夕張山系・・・吉凶岳 (1208.4m)
冬山は体力とタイムが勝負だった・・・
■ 山 行 日 2009年01月20日(火)~21日(水) 1泊2日
■ ル ー ト ポントナシベツ林道~北東尾根 往復
■ メ ン バ ー 夫婦登山 №3
■ 登 山 形 態 山スキー
■ 地 形 図 1/25000地形図 「夕張岳」
■ 三角点・点名 三等三角点 点名「桔梗岳 キキョウダケ」
■ コースタイム 林道往路 4時間40分 林道復路 3時間40分
登り 約5時間 下 り 2時間15分
<登り>
09:20 最終民家P出発
14:40 林道終点(桔梗川出合) テント設営 C1
06:40 テン場出発
07:10 二股
07:40 C500尾根上
09:30 799地点
10:45 987m肩
11:40 約1100m地点
<下り>
11:45 下山開始
14:00 テン場 テント撤収
17:40 最終民家(駐車地)
最終民家のある林道から望む「吉凶岳」
正に「吉と出るか、凶と出るか・・」今年の山登りを占うかのような山名についつい願をかけたくなる計画
をしてしまった。
吉凶岳は、夕張山地の東側、夕張岳の北に位置する1200m級の山である。夏道は無く登頂方法は、沢か
積雪期しかないだろう。登頂記録も乏しく沢ならポントナシベツ川支流結梗川の左股北東面直登沢かエバナ
オマントシュベツ川右股南東面直登沢の2ルート、積雪期も今回挑戦した北東尾根ルートと南東尾根ルート
が考えられる。それ以外の尾根は急峻で複雑な地形を形成しているし、西側からの取付きは夕張岳と芦別岳
を結ぶ主稜線上からとなり私の技量におよぶところではない。
今回のルートは、唯一報告されていたネット情報「地図がガイドの山歩き」saijyoさんのHPと私が教本とし
ている八谷和彦氏著書の「ガイドブックにない北海道の山々」で紹介されている吉凶岳を参考にさせて頂き
1泊2日で計画した。紹介されているいずれの吉凶岳は同一山行でそれぞれが報告しているものと判る。
6人パーティー1月の山行記だった。
【1/20(火)】
★ 8.5キロの林道歩き・・・
走ってみれば自宅から僅か2時間で登山口に到着。金山・十梨別地区の最終民家まで除雪され以降は手付か
ずの雪原化した大海原が広がっていた。車は民家の許可を得て指定された場所に駐車した。
夕張岳・金山コースの林道入口にもなるところだが、ここからは車では無く約8.5キロの林道歩きが待っ
ている。覚悟して来たとは言え久しぶりの重荷を背負って最初からラッセルのスタートとなった。
「よろしくお願いします・・」と登山開始の挨拶は夫婦でも忘れない。
快晴・無風のスタートが切れた事だけでも幸せを感じる。前方を見渡せば林道の先に聳え立つ山はまぎれも
無く「吉凶岳」だった。「明日はそこに行くからな」と山に向って密かな誓いを立てる。最初の目標、林道
上の分岐「羽沢橋」まで約3.5キロに1時間50分を要した。幸い?にして足首ほどのラッセルではあっ
たがリズミカルな足取りではないようだ。そして林道の最終目的地、ポントナシベツ川支流結梗川との出合
に着いたのは丁度14:00だった。
スタートして8.5キロに約4時間40分を要して辿り着いた事になる。
まだ歩き始めた林道・・・前方には吉凶岳を望む
★ テン場の変更・・・
計画のテント場は、最低でも北東尾根の稜線上570m付近までは上がりたかった。
しかし、疲労困憊気味の二人と未知なる沢の状態や尾根への取付きにも不安要素があり今の時間と鑑みてこ
こをテント場に変更する事に決めた。林道上の積雪は1m以上はあったが柔らかいパウダースノー、いくら
踏み固めようとしてもなかなか固まってはくれなかった。少し掘った後に雪面をスコップで叩き平らにして
無理やりテントを張った。設営には40分かかった。
ここをテン場にしたことでメリットとデメリットが発生する。メリットは、沢のすぐ横なので水を作る手間
が無くなること。デメリットは、明日の行動距離が長くなり時間的な制約が出来ることだった。いずれにし
ても、もう重荷を背負わずに済むと判れば安堵感に満ち溢れる。
設営後、時間が早いので空身で沢の偵察に出掛けた。
ネット上の写真と比べて見ても雪の量は格段に少なかった。渡渉点を探しながら微妙な渡渉を繰り返し何と
か沢の二股、北東尾根の末端まで来る事が出来たが、見上げる尾根の取り付きを見てテン場の変更は正解だ
ったと納得する。
空身とは言えテン場から50分も掛かっていたし(帰りは、25分だった)、この尾根を重荷を背負って登る
のは大変な労力と時間を要すると思った。
テン場となった結梗川出合の橋と林道・・・下山時に撮る
積雪が少なく渡渉に苦労した (偵察 帰路の沢にて)
★ 至福の安着とチーヤンの手料理・・・
偵察を終えてテン場には16時丁度に着く。沢から水をたっぷり汲み早々テントに潜り込む。そして、山行
の醍醐味でもある冷やしていた缶ビールでの乾杯は何とも言えない幸福感であった。明日は山に登らずこの
まま下山しても世は満足じゃ・・と思える至福の時間である。そしてまたパートナー・チーヤンの特製クリ
ームシチューと数々の肴で談笑し今宵もあっという間に過ぎていった。
外は小雪がパラつくも風も無く沢の音だけが聞こえる・・早朝の出発を前に19時に就寝した。
【1/21(水)】
夜中に何度か目が覚めた。沢のそばのテン場だけに異常な冷え込みで寒くて目覚めたのだ。
4時30分、起床。エバ夫婦最初の決まり事はコーヒーを落とす事から始まる。
朝食は、昨夜のクリームシチューとアルファー米(五目おこわ)で頂く。
6時40分、出発。
昨日の疲れを感じながらも軽い日帰り装備の出発は楽だった。偵察したトレースを辿り二股には30分で着
いた。尾根への取付きは目視で末端から行けると判断し急な斜面に取付いた。しかしこれに苦戦して時間を
要し僅か40~50mの標高差を登るのに30分も掛かってしまった。標高約500mの尾根上で7時40
分だった。尾根上の雪は軽くラッセルも足首程度でこの先は順調だろうと思ったが、地図上の799m地点
まで約2時間、ここから徐々に傾斜が増し987mの頂上肩まで1時15分も掛かってしまった。
800m付近から望む北西の1146峰
北東尾根を登る・・・
登頂を断念した標高1100m付近の稜線上エバ夫婦の吉凶岳頂上である・・
背景のポコは、頂上から東に派生する尾根上のピークで頂上から約300mの位置にある
★ 直下の登頂断念、涙の下山・・・
急峻な痩せ尾根に柔らかい中途半端な雪庇のコブ、テン場からすでに4時間を要してようやく987mである。
当初行動時間は11時までとしていただけに次第に登頂の夢が薄らいで来た。更に見上げる雪庇と東西に切れ
落ちた急峻な痩せ尾根を前に暫し足が止まるエバである。ルートは稜線上しかなく東側に張り出した雪庇も最
初は大きくはなかった。しかし、凸凹に連なる雪庇のコブが次々と現われ前進を阻まれた。スキーを片足脱い
で攀じ登ったり西側の潅木に掴まりながら回り込んだりと悪戦苦闘を繰り返した。最後は雪崩のリスクを覚悟
で東側の雪庇の下をトラバースするように登りなんとか1100m付近に辿り着いた。すぐ目の前には頂上か
ら東に派生している尾根上のポコピークが見える。ほんと頂上はすぐそこにあるのだ。
★ 針の上の団子・・・
しかし、とうとう捕まってしまった。
正に「針の上に乗っかっている団子」のような雪庇の塊が前途に立ち塞がる。普通では到底越えられない大き
さだった。距離は僅か20~30mだろうか。一度は雪庇の下のトラバースを試みた。もしこけたら300m
は落ちるだろう。一歩二歩と前進すると「バギッ・・!」という鈍い音が足元から響き渡る・・。やばい雪崩
ると、すぐさま退散で事無きを得、胸を撫で下ろす。稜線に戻り最後の思案はツボ足。しかし、チーヤンは何
とか歩けるもエバの体重には雪が持たなかった。腰、胸まで埋まり一歩も進めなかった。
勇気有る決断・・
11時40分、タイムアウト。登行を中止登頂を断念して下山を決める。
(テン場から5時間が経過していた・・)
★ 山のお土産・・・
なんと言っても下りは楽だった。シールを付けたままだったがパウダースノーの急斜面を一部楽しむ事が出来
たし、時間が無いと言っていたわりに途中で見つけたカバノアナタケを約3キロもゲットしての下山だった。
尾根の取付きには、13時20分。テント場には14時丁度に着いた。登頂こそ出来なかったが大きな成果有
る山行に満足感がひしひしと沸くテン場到着である。
雪降る中のテント撤収。重くなったザックを背負って再び来た道を歩き始めた。
自分達のトレースが安心感と安堵感で少しは頑張れた。
「また来るぞ」とその時は、とても思えなかったが今は必ずや再来を誓って登頂することを決意している
。夏になるかまた冬か・・・
チーヤン ほんとうにお疲れ様でした。
下山後に写した唯一のツーショットでした・・・
※ この山行記は、2021年1月19日に再編集してアップしました・・。
冬山は体力とタイムが勝負だった・・・
■ 山 行 日 2009年01月20日(火)~21日(水) 1泊2日
■ ル ー ト ポントナシベツ林道~北東尾根 往復
■ メ ン バ ー 夫婦登山 №3
■ 登 山 形 態 山スキー
■ 地 形 図 1/25000地形図 「夕張岳」
■ 三角点・点名 三等三角点 点名「桔梗岳 キキョウダケ」
■ コースタイム 林道往路 4時間40分 林道復路 3時間40分
登り 約5時間 下 り 2時間15分
<登り>
09:20 最終民家P出発
14:40 林道終点(桔梗川出合) テント設営 C1
06:40 テン場出発
07:10 二股
07:40 C500尾根上
09:30 799地点
10:45 987m肩
11:40 約1100m地点
<下り>
11:45 下山開始
14:00 テン場 テント撤収
17:40 最終民家(駐車地)
最終民家のある林道から望む「吉凶岳」
正に「吉と出るか、凶と出るか・・」今年の山登りを占うかのような山名についつい願をかけたくなる計画
をしてしまった。
吉凶岳は、夕張山地の東側、夕張岳の北に位置する1200m級の山である。夏道は無く登頂方法は、沢か
積雪期しかないだろう。登頂記録も乏しく沢ならポントナシベツ川支流結梗川の左股北東面直登沢かエバナ
オマントシュベツ川右股南東面直登沢の2ルート、積雪期も今回挑戦した北東尾根ルートと南東尾根ルート
が考えられる。それ以外の尾根は急峻で複雑な地形を形成しているし、西側からの取付きは夕張岳と芦別岳
を結ぶ主稜線上からとなり私の技量におよぶところではない。
今回のルートは、唯一報告されていたネット情報「地図がガイドの山歩き」saijyoさんのHPと私が教本とし
ている八谷和彦氏著書の「ガイドブックにない北海道の山々」で紹介されている吉凶岳を参考にさせて頂き
1泊2日で計画した。紹介されているいずれの吉凶岳は同一山行でそれぞれが報告しているものと判る。
6人パーティー1月の山行記だった。
【1/20(火)】
★ 8.5キロの林道歩き・・・
走ってみれば自宅から僅か2時間で登山口に到着。金山・十梨別地区の最終民家まで除雪され以降は手付か
ずの雪原化した大海原が広がっていた。車は民家の許可を得て指定された場所に駐車した。
夕張岳・金山コースの林道入口にもなるところだが、ここからは車では無く約8.5キロの林道歩きが待っ
ている。覚悟して来たとは言え久しぶりの重荷を背負って最初からラッセルのスタートとなった。
「よろしくお願いします・・」と登山開始の挨拶は夫婦でも忘れない。
快晴・無風のスタートが切れた事だけでも幸せを感じる。前方を見渡せば林道の先に聳え立つ山はまぎれも
無く「吉凶岳」だった。「明日はそこに行くからな」と山に向って密かな誓いを立てる。最初の目標、林道
上の分岐「羽沢橋」まで約3.5キロに1時間50分を要した。幸い?にして足首ほどのラッセルではあっ
たがリズミカルな足取りではないようだ。そして林道の最終目的地、ポントナシベツ川支流結梗川との出合
に着いたのは丁度14:00だった。
スタートして8.5キロに約4時間40分を要して辿り着いた事になる。
まだ歩き始めた林道・・・前方には吉凶岳を望む
★ テン場の変更・・・
計画のテント場は、最低でも北東尾根の稜線上570m付近までは上がりたかった。
しかし、疲労困憊気味の二人と未知なる沢の状態や尾根への取付きにも不安要素があり今の時間と鑑みてこ
こをテント場に変更する事に決めた。林道上の積雪は1m以上はあったが柔らかいパウダースノー、いくら
踏み固めようとしてもなかなか固まってはくれなかった。少し掘った後に雪面をスコップで叩き平らにして
無理やりテントを張った。設営には40分かかった。
ここをテン場にしたことでメリットとデメリットが発生する。メリットは、沢のすぐ横なので水を作る手間
が無くなること。デメリットは、明日の行動距離が長くなり時間的な制約が出来ることだった。いずれにし
ても、もう重荷を背負わずに済むと判れば安堵感に満ち溢れる。
設営後、時間が早いので空身で沢の偵察に出掛けた。
ネット上の写真と比べて見ても雪の量は格段に少なかった。渡渉点を探しながら微妙な渡渉を繰り返し何と
か沢の二股、北東尾根の末端まで来る事が出来たが、見上げる尾根の取り付きを見てテン場の変更は正解だ
ったと納得する。
空身とは言えテン場から50分も掛かっていたし(帰りは、25分だった)、この尾根を重荷を背負って登る
のは大変な労力と時間を要すると思った。
テン場となった結梗川出合の橋と林道・・・下山時に撮る
積雪が少なく渡渉に苦労した (偵察 帰路の沢にて)
★ 至福の安着とチーヤンの手料理・・・
偵察を終えてテン場には16時丁度に着く。沢から水をたっぷり汲み早々テントに潜り込む。そして、山行
の醍醐味でもある冷やしていた缶ビールでの乾杯は何とも言えない幸福感であった。明日は山に登らずこの
まま下山しても世は満足じゃ・・と思える至福の時間である。そしてまたパートナー・チーヤンの特製クリ
ームシチューと数々の肴で談笑し今宵もあっという間に過ぎていった。
外は小雪がパラつくも風も無く沢の音だけが聞こえる・・早朝の出発を前に19時に就寝した。
【1/21(水)】
夜中に何度か目が覚めた。沢のそばのテン場だけに異常な冷え込みで寒くて目覚めたのだ。
4時30分、起床。エバ夫婦最初の決まり事はコーヒーを落とす事から始まる。
朝食は、昨夜のクリームシチューとアルファー米(五目おこわ)で頂く。
6時40分、出発。
昨日の疲れを感じながらも軽い日帰り装備の出発は楽だった。偵察したトレースを辿り二股には30分で着
いた。尾根への取付きは目視で末端から行けると判断し急な斜面に取付いた。しかしこれに苦戦して時間を
要し僅か40~50mの標高差を登るのに30分も掛かってしまった。標高約500mの尾根上で7時40
分だった。尾根上の雪は軽くラッセルも足首程度でこの先は順調だろうと思ったが、地図上の799m地点
まで約2時間、ここから徐々に傾斜が増し987mの頂上肩まで1時15分も掛かってしまった。
800m付近から望む北西の1146峰
北東尾根を登る・・・
登頂を断念した標高1100m付近の稜線上エバ夫婦の吉凶岳頂上である・・
背景のポコは、頂上から東に派生する尾根上のピークで頂上から約300mの位置にある
★ 直下の登頂断念、涙の下山・・・
急峻な痩せ尾根に柔らかい中途半端な雪庇のコブ、テン場からすでに4時間を要してようやく987mである。
当初行動時間は11時までとしていただけに次第に登頂の夢が薄らいで来た。更に見上げる雪庇と東西に切れ
落ちた急峻な痩せ尾根を前に暫し足が止まるエバである。ルートは稜線上しかなく東側に張り出した雪庇も最
初は大きくはなかった。しかし、凸凹に連なる雪庇のコブが次々と現われ前進を阻まれた。スキーを片足脱い
で攀じ登ったり西側の潅木に掴まりながら回り込んだりと悪戦苦闘を繰り返した。最後は雪崩のリスクを覚悟
で東側の雪庇の下をトラバースするように登りなんとか1100m付近に辿り着いた。すぐ目の前には頂上か
ら東に派生している尾根上のポコピークが見える。ほんと頂上はすぐそこにあるのだ。
★ 針の上の団子・・・
しかし、とうとう捕まってしまった。
正に「針の上に乗っかっている団子」のような雪庇の塊が前途に立ち塞がる。普通では到底越えられない大き
さだった。距離は僅か20~30mだろうか。一度は雪庇の下のトラバースを試みた。もしこけたら300m
は落ちるだろう。一歩二歩と前進すると「バギッ・・!」という鈍い音が足元から響き渡る・・。やばい雪崩
ると、すぐさま退散で事無きを得、胸を撫で下ろす。稜線に戻り最後の思案はツボ足。しかし、チーヤンは何
とか歩けるもエバの体重には雪が持たなかった。腰、胸まで埋まり一歩も進めなかった。
勇気有る決断・・
11時40分、タイムアウト。登行を中止登頂を断念して下山を決める。
(テン場から5時間が経過していた・・)
★ 山のお土産・・・
なんと言っても下りは楽だった。シールを付けたままだったがパウダースノーの急斜面を一部楽しむ事が出来
たし、時間が無いと言っていたわりに途中で見つけたカバノアナタケを約3キロもゲットしての下山だった。
尾根の取付きには、13時20分。テント場には14時丁度に着いた。登頂こそ出来なかったが大きな成果有
る山行に満足感がひしひしと沸くテン場到着である。
雪降る中のテント撤収。重くなったザックを背負って再び来た道を歩き始めた。
自分達のトレースが安心感と安堵感で少しは頑張れた。
「また来るぞ」とその時は、とても思えなかったが今は必ずや再来を誓って登頂することを決意している
。夏になるかまた冬か・・・
チーヤン ほんとうにお疲れ様でした。
下山後に写した唯一のツーショットでした・・・
※ この山行記は、2021年1月19日に再編集してアップしました・・。
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