江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

アマビエ か? アマビコ か?  昔日叢書「長崎怪異書簡之写」

2023-02-11 20:16:12 | 怪談

アマビエ か? アマビコ か?

                             2023.2

さて、
このたびの武漢発のコロナ肺炎で、アマビエと言う海中の妖怪が、有名になりました。

 

「広文庫」(国会図書館デジタルライブラリーにあり)という、大辞典がありますが、それを、眺めていたら、面白いのを見つけました。

怪鳥「あまびこ」の項です。

昔日叢書「長崎怪異書簡之写」という書からの引用です。

以下、本文。

肥後熊本の御領分。真字と言うところに、夜な夜な光る物が出てきて、人を呼んでいた。その声は、サルのようであった。

熊本藩の御家中の柴田五郎左衛門と言う人が、見て、このようなことを聞いた。
「我は、海中に住む「アマビコ」と言うものである。
今年より、六か年の間は豊作となるだろう。
しかしながら、諸国に病が多く、人間の六分(60%)は、死ぬだろう。
そうではあるが、我が姿を書き写して、それを見るものは、病にかからない。
早く、このことを諸国へ知らせるように。」
と、そのアマビコは、言って、どこかへ行ってしまった。
天保十四年八月

以上。

 

 

ところで、「アマビエ」か「アマビコ」のどちらが、正しいのかについては、わかりません。
「アマビエ」か「アマビコ」は、どちらも、肥後熊本の海中に現れて、自分の絵を書くように、と云うことは、共通しています。原典を見ることが出来ませんので。

何かか、「長崎怪異書簡」のいずれかが、本になっていると思われます。

大本になる物には、「アマビエ」か「アマビコ」の末の「エ」と「コ」の字が、どぢらとも解釈できるように書かれたのかもしれません。手書きの「エ」と「コ」は、判別しにくそうです。
または、本の字を、どちらかが、読み間違えたのかもしれません。

引用した図は、国会図書館デジタルライブラリーからです。

 

 


芭蕉の妖怪  中陵漫録

2021-07-08 19:54:15 | 怪談

芭蕉の妖怪                            2021.7

昔、信州のある寺に、一人の僧がいた。

夜、書を読みんでいたが真夜中になった。

一人の美人が来て、この僧にたわむれた。

この僧は、大いに怒って、この婦人を刀で打った。

その帰り道には、点々と血の跡があった。

翌朝、その血の跡をたどって行ってみると、庭の芭蕉が、すべて倒れていた。

人々は、これを見て、皆こう言った。

「この芭蕉の魂が、化けて婦人となったのであろう。」と。

 

私(中陵漫録の著者の佐藤成裕)は、始めは、この説を信じなかった。

しかし、その後、琉球人に会って、考えを変えた。

琉球の芭蕉園の事を尋ねた。

すると、琉球は暖かい国であって、住民は皆芭蕉布を着ている。

それ故に、山野には、皆芭蕉を植えており、糸を取って芭蕉布を織る。

この園を蕉園と言う。

この芭蕉は、大変大きく高くなって、太樹のようである。

雨が降っていても、その下にいれば、雨にぬれる事はない。

真夜中ににこの芭蕉園の中を独りで歩く時には、必ず芭蕉の妖怪(蕉妖)に逢う。

その姿は、皆婦人である。

敢て人を害する事はない。

只、人がその化けた婦人を見せて驚かせるだけである。

他に何も害ある事を聞かないと言う。

この妖怪を防ぐには、日本の刀がある。

刀を帯て、芭蕉園を通り過ぎる時には、この妖怪に逢う事はない、と言われており、皆々日本刀を貴んでいる。

 

この説を聞いて、始めて信州の芭蕉の妖怪の事を信じる事になった。

 

また、考察するに、この芭蕉という物は、元来は草である。

草ではあるが、長ずれば大樹のようである。

このことから見れば、芭蕉は、草の中の王である。

その魂は、化して妖をなすであろう。

 

千年の大樹も妖を為す事がある。

芭蕉も、この類であろう。

 

以上、「中陵漫録」蕉妖の項より  


会津の諏方神社の、朱の盤(しゅのばん)と言うばけ物の事  諸国百物語

2020-02-27 19:06:51 | 怪談
会津の諏方神社の、朱の盤(しゅのばん)と言うばけ物の事
                   2020.2

「会津須波(あいづすわ)の宮 首番(しゅのばん)と云ふばけ物の事」が、「諸国百物語」での題名です。
 
 
奥州の会津(福島県会津若松市)の須波(すわ)の宮に、首の番(しゅのばん)と言う恐ろしい化物がいた。

ある夕ぐれに、年の頃二十五・六歳なる若侍が一人で須波(すわ)の前を通った。
以前から、この宮には化物が出でるとのうわさを聞いていたので、心の中で、恐ろしいなと思っているその折ふしに、又二十六・七歳位のなる若侍が一人で現れた。

良い連れが出来たと思い、一緒に歩きながら、
「ここには、首番と言って有名な化け物が出るそうですが、貴君も聞いたことがありますか?」と尋ねた。

あとから来た若侍が、
「その化け物は、こんな者かい?」と言った。
急に、顔が変わり、眼は皿のようであって、額に角が一つあって、顔は朱のように赤く、頭の髪は針がねのようで、口は耳のわきまで切れ、歯をガキガチさせる様子は、雷のなる音のようであった。

侍は、これを見て気を取り失ない、半時ばかり気絶していた。
しばらくしてから気が付いて、あたりを見れば須波(すわ)の前であった。

それからやっと歩き出し、ある家に入り、水を一口ほしいと、声をかけて、頼んだ。
すると、その家の主婦が出てきて、
「どうして、水がほしいのですか?」と言った。

若侍は、首番(しゅのばん)に出会った話をした。
主婦が聞いて、
「さてさて、それは恐ろしい者に、出会いましたね。
首番(しゅのばん)とは、こんなものかい?」
と、言った。
そして、又前のような顔となって、見せた。
すると、かの若侍は、又気を取り失った。

しばらくして気がついて、そののち三日目に亡くなったそうである。

編者注:この話は、「諸国百物語」(1677年)にあります。
これに良く似たのがいくつかあります。
小泉八雲の「怪談」にも、似た話があります。
江戸時代の会津地方の怪談などを集めた「老媼茶話」にも、ほとんど同じ話があります。
それには、「首の番(しゅのばん)」が、「(しゅのぼん)」となっています。
会津須波(あいづすわ)の宮は、会津若松市の諏訪神社(諏方神社)のことです。
成書年代は、「諸国百物語」の方が古いのですが、神社名は、「老媼茶話」が正しい。
また、化物の名前も、「朱の盤」の方が、恐らく正しいでしょう。
これから見ると、オリジナルは、どこかにあって、それを、「老媼茶話」の作者は、そのまま引き写し、「諸国百物語」の作者は、神社名と化物の名前の漢字を変えて写したのでしょう。





ろくろ首  128歳の老翁が語った話  渡辺幸庵対話 

2020-02-20 13:48:19 | 怪談
ろくろ首  128歳の老翁が語った話
                                                           2020.2

この話は、「渡辺幸庵対話」にあります。
前書きによると、宝永6年の時点で、128歳だと記されています。
天正10年(1852年)に出生、宝永8年(1711年)に卒す、となっています。
この書は、その人に古事を聞いた、と言う事になっています。
真偽のほどは、わかりませんが、
いつくかの、面白い話があります。


宝永6年八月十五日対話

ろくろ首
駿州(駿河の国今の静岡県)のどこかの山の麓に、山伏が住んでいた。
一人の娘がいたが、ろくろ首であった。
一人娘であったので、婿を取って、家を継がせようとした。
婿を迎えてから、一夜二夜、かの娘に添ったが、着の身着のまま逃げて、二度と戻ってこなかった。
この事で、娘がろくろ首であることが露見してしまった。

その後、かの娘は、流浪して江戸へ下って来て、十七歳にして死んだそうである。

私(渡辺幸庵)は、かの娘が、茶を持運んでいるのを見たことがあった。
その時は、十四歳であったそうである。容儀すぐれたる娘であった。
しかし、首のぬけたのは、見たことがない、
    と渡辺翁は、語った。


                        
同年八月十五日対話

吉野の山奥のロクロ首村

吉野の山奥に、轆轤(ろくろ)首村というのがあった。
その在所の人は、残らず皆ろくろ首であると言う。
いずれも幼少より首巻をしている。
市に売買に出るのにも、そのようであった。

その中の一人の中年の者をなだめすかしてあの首巻を取って見るに、首の廻りに筋が有った。
その筋を指で押してみると、ふわふわとして動いて、ロをあける様であった。

私自身(渡辺幸庵)もそれを見た。

イワナの坊主、毒揉みを戒む  奇蹟ものがたり

2020-02-10 21:20:58 | 怪談
イワナの坊主、毒揉みを戒む
                       2020.2      
信州(長野県)と美濃(みの:岐阜県)の国の境にある御嶽山の麓に、川上・付知・加子母と言う三つの村があった。

五穀不毛の地であるので、川に下りては魚を取り、山に入っては、禽獣などをとって、食料の補いとしていた。
その魚を取るには、毒揉み(どくもみ)と言う方法を用いる。
毒揉とは、辛皮に石灰(あく)と灰汁(あく)とを混ぜ、煎じ詰めて団子のように丸くして、これを淵瀬に投げ込むことである。
すると、見事に魚や虫は、ことごとく死ぬ。
しかし、その水中に小便を流すことがあれば、毒に当たった魚類はたちまちに生き返って逃げ行く、と言う。

ある時、村の若者たちが、山へ仕事に行くと、その所に淵があった。
大変、魚が多かったので、昼休みに毒揉みをして魚を取り、今宵のおかずにしようと、朝よりその用意をした。

やがて昼になったので、皆一ヶ所に打ち寄り。昼飯を食べている所へ、どこからともなく、一人の坊主が来た。
『そち達は、魚を取るのに毒揉みと言うことをしているが、これは良くない事である。
他の方法で、魚を捕るならばともかく、毒揉みは決してしてはいけない。』と言った。
こう言われて、皆は薄気味悪くなったので、
「なるほど、毒を流すのは良くない事でしょう。今後は、慎みます。」
と言って食事をした。
すると、その坊主は、なおも立去らずに、側にたたづんでいた。
この時、ちょうどダンゴの食べ残しがあったので、これを坊主に与えた。
坊主は喜んでこれを食べた。
その他に飯の残りがあったので、これも与へたが、又々喜んで食べた。
見れば汁の残りもあったので、これをも差し上げましょうと、飯にかけてやったが、今度はとても食べ憎くそうな様子をしつつ、ようやく食べ終わった。
間もなく、どこかへ立ち去った。

その後、人々は顔を見合わせて、
「あの坊さんは、どこの坊さんだろうか?
この山奥は、出家の来るような所ではないのに、とても不審はことだ。
日頃、我等が悪事(毒流しの事)をしているのを山の神様が来て、止めようとしたものであろうか?
又は、弘法大師等が来て、我々を戒めようとの事であろうか?」
「今後は、もう毒揉みは、止めたほうが良いぞ。」と言う者もいた。
又、勝ち気の者は、坊主の言葉も聞きいれずに、
こう言った。
「この深い山へ、毎日毎日入って仕事をしている者が
山の神や天狗が恐ろしいのなら、山稼ぎはやめた方がよい。
気の弱い者は、とても哀れなものだな。
イザヤ、我々は毒揉みをしよう。」
と言って、屈強なる者の三人で、ついにその日も毒揉みをした。
獲物が多かったが、中でも岩魚(谷川の岩穴に棲む魚形鱒に似て少くして白し:原文にある注)の体長が六尺(180cm位)程の大魚を得た。
皆々悦んで、
「先の坊主の言葉に従っていたのなら、
この魚は、手に入れられなかったろう。」
などと言って、口々に騒いだ。

やがて村に持ち帰り、若い者が大勢寄りあつまって、かの大魚を料理した。
すると、驚いたことに、昼に坊主に与へた団子を始め、飯などもそのまま腹の中に残っていた。
ココに至っては、あの勝ち気の者達も気遅れして、その岩魚(イワナ)を食べることは、出来なかった、と言うことであった。


昔より、岩魚は坊主に化ける、と言い伝えられているが、これは事実である。
私は、先年その村に行ったが、確かに聞いて来た話である。
信州御嶽山の周囲には、四尺五尺位の岩魚のいることは、珍しくない、と言う。

以上、「奇蹟ものがたり」物集高見先生著。大正11年
より

訳者注:これ良く似た話が、諸書に散見する。例えば、   
「想山著聞奇集」には、イワナの代わりにウナギとなっている。
「飛騨の伝説と民謡」には、「岩魚の怪」という話が述べられていますが、これとほぼ同じ内容です。