本日サーバーダウンで予定を変更して、九州赤ベコシリーズの30回記念で。
九州赤ベコの末っ子ED76のP型である1000番代。
本来は、20系などの限定運用があったもののゴーマルサン改正で共通運用に組み込まれます。
そんな1000番代が客車を牽いて来ると栄光のP型だけにHMこそないけれどもちょっと嬉しくなったもの。
76年夏の或る日朝5時台から夜行列車を撮影していると、先ずは上りのながさき号を牽いて1011号機が現れて
暫くして今度は下り雲仙西海を牽いて1014号機が現れました。
貨物も含めて、荷物列車と特急貨物(10000系貨車使用)以外は共通運用だった時代に、2列車もP型が撮影できた幸せな日でした。
1976年7月撮影 鹿児島本線 水城~二日市 上/ED761011 422レながさき、下/ED761014 201レ雲仙・西海
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ちなみに70号機でした。
0番台と1000番台は外観的には変わりがないようですね。
渋過ぎますっ!
「ながさき」。
両親の出身地・佐賀を通るため、何度この列車で「机上旅行」したことか。
地元で捉えられていて羨ましいです。
電関人はあまり撮ったことが無い罐ですね。
ゼロとセンの差は、ジャンパまわりだけですかね。
本格的な撮影は、ゴーマルサン以降ですので
このながさき、かいもん、日南、さらにさんべといった
旧客列車は良く撮影しました。
特に冬のSG使用時はつきなみですがスチームを
吹き上げるナナロクがカッコ良かったです!!
ゴハチなど、黒Hの方が白Hに比べて目立たなかったので、
良かったりしたのですが、ファン心理も勝手なものですよね。
その頃(1980~1984の廃止まで)はB寝台は1号車で編成下り方にあり、上り方は門モシの付属編成だったのですが、お写真の頃はオハネフが上りのカマ次位だったのですね。
使用された客車でも特にナハフ1117は結構揺れたので以降は避けました(^^);案外ナハフ102003は揺れなかったのが意外でちょっと不思議です(^^);一番良かったのがTR-47台車を履いたスハ43・オハ46・スハフ42・オハフ45でした。但し門モシ付属編成のスハフ42302は茶色ニス塗り未更新でした。でもこれはまだマシです。一番厄介だったのがスハフ42301。青塗アルミサッシでトイレ窓もHゴム小判窓と一見近代化改装車ながら車内はニス塗り、しかもどす黒く陰気な雰囲気でこのクルマは避けたものです。オハフ4522なら大当たりでした(青塗近代化改装車)。
今碓井鉄道文化村にいるオハネフ1229って確かこの列車に使われていませんでしたっけ?
ご指摘いただき、早速調べました。
現在メインのサーバーがダウンしており詳細は
追ってになってしまいますが掲載の写真は前後のコマから、
ずっとながさきだろうと思ってましたが急行かいもんが
罐次位に寝台車がきているのかいもんの可能性大です。
もう少し後の写真(70年後半から80年頃の)を
2、3確認しましたらながさき寄りの連結でした。
ネガカラーは記録が乏しく、年月の経過とともに
記憶も怪しいものになっており失礼しました。
オハネフ1229(EF58172の次位でしょうか?)についてはネガなどを見て調べてみます。