レッドトレインこと50系(51系)は、所謂旧型客車を駆逐した張本人で、
好んでは、被写体にしなかった形式。
そんな被写体だった50系ではあるが、山陰本線京都口の電化が聞こえ始めた時期、
おそらく大学入学後初めての夏休みの帰京途中かと思われる撮影記録。
普段は保津峡で撮っていたのを足を延ばして亀岡盆地に出てみた。
太古には湖だった伝承もあるここは、桂川によって運ばれた肥沃な中世紀層で稲作が盛んだった。
真夏の斜光線に浮かび上がる青田を前景に、
そして保津峡を形成する嵐山の山々を背景にして馬堀でのレッドトレイン同士交換の記録は、
数十年経て今はとても懐かしい。
1981年(?)8月 馬堀
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電化後、保津峡界隈の線形も変わり今ではしっかり京都の
ベッドタウン化したエリアで、この頃の長閑さは殆ど
消えてなくなっていますね。
或る意味、キハ40系と並んでこの50系客車がかつての
偉大なローカル本線を知る最後の生き証人ですね。
ハイハイ~、しっかりお邪魔してました(笑)
当方も日付データがなく、ひょっとしたら一年後の82年夏かもです。
結局、東海道線で回送を撮り、山陰本線と筑豊地区それに、磐越西線で撮ったのみでした。
大きくは、色の問題でした。
青や茶に対してあまりにもギャップがありすぎましたね!
馬堀駅に着くやそこから線路に飛び降りて逃げる、「馬堀する」という隠語があるやと聞いた事がありますが、
そんな事が出来る位長閑な駅で、かつ降りて撮り甲斐のあるところだったのでしょうね。
何の変哲もない田舎の風景ですが客車列車によく似合います。
冗談はさておき、50系投入はもうよっと後だったような?
当時のノートを見ても、列番と罐番、SSと絞りしか書いてないので(臨客除く)。。
この界隈は、撮影練習には良い所でした。
当時はいずれ50系が主体になるのだろうから、何時でも撮れると思っていた所もありましたが、いつの間にか姿を消してしまいましたね。