小豆ばばあ (原題:小豆老女)
2024.3
元飯田町もちの木坂下の下間部伊左衛門(しもまべいざえもん)と言う者の家にて、夜更けに及んで、玄関先にて、小豆を洗う音が何時もしていた。
しかし、人がそこに近づく音がすると、音が止まる。
その場所に行って見ても、特に異常はなかった。
その音によって、こう名付けられた。
(このことは、入谷の田んぼにも昔はあったそうである。加藤出雲守(いづものかみ)殿の下屋敷の前の小さな橋を小豆橋と言う。
「江戸塵拾」
2024.2
たぬきが子供に化けた話
私の第三男が、膝行松(いざりまつ)の辺(あた)りにおいて、夜中に小児が一人たたずんでいるのを見た。傍近くに進んで見れば、知っている者の子であった。
三男から声をかけたが、子供は、返答もしないで、ただ笑ってばかりいた。
しかし、その着ている服の縞の筋が鮮明に、あたかも白昼のごとくに見えた。
これは、父が平生言っていた所の狸の怪であろうと、匕首(あいくち)を抜うちに斬りつけた。しかし、
少しは手答えもしたが、たちまち狸の本相を現して、そばの塀壁をかき登り、逃亡したそうである。
私が、思うに。匕首を抜く事が、今少しおそければ、大事に至ったであろう。
2024.2
序文(訳者による)
本現代誤訳は、”翻刻『浪華奇談』怪異之部”(国会図書館デジタルコレクション)を底本としました。
その解題によると、本書は、活字本が見つかっておらず、写本のみがいくつかあるようです。
また、別名に、「浪速奇談」「浪花奇談」「難波奇談」があるようです。
この『浪華奇談』の「怪異之部」は、一七話であり、八冊本『浪速奇談』所載の全ての話が二六一話であるそうなので、ほんの一部分ということになります。
この『浪華奇談』は、天保六(一八三五)年には正編六巻で成立し、弘化二(一八四五)年に及ぶまで書き続けられていたようです。
著者について
著者については、「小倉敬典」となっているが、他に著作もなく、彼について書かれたものもないので、わからないようです。ただ、本文中に、玉造で開業していた医者のようだ、とのこと。
生没年もその他のことは、全くわかりません。
新説百物語巻之四 12、釜を質に置きし老人の事
2023.5
大宮(京都市下京区)の西に、作兵衛と言う者がいた。
六十歳余りであったが、妻や子もなく、裏やをかりて一人で住んでいた。
醒井通りの「吉もんじや」と言う質屋へ、毎日釜をひとつ持って行き、鳥目百文(ちょうもくひゃくもん)を借りた。
そのお金で菜大根を買いもとめ、それを町中にうり歩いた。
その利益で、生活に必要な物を買いととのえ、夜に入って吉文字屋(きちもんじや)へ釜を受け取りに行った。
それで飯などをたいて、また次の朝は釜を持って行った。
また、鳥目百文借りて、商売のもとでとした。
一二年ばかりそのように暮していた。
吉文字屋の亭主が、ある時、作兵衛に向かってこう言った。
「最早、この釜も一二年の間、質に取って、私の方は、多めに利益を頂いております。
毎日毎日、ご苦労の事でしょう。
それで、この釜をあなた様に差し上げます。
安心して、商売をなさって下さい。」と。
しかし、作兵衛は、
「お心づかいは、大変有り難いことでございます。
私の持っている物は、この釜ひとつだけでございます。
他に何の蓄えもございません。
それで、朝出かかるにも、戸も閉めず、夜に寝るにも心やすいことです。
釜が一つでも家の内にあれば、心配になります。
やはり、毎日毎日、御面倒ながら質物に御取り下さい。」と頼みこんだ。
それより又一年ばかり、質屋に通い続けたが、そのうちに亡くなったとのことである。
吉文字屋(きちもんじや)の亭主は、死んだとの知らせを聞いて、従業員に鳥目五百文をもたせて様子を見に行かせた。
すると、成程釜ひとつの外に、何のたくわえもなかった。
近所の同じ借屋の住人たちが打ちより世話をして、葬った、との事であった。
枕もとに、反古紙(ほごがみ)のはしに、辞世(じせい)とおぼしい発句(ほっく)があった。
どんな、人生を送った人なのであろうか。
何とも、風雅なひとであったか、と噂された。
身は終(つい)の 薪となりて 米はなし
と書かれていた。
名を無窮としたためていた。
普段は、物をかく事もなかったが、上手な字であった、との事である。
新説百物語巻之四 11、人形いきてはたらきし事
2023.5
ある旅の修行僧がいたが、東国に至って日がくれ、野はずれの家に宿をかりて一宿した。
その家のあるじは老女であって、むすめ一人と只二人でくらしていた。
僧に麦の飯など与えて寝させた。
夜がふけて、老女がこう言った。
「これ、むすめ。人形を持ってきなさい。湯あみさせよう。」と言った。
旅の僧は、ふしぎな事を言うものだなと、寝たふりをして、そっと見守っていると、納戸の内より六七寸ばかりのはだか人形を二つ、娘が持ち出して老女に渡した。
おおきな盥に湯を入れ、かの人形を湯あみさせると、その人形は人のように動き出し、水をおよぎ、自由に動き回った。
旅の僧は、あまりにふしぎに思って、起き出した。
そして、老女に、
「これはなんの人形ですか?さてさて面白いものですね。」と尋ねた。
老女は、
「これは、このばばが細工したもので、ふたつ持っております。
ほしければ、一つ差し上げましょう。」と言った。
修行僧は、これはよいみやげが手に入った、と思って、風呂敷包の内にいれて、あくる日、挨拶をして、その家を出ていった。
半里ばかりも行くと思えば、風呂敷包の内から、人形が声を出した。
「ととさま、ととさま」と呼んだ。
ふしぎながらも、「なんだい?」と答えた。
「あの向こうから来る旅の男は、つまづいてころぶよ。何でもいいから、薬をあげてね。お礼に、一分金をお礼にくれるよ。」
と言っている内に、向こうから旅の者が来た。
うつむきにこけて、鼻血を多く出した。
その僧は、あわてて介抱し、薬などをあたえた。
すると、気分が良くなり、お金を一分取り出して、坊さんにお礼としてあたえた。
坊さんは辞退したが、旅人が是非とも受け取って欲しい、と言うので、受け取った。
又、しばらくして、馬に乗った旅人が来たが、またまた風呂敷の内から、
「ととさま、ととさま、あの旅のものは馬から落ちるよ。薬でもあげてね。銀六七匁をくれるからね。」
と言う内に、はたして馬から落ちた。
なんとか介抱したら、成程、銀六七匁をくれた。
旅の坊さんは、何となく恐ろしく思って、人形を風呂敷から取り出し、道のはたに捨てた。
人形は、生きている人間のように立ちあがり、何度すてても、
「もう、ととさまの子なのだから、はなれないよ。」と追いかけて来た。
その足の速いこと飛ぶようであった。
終に追付き、懐の内に入りこんだ。
変なものを貰った事よ、と思って、その夜、又々次の宿に泊った。
夜に、そつと起き出して、宿の亭主に、これまでの事を詳しく話した。
「それでは、うまい方法があります。
明日、道の途中で笠の上に乗せ、川ばたに行って、はだかになり、腰だけばかりの深さの所で、水にづぶづぶとつかって、水におぼれた真似をして、菅笠をながしてください。」と教えた。
その翌日、教えられた通りに、深くない河で、水中にひざまづき笠をそっとぬいだ。
人形は笠にのったまま流れて行った。
その後は、何の変わった事もなかったそうである。