ー 圓教寺パンフレットより ー
こちらは、ハリウッド映画 「ラストサムライ」やNHK大河ドラマ 「軍師官兵衛」のロケが
行われた圓教寺の中心道場と言える三つの堂がコの字に配置された伽藍空間です。
右手の建物は大講堂、中央は食堂、左手が常行堂。
いずれも室町時代の建物で、「一度は訪れてみたい名建築」として、
「週刊古寺をゆく・別冊」(小学)で紹介されたことがあります。
樹齢数百年の杉木立の道を抜け、急な坂道を上ります。
ー 大講堂 ー (国重要文化財)
こちらは僧たちの勉強と修行の場
播磨の諸将が信長に加勢する中、別所長治が毛利方に寝返り、
窮地に立たされた秀吉は、官兵衛の進言によりこの圓教寺に
本陣を移し難を逃れたと言われています。
ここは、信長からの大勢の援軍を収容でき、山上にあることから
敵を監視するのに好適との官兵衛の判断だったのでしょう。
そんな歴史の一コマを彷彿とさせる凛々しい雰囲気が漂っています。
大講堂の軒下
風雪に耐えた木材の貫禄
お祀りしているのは、釈迦三尊像 (脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩)ですが、
普段は拝観不可で、GWの新緑まつりと12月14日~16日のみ特別公開されます。
ー食堂 (じきどう) ー
修行僧の寝食のための建物 (国指定重要文化財)
長さ約45mの二階建ての建物は他に類を見ないそうです。
今では、1階が写経や座禅体験の場として解放され、
2階は寺宝の宝物館となっています。
圓教寺は弁慶が修行したことでも知られていますが、
この宝物館には 「弁慶の勉強机」 も展示されています。
分厚い一枚板のかなり重そうな机ですが、弁慶はこの机を
境内のあちこちに持ち運んで、そこで勉強していたようです。
あの屈強な弁慶さんが机を持ってウロウロしているなんて、
想像するだけでも、益々弁慶さんが可愛らしく思えてなりませんでした。
ー 金剛薩た座像 (こんごうさった) ー
この座像は金剛堂の本尊ですが、この宝物殿に展示されています。
※「薩た」の「た」は漢字ですがパソコンでは出てこないので平仮名にしました。
ー 常行堂 (じょうぎょうどう) ー
本尊は阿弥陀如来座像 建物と共に国の重要文化財
ここは、常行三昧という修行の場
(常行三昧とは、ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行のこと)
舞台と楽屋が付いた珍しい建物
張り出した舞台は、向かい合う大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのもの。
~ * ~ 三か所の特別公開 ~ * ~
ー 本多家廟所 5棟 ー
食堂の向いに土塀で囲まれた姫路城主本多家の墓所があります。
この度、特別公開で中まで入らせて頂きました。
江戸初期から中期にわたる廟建築として、県下でも類例のない貴重な遺構とのことです。
ー 十妙院 及び狩野永納襖絵 ー(国指定重要文化財)
江戸中期に建築され、圓教寺型といわれる独特の構造を持った塔頭といわれています。
内部にある襖絵は狩野永納筆で、この度特別公開されました。
ー 金剛堂 ー (国指定重要文化財)
こちらは室町時代の建物で二間四方の小さいお堂
天女の天井絵が特別公開されました。
本尊の「金剛薩た」は食堂の宝物館に展示されています。
金剛堂前の山上公園からは、はるか瀬戸内海や小豆島まで見渡せます。
はるばると のぼれば書写の 山おろし
松のひびきも 御法なるらん
※釈迦三尊像と金剛薩た座像の画像は「西国三十三所をめぐる本」より
(株 京阪神エルマガジン社)
こちらは、ハリウッド映画 「ラストサムライ」やNHK大河ドラマ 「軍師官兵衛」のロケが
行われた圓教寺の中心道場と言える三つの堂がコの字に配置された伽藍空間です。
右手の建物は大講堂、中央は食堂、左手が常行堂。
いずれも室町時代の建物で、「一度は訪れてみたい名建築」として、
「週刊古寺をゆく・別冊」(小学)で紹介されたことがあります。
樹齢数百年の杉木立の道を抜け、急な坂道を上ります。
ー 大講堂 ー (国重要文化財)
こちらは僧たちの勉強と修行の場
播磨の諸将が信長に加勢する中、別所長治が毛利方に寝返り、
窮地に立たされた秀吉は、官兵衛の進言によりこの圓教寺に
本陣を移し難を逃れたと言われています。
ここは、信長からの大勢の援軍を収容でき、山上にあることから
敵を監視するのに好適との官兵衛の判断だったのでしょう。
そんな歴史の一コマを彷彿とさせる凛々しい雰囲気が漂っています。
大講堂の軒下
風雪に耐えた木材の貫禄
お祀りしているのは、釈迦三尊像 (脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩)ですが、
普段は拝観不可で、GWの新緑まつりと12月14日~16日のみ特別公開されます。
ー食堂 (じきどう) ー
修行僧の寝食のための建物 (国指定重要文化財)
長さ約45mの二階建ての建物は他に類を見ないそうです。
今では、1階が写経や座禅体験の場として解放され、
2階は寺宝の宝物館となっています。
圓教寺は弁慶が修行したことでも知られていますが、
この宝物館には 「弁慶の勉強机」 も展示されています。
分厚い一枚板のかなり重そうな机ですが、弁慶はこの机を
境内のあちこちに持ち運んで、そこで勉強していたようです。
あの屈強な弁慶さんが机を持ってウロウロしているなんて、
想像するだけでも、益々弁慶さんが可愛らしく思えてなりませんでした。
ー 金剛薩た座像 (こんごうさった) ー
この座像は金剛堂の本尊ですが、この宝物殿に展示されています。
※「薩た」の「た」は漢字ですがパソコンでは出てこないので平仮名にしました。
ー 常行堂 (じょうぎょうどう) ー
本尊は阿弥陀如来座像 建物と共に国の重要文化財
ここは、常行三昧という修行の場
(常行三昧とは、ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行のこと)
舞台と楽屋が付いた珍しい建物
張り出した舞台は、向かい合う大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのもの。
~ * ~ 三か所の特別公開 ~ * ~
ー 本多家廟所 5棟 ー
食堂の向いに土塀で囲まれた姫路城主本多家の墓所があります。
この度、特別公開で中まで入らせて頂きました。
江戸初期から中期にわたる廟建築として、県下でも類例のない貴重な遺構とのことです。
ー 十妙院 及び狩野永納襖絵 ー(国指定重要文化財)
江戸中期に建築され、圓教寺型といわれる独特の構造を持った塔頭といわれています。
内部にある襖絵は狩野永納筆で、この度特別公開されました。
ー 金剛堂 ー (国指定重要文化財)
こちらは室町時代の建物で二間四方の小さいお堂
天女の天井絵が特別公開されました。
本尊の「金剛薩た」は食堂の宝物館に展示されています。
金剛堂前の山上公園からは、はるか瀬戸内海や小豆島まで見渡せます。
はるばると のぼれば書写の 山おろし
松のひびきも 御法なるらん
※釈迦三尊像と金剛薩た座像の画像は「西国三十三所をめぐる本」より
(株 京阪神エルマガジン社)
昔のことになると印象も薄れてしまうことが多いですね。
新鮮な気持ちでご覧頂けて良かったです。
姫路は、大阪など都会の方から見ると結構な田舎のように思われているようですね、一応、人口53万の都市です。
市街地はこじんまりしていますが、清潔感のあるすっきりとした雰囲気です。
帰国の折に、姫路城、好古園、書写山の三点セットで、是非、遊びにいらして下さい。
姫路城に来られる外国のツアーの方は、書写山まで行かれる方は少ないです。
その点、以前にお城で出会った一人旅のフインランドの若者は「書写山にも行く」と言っていました。
やはり特別な所ですから、それなりに知識のある方がチョイスしているようです。
弁慶さんはとても可愛いですよ。
書写山よりだいぶ東方になりますが、山をいくつも越えて「播州清水寺」まで弁慶さんが遊びに行った時の話。
それは、そのお寺のお坊さんたちと碁をしていて負けた時、あまりに悔しくて碁石を碁盤にめり込ませたとのこと、実際にその碁盤を見て来ました。
そのことは、無邪気に遊ぶ弁慶さんを可愛いと思う初めてのことでした。強いだけじゃなかったんですね♪
書写山から車で1時間ほどの所に住んでいます。
思い立ったらいつでも行ける距離です。
「書写」は、素戔嗚尊が山上に降り立ったという言い伝えから「素戔」が「書写」になったと言われています。
地名の由来も知ると面白いことが多いですね。
圓教寺の建物の中で、常行堂は寺伝によると1331年~1334年に建立とありますから、当初の建物は鎌倉時代のもののようです。
そのわずか2年後に焼失してしまい、現在残っている建物は室町時代に再建されたとあります。
中央の舞台は唐破風造りで美しいものです。
杉木立の参道は静寂そのものです。
ここを修行の僧たちが行き交っていたのかと想像すると、何やら身が引き締まる思いがします。
西に向かってお越しの際は、ちょっと足を伸ばして是非いらして下さい。
書写山はハイキングコースとしても良いところです。
歩きなれているtyakoさんなら、ロープウェイを使わずに下から山頂まで歩いていけると思います。
紅葉の頃もきれいですが、新緑の頃は全山が緑でしたたるような美しさです。是非いらして下さい。
太閤記に使われるのは、実際に秀吉の本陣となったことがあるので、まさにそのものの場所ですね。
他にも「武蔵」で使われたようです。
杉木立の参道は、上り坂、下り坂あり、変化があって面白いです。
精進料理を供する塔頭もありますので、そちらで昼食をとるのもいいですね。
宿坊もありますので、泊りがけで来られるのも、早朝の凜とした雰囲気が味わえて良いかも知れません。
今は姫路城と一緒に訪れる方が増えているのでしょうか。
私の知っている姫路は田舎で、御座候のイメージしかないのですが、今はずいぶん変わったんでしょうね。
それにしても弁慶さん、机を持ち運んで勉強していたなんて。
想像して私も可愛いと思ってしまいました。
お住まいなのでしょうか。
それにしましても地名の書写からも歴史との関わり
の深い場所と感じます。 圓教寺は室町時代の構造
物とのことですが、どこか鎌倉時代の唐様式の趣を
感じます。樹齢百数十年の杉木立の坂道、画像を見
ていますとを歩いてみたくなります。
ずっと行きたいと思いつつ中々行けないところです。
ブログを拝見して、ますます行きたくなりました。
若かった頃「太閤記」にででいたお寺さんです。
書写山と見ただけで思い出しました。