡り巡って私に白羽の矢が立ったのはも
う3月に入る頃である。シルバー4年目の新人、単純な作業は出来てもシルバー事業を先頭に立っ
て采配したり、会計事務や役所への書類作成もあると知ると「絶対無理」だと断った。
ましてや一番嫌いな組織の上に立つ事など考えられなかったし、そもそもそんな器ではない。
それでも藁をも掴む気持ちで再び私を呼び出して、地区の理事たちにも囲まれて嘆願された。
絶対無理そうな条件を付けたら諦めてくれると思ったら、それでもいいよと背中を押すポーズに、
もう断れない状況となり受けたのが始まり・・・。ずっと後悔しているが、一方では色々学べて面
白かったとポジティブに思考を変え、失敗しても批判されても誰も居なくなっても命まで取られる
事は無いだろうと開き直って目の前の難題と格闘して来た。
本当にずぶの素人だった。分からないから何度も同じ失敗を繰り返す。お前は才能無しだねと言わ
れそうだったが、「じゃ~お前がやれよ!」と言い返す。私は今すぐ辞めても良いんですよがもう
決まり文句になった。
でも出来ないままが一番辛く、出来る男に聞くのが一番の早道。
本所の事務局長はひとつ年上だが、そもそも上司という観念は無く、云いたい事はずけずけ話し何
度も分からない事を聞いては覚える事にした。組織の中の№3みたいな立場だが、気持ちはぺいぺ
いの一年生気分。業務に限らずいろいろ裏表も聞いて、少しずつ事務作業も出来るようになって来
た。依頼主の顔や住所を覚え、会員の自宅にも何度も配送する内に2時間掛かっていたものが、今
では20分で周れるようになった。
管理職ではなく、時間給のシルバー会員として委託業務にも参戦する。
思い起こせば、また組織の中にいるものの以前の大きな組織とはまるで違う事だけは、少し気持が
癒えてなんとか続いている。
来年は、どうなるか分からない・・・。
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