もうすでに記憶があやふやのところもあるけど、渡道して数日目道央から道東を旅する。
朝白老YHを出て札幌からDC急行で帯広に出てそこから広尾線で幸福駅へ向かうがすでに夕方であった。
さっそく駅前にて渡道後最初の野営のためテントを張る。
何せ高校1年坊主が福岡くんだりからはるばるの旅で満足な軍資金も無く、塒は専ら夜行列車の自由席かYHが関の山。
それでもカツカツに切り詰めるために数泊駅もしくは野営ということにしたのである。
テントを張って途中帯広駅や幸福駅前の土産屋で買い込んだパンなどで簡単な食事を済ませるとすぐにあたりは宵闇に包まれた。
一応超有名駅かつ観光地の幸福駅で夜間撮影を楽しむ。
時代を感じさせるオーバーオールの大学生諸兄に「駅舎ホテル」は占領されて背負子やシュラフが所狭しと置かれた幸福駅本屋。
使用済みの定期や社会人の名刺などがぎっしりとおみくじ状態で壁や天井を埋め尽くす。
バルブにして、人影を消して駅の全景を収める。
確か右の明かりは、幸せの泉とかで一杯飲むと願いが叶うとかなんとかいう能書きが書いてあったが今となっては思い出せず。
で、翌朝しっかり駅の形式写真を・・・。
どこかのフィルム会社のイメージカットとほぼ同じアングル。
写真を見てお分かりのように天気はいまいちで、野営撤収の後早々にこの日の行動に移る。
この日は、道東の厚岸まで移動しやはり野営。
行く先の天候を心配しながら移動。
厚岸に到着した時は今にも降りそうな天気だったので、早々に天場を確保して設営。
道東の夕暮れは早く翌日晴れることのみを祈る。
天場から遥か厚岸大橋方面を望むが星も見えず2夜連続の野営に少しホームシックのような不安感がよぎる。
時刻表を見ていると急行列車がやってくる時間だったので駅まで行ってバルブ撮影で気持ちを立て直す。
発車して駅を離れ行く列車をカンテラを持った駅員がいつまでも見送る姿にちょっと勇気づけられて、天場に戻り早めの就寝。
翌朝テントを強くたたく雨の音で間が覚めるがまだ4時前。びしょびしょで重くなった帆布のテントを強引に袋に収めて駅に向かう。
この日厚岸からさらに東に向かい湿原地帯で鉄を予定していたが雨のため予定変更し、早々に釧網本線にでてこの日の宿である
原生花園YHへ向かうことにして始発列車で東釧路へ。
途中、どこの駅だかは記憶していないが列車待ち合わせの停車中に憎い雨を利用したカットを撮る。
そのまま釧網本線を乗り鉄して時間をつぶし、夕方早目にYHに入って先日の釧網本線の夕陽の話がその翌日に続くのである。
こうして、この北海道旅行中の最大の試練だったテント2連泊を凌いだ。当時コンビニもない時代に何を食べたのかは全く記憶になく、
相当粗食や駅弁・駅そばで食いつないだのだと思う。
1977年8月 広尾線~根室本線の旅
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未だ蒸機が走っていた頃に訪問も考えたのですが、効率が悪くて後回しにしているうちに無くなってしまいました。
駅近くで野営すれば、バルブには好都合ですね。
今になると、良くこんな無茶が出来たなぁ、と思うことがありますが、若かったんですね。(笑)
ここの無煙化は早かったんでしたでしょうか?
確かキューロクでしたよね。
ここへ行った際に、しっかり愛国から幸福の切符を購入しました。
やはり電関人もしっかりおのぼり観光客の一員でしたね(汗)番号が惜しい9702!
この頃、テント泊で旅行してたんですか。
狂電関人さんにもワイルドな時代があったんですねえ。
巨大なヤブ蚊に襲われたのでは。
テントにシュラフで鉄ちゃんというのは考えない事もなかったのですが、
アレを一式抱えて駅間歩きは不可能であろうと早々に断念。でも一度やってみたかった。
以外に蚊は大丈夫でしたね。虫よけを使ったかどうかは
記憶にありませんが・・・。
テントとシュラフをもっての旅行は結局この時ともう一回ぐらいで、
その後、列車とYHに落ち着いていきました。
お久しぶりです。
北海道の思い出が自分以外の方の記事とは言え
よく伝わって来る様です。
幸福駅の画像は驚きです!
こんな具合だったのですね。
初めて拝見します。
昔の鉄と言えば私なども駅寝やJYHが
定番でした。
鉄ちゃん御用達のYHなどもありましたね。
自分の昔の時代とオーバーラッブして
懐かしかったです。
お久しぶりですね。
休み度に、おぼろげな記憶をたどりながらスキャンして
アップしております。
次回も週末に予定してますのでよろしかったらまたの
ご乗車(覗きに)どうぞ!
駅の堅いベンチでひと晩過ごす、なんとも言えぬ寝心地でした。
今では防犯の観点から監視カメラさえも設置されていて、少しでも不審な動きをすると、警備員がすっ飛んでくる世の中になりましたが、
この頃はホント大らかでした。
お陰でだいぶ遠征費を浮かすことができましたが…。
写真の幸福駅、
ついに行けずじまいに終わりました。
夜間も結構、賑わっているようで…。
幸福駅に進入する気動車4連、キハ22ばかりと思えば、10系も混ざっていたのですね。
タラコ色も存在しない、70年代が懐かしく思えます。
カニ族全盛時代で、主だった駅は先客で埋め尽くされていて、
結果テント持参が奏功しました。
ただ当時の帆布製テントは重かった~!