もともと北陸電化のためEF70の弟分として造られた罐でED75と同じ14,300㎜です。
転属当初は、彗星を牽いたりしていましたが晩年のこの頃には専ら貨物運用でした。
兎に角、少数派だったED75300が11両だったのに対してこちらはたったの6両でしかも大分運転所所属で日豊本線限定。
中坊の電関人には運用を知るすべもなく、小倉で網を張ってようやく撮れたのがこれを入れて2度ほどでした。
突然現れたED745号機にあわてていて、停車位置標識に全然気がつかずに撮影。
ED75同様に電暖標識灯がチャームポイントですね。こいつがブルトレの先頭に立つ姿を一度撮りたかった。
78年に運用を外れ、82年まで高城駅に放置されていた悲しい末路でした。
出来る事ならばスノープローを付けて九州鉄道記念館に保存して欲しかった1両です。
1976年撮影 日豊本線 小倉駅にて ED745号機
※励みになりますので、左上のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチっとよろしくお願いします。
最新の画像[もっと見る]
電関人も、この小倉で撮ったのとあと一回ほどです。
この時期は、今のように運用がオープンになっているわけではなく、
またそのほかの機関車と共通運用で組まれていたので、本当に来ればラッキー状態でした。
ミニ70と言われればまったくその通りで、エクステリアは長さを除いて
そっくりでした。
北陸本線の主力機関車になる予定だったのが、計画の変更でEF70に追われて、九州に転じます。日豊本線では「富士」、「彗星」のヘッドマークを付けて、寝台特急の先頭に立ったこともありました。順風満帆な人生?ではなかったと思いますが、寝台特急の先頭に立てたことがせめてもの誇りだったと思いました。
そうなんですよね、あの頃は機関区などに行けば
ある程度のお願いは聞いてくれていましたね。
でも、なぜだか門司機関区や大分運転所などに
足を運んでいないのです。
ED71から連番で79までまである交流機の中で、
ED78だけ撮っていないのです。
先日ようやくED79を撮れただけに痛恨の極みです。
6両の少数精鋭たちは、チビマッチョ的でなかなか
存在感がありました。
この後、80年代には弟分を追うようにして北陸から
九州地区にEF70も転属してきますが、こちらは
いろんなトラブルもあって今一活躍しなかった
ように聞いております。
電関人は、九州のEF70は撮っていません。
埋め込み型の前哨灯や鎧タイプのエアフィルターは
ハト胸ではないけれど、ED72、73の流れを汲んでいますね。
全体のスタイルは、この前哨灯やエアフィルターも合わせて、
EF70をグッと縮めた印象でしょうか。
この辺りの交流機はED75以外は馴染みが薄く、ヤマケイのレールシリーズEL・DLで写真を見た程度です。
ED74に貫通扉を付けると何となくED75になりますね。(笑)
顔つきはED76に似ていますが、側面のエアフィルターの形状が少し違うのでしょうか?
画像としてですが、こうして見れて嬉しいです。
ポチ☆っと。