前二回にわたって書いた精神の地獄。どうも、まだ本質が理解できないノー天気の読者がいるようなので敢えて忠告。列挙したことのその先を書いてみれば分かります。例えば…
1. 憂さ晴らし→弱者や社会に復讐する→軽蔑される
2. 地獄へ巻き添え→無差別殺人→カインの道
3. 愚痴を言う→非建設的→未来を失う
4. 悪い仲間とつるむ→集団ナルシシズム→ファシズム
5. 平気で嘘を言う→神の目の軽視→神の前に立てない
6. 偽善→神を利用して人を欺く→神が最も嫌うこと
7. 天につばを吐く→傲慢→神によって強制的に下げられる
8. 搾取→地位と権力の乱用→神に裁かれる
9. 言い訳→自分と他人への誤魔化し→信仰を失う
10.努力の放棄→占いや開運グッズに走る→サタンに献金
11.自己否定→自分から逃げる→神から逃げてサタンの声に従うに等しい
12.偶像崇拝→タレントや政治家や有名人を崇める→サタンを神として崇める
13中途半端→何一つ達成や完成をしない→自分を確立できない
このように書くと、大半の人は怖ろしさに縮こまると思います。特に、自分から逃げている人。この世の道は平均台のような一本道で、右に行けば神の道で、左に行けば悪魔の道。自分から逃げると、神に背を向けて悪魔の方に走っているのに等しいのです。殻に閉じこもるのも同じ。
神はアブラハムとの契約で、耳輪と鼻輪を禁止にしました。これが日本人にピアスや鼻輪の習慣がない理由ですが、僕はもうひとつ付け加えることにします。それは、十字架のアクセサリーの禁止。ネックレスもイヤリングもピアスも禁止。部屋の中に十字架を飾ることも禁止です。なぜなら、十字架は担うもので、拝むものでも飾り立てるものでもないからです。
ただし、編み物などで意匠として取り入れるのは構いません。十文字などのデザインは昔からあるからです。ゴスロリやパンクのファッションに多い、アクセサリーとしては禁止。僕は、十字架のネックレスをしている人でまともな人に会ったことがありません。全員、ひと目で異常さや偽善を感じさせる人ばかりでした。
また、名画の中に描かれているのも禁止ではありません。名画を鑑賞するのは良いことで、名画の中のイエスや十字架を崇拝する愚か者はいないはずですから。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの画集(大判)は家庭に必須のものだと思います。僕も昔は持っていました。
この前は書かなかったのですが、猫屋敷や犬屋敷のように、主従関係が逆転するようなペットの飼い方も精神の地獄の指標となります。僕は猫派ですけど、猫屋敷や猫喫茶には気持ち悪さを感じます。人間不信からペットに依存するのなら、自分が地獄から出ればよいだけのことです。地獄にいるからろくな人間しか近寄ってこないのですから。
エフライム工房 平御幸
1. 憂さ晴らし→弱者や社会に復讐する→軽蔑される
2. 地獄へ巻き添え→無差別殺人→カインの道
3. 愚痴を言う→非建設的→未来を失う
4. 悪い仲間とつるむ→集団ナルシシズム→ファシズム
5. 平気で嘘を言う→神の目の軽視→神の前に立てない
6. 偽善→神を利用して人を欺く→神が最も嫌うこと
7. 天につばを吐く→傲慢→神によって強制的に下げられる
8. 搾取→地位と権力の乱用→神に裁かれる
9. 言い訳→自分と他人への誤魔化し→信仰を失う
10.努力の放棄→占いや開運グッズに走る→サタンに献金
11.自己否定→自分から逃げる→神から逃げてサタンの声に従うに等しい
12.偶像崇拝→タレントや政治家や有名人を崇める→サタンを神として崇める
13中途半端→何一つ達成や完成をしない→自分を確立できない
このように書くと、大半の人は怖ろしさに縮こまると思います。特に、自分から逃げている人。この世の道は平均台のような一本道で、右に行けば神の道で、左に行けば悪魔の道。自分から逃げると、神に背を向けて悪魔の方に走っているのに等しいのです。殻に閉じこもるのも同じ。
神はアブラハムとの契約で、耳輪と鼻輪を禁止にしました。これが日本人にピアスや鼻輪の習慣がない理由ですが、僕はもうひとつ付け加えることにします。それは、十字架のアクセサリーの禁止。ネックレスもイヤリングもピアスも禁止。部屋の中に十字架を飾ることも禁止です。なぜなら、十字架は担うもので、拝むものでも飾り立てるものでもないからです。
ただし、編み物などで意匠として取り入れるのは構いません。十文字などのデザインは昔からあるからです。ゴスロリやパンクのファッションに多い、アクセサリーとしては禁止。僕は、十字架のネックレスをしている人でまともな人に会ったことがありません。全員、ひと目で異常さや偽善を感じさせる人ばかりでした。
また、名画の中に描かれているのも禁止ではありません。名画を鑑賞するのは良いことで、名画の中のイエスや十字架を崇拝する愚か者はいないはずですから。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの画集(大判)は家庭に必須のものだと思います。僕も昔は持っていました。
この前は書かなかったのですが、猫屋敷や犬屋敷のように、主従関係が逆転するようなペットの飼い方も精神の地獄の指標となります。僕は猫派ですけど、猫屋敷や猫喫茶には気持ち悪さを感じます。人間不信からペットに依存するのなら、自分が地獄から出ればよいだけのことです。地獄にいるからろくな人間しか近寄ってこないのですから。
エフライム工房 平御幸
アニメのキャラにまで一致が見られるとは、これはもう法則のレベルですね。
やりたいことや挑戦することが無くなったら、たとえ若くてもボケ老人です。年をとっても精神の若い老人はその反対ですね。
油断して気を抜くと、すぐに地獄に落ちてしまいそうです。。。
私も、中学の時に安全ピンで耳に穴を開けていました。すぐにふさぎましたが、黒歴史ですorz
努力の放棄も、中途半端も、自己否定も嫌です。
失敗を恐れずに、色んな事にチャレンジしていきたいです。
十字架を身に付けている人ですが、アニメのキャラクターも、十字架を身に付けているキャラでろくなのは居ませんorz
時々平均台から落下して彷徨う羊もいますけど。平均台に戻った時に左右を間違わないと良いのです。
愚痴は、政治や社会や周りが悪いの理屈で自分を正当化する行為なので、自分が立ち直るための道を自ら閉ざすことになります。他所見すると平均台から落ちてしまいます。
「この世の道は平均台のような一本道で、右に行けば神の道で、左に行けば悪魔の道。」 という文章が、私にはとても印象深いです。
精神の地獄に関しては、3愚痴を言う、13中途半端に当てはまるところがあると思いました。
反省することが多いです。
同じ失敗を繰り返す人は、失敗から学べない、あるいは失敗を糧に出来ない。
絵の技法のように様々な方法が考えられるものは、先人がいないので必然的に実験と失敗の繰り返しになります。人まねで独自技法を模索することのない人は、失敗を恐れるので成長が止まります。
絵の世界は後ろ向きの人が多いのでうんざりします。公募展も、ダメな自分を認めてもらいたいという人が大半ですから、精神病のような作品ばかりになるのです。
若い人には、何かを掴むためにわざと転ぶくらいの気概が欲しいと思います。少なくとも転び方は上達しますから。
何か失敗した時に「なんで自分は上手く出来ないんだろう・・・」と自己否定してしまうことがあり、反省と自己否定の線引きが出来ていないのかなと思いました。
すぐに尻ごみしてしまうので自分から逃げずに前に進みたいです。
神は結果だけを見ているのではなく、その結果に至る過程を見ています。手抜きは駄目だし、努力の放棄も駄目。逃げるのはもってのほか。
逃げるというのは、神を信頼していない証拠なのです。結果が駄目でも神はそれを非難しない。結果を恐れてチャレンジしない臆病を嫌うのです。信仰心の欠片があれば、神が何を求めているか分かりそうなものです。
失敗のないところに反省はなく進歩もない。チャレンジしない人は失敗がないから進歩がない。人は神になるために試行錯誤している段階ですから、失敗から学ぶ心構えが大切です。
愚痴を言ったり自分の殻に閉じこもるのは、自分で自分を傷つけているのと同じですね。逃げても何一つ良い事はないと改めて思いました。
サタンに足元をすくわれないように、気を付けたいと思います。
聖書に書いてある事を一つでも多く実践できるようにしたいです。
付け加えれば病気の治療に使うものでもありませんね。素人が治療行為すれば法律違反ですけど。
伊勢神宮の地下にあると言われる本物の十字架なら、何らかの霊力を宿しているかもしれません。でも、霊の曇っている人には抵抗分が発熱要素となる。その可能性もあるので安易に近付くのは怖ろしいことなのです。
十字架は拝むものではなく担うものだという言葉が心に残りました.
サタンの誘惑に負けずに,正しい道を歩いて行きたいです.
十字架のアクセサリーはピンとくるものがなく購入した事はありませんが,若い頃にピアスの穴を開けているので反省ですorz