アンネのバラ
娘の学園祭で訪れた時に、
小チャペル(明治学院記念館)の入り口にバラが咲いているのが目に入りました。
1972年にアンネ・フランクの父オットー・フランク氏から送られた
「アンネのバラ」が日本での起源です。その後
接ぎ木で増やされ全国の教会、学校、平和施設等に
送られています。
その苗木がここで立派な「アンネのバラ」として咲いていました。
蕾の時は赤色、開花すると黄金色で、時が過ぎると花弁の先から
サーモンピンクになり、更に赤色に近くなります。
色の変化は寒暖の差が激しいほど鮮やかで冴えるそうです。
ホロコースト記念館(広島県福山市)より
寄贈された苗木だそうです。今ではその苗木が日本全国に行き渡り、
異国の日本でも壮絶なる生涯を送ったアンネ・フランクの意志を垣間みることができます。
「もし、神様がわたしを長生きさせてくださるなら、
私はつまらない人間で一生を終わりたくありません。
わたしは世界と人類のために働きます。」
(アンネ・フランク)
もっと平和について考えなければならないと感じました。
明治学院大学白金校舎校内 2009.11.02撮影
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娘の学園祭で訪れた時に、
小チャペル(明治学院記念館)の入り口にバラが咲いているのが目に入りました。
1972年にアンネ・フランクの父オットー・フランク氏から送られた
「アンネのバラ」が日本での起源です。その後
接ぎ木で増やされ全国の教会、学校、平和施設等に
送られています。
その苗木がここで立派な「アンネのバラ」として咲いていました。
蕾の時は赤色、開花すると黄金色で、時が過ぎると花弁の先から
サーモンピンクになり、更に赤色に近くなります。
色の変化は寒暖の差が激しいほど鮮やかで冴えるそうです。
ホロコースト記念館(広島県福山市)より
寄贈された苗木だそうです。今ではその苗木が日本全国に行き渡り、
異国の日本でも壮絶なる生涯を送ったアンネ・フランクの意志を垣間みることができます。
「もし、神様がわたしを長生きさせてくださるなら、
私はつまらない人間で一生を終わりたくありません。
わたしは世界と人類のために働きます。」
(アンネ・フランク)
もっと平和について考えなければならないと感じました。
明治学院大学白金校舎校内 2009.11.02撮影
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16歳で命を絶たされ、可憐な姿で咲いているように思えます。接ぎ木で受け継がれているんですよね。
色の移り変わりを見たいものです。
ほんと、普通に生活しているのが平和だと感謝しないといけませんね。ついつい忘れがちです。
「アンネの薔薇」綺麗です
1972年に送られたものが、大切に増やされて、今でも咲いているなんてすごいですね
娘さんいらっしゃるんですね
こちらは夫と二人でお写真楽しませていただいてます
一気に読んで ものすごく 感動したこと思い出します
明治学院記念館ですか?落ち着いた感じの素敵な建物ですね
また それにアンネの薔薇がよく似合って・・・彼女らしい 美しくて意志の強さを感じます
色が変わっていくなんて、興味深いです。
家にもこういうバラ欲しいです。
アンネの日記は、本を読もうとして、あまりの分厚さに途中で断念しました。
平和について、感心を持った人が増えると、変わってくるように思います。TV、新聞なんかが変わると影響力も大きい気がします。
アンネのバラは日本の起源(1971年に日本とイスラエルの文化交流のために合唱団がイスラエルを訪問し偶然アンネ・フランクの父オットー・フランク氏に出会った事)が強い縁を感じます。
アンネの意志が世界へ広がっている
事の素晴らしさを感じました。
雪の便りが聞こえてきましたので
旦那様共々、お体にはお気をつけて
くださいませ。
私もず~っと昔読みました。
男の子ながらに感度した覚えがあります。
屋根裏部屋での生活、最後まで生きる事を
止めなかった生涯
この事をこのバラは呼び起こしてくれました。すごく素敵なバラです。
場所は明治学院記念館です。内部も公開されていたので、追々紹介して行きます。
私もアンネのバラ 色が変わって行くところを見てみたいです。
来年娘は卒業なので、もっと前であれば
シャメで観察してもらったのに気がつたのが遅すぎました。
実は私の生まれ育った港区の花は「バラ」です。ここにも縁を感じてしまいました。
なるほど、アンネの薔薇は、オットー・フランク氏から送られた苗木が、日本でのルーツなんですか。
平和への願いが、いまや、日本中のバラ園で花を咲かせるようになったのですね。
このバラ 本当に綺麗ですね。
アンネの平和への願いがもっと
広がるといいですね。