・安倍首相はマスコミへの好き嫌いが、極端にはっきりしているという、記者会見で司会から指名されるのは、NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、読売新聞、産経新聞といった限られた媒体の記者だけと聞いた。なかには手をあげていないのに指名されるNHKの記者もいるという、しかも、事前に質問が提出されているケースが多く、それに合わせて事務方が作成した回答を安倍首相が自分の言葉のように読みあげる。
・菅官房長官の定例会見は趣が違う。
「そのような指摘は当たりません」
「まったく問題ありません」
いつしか巷で、「菅話法」と呼ばれるようになったが、水で鼻をくくったような態度で定型句を淡々と繰り返し、一方的にコミュニケーションを断ってくる手法にいら立つことは少なくない。
・大学の講義が終わって自宅に戻ると、3時間ないし4時間、ひたすらラジオを聴き続けた。周波数はAM放送の810キロヘルツ。アメリカ軍の基地関係者とその家族向け放送局「FEN」でネイティブの発音を叩き込むようにした。最初はスピーカーから流れてくる英語が音のシャワーのように漢字らえた。元は一つ一つの単語であるはずなのにつながって聞こえる。内容もほとんど理解できない。本当にこれで英語が聞こえる耳になるのかな・・・とあきらめの気持ちが何度もわいた。
それでも1年がすぎ、2年目を迎えてしばらくすると、言われていることが、ようやく単語の羅列としてとらえられるようになってきた。連動するようにTOEFLの点数もあがってきた。3年生になってようやく550点を突破。4年生の春には大学内の選抜もクリアした。・・・。
友人たちが卒業して社会人になった1998年4月に、南半球のオーストラリアへと旅立った。
・留学生専用のインターナショナル寮の近くにあるテニスコートで、張り切って体を動かし足首を捻挫。捻挫とはいえ、わりと症状が重く、1週間ほど松葉杖での生活を余儀なくされた。
・つづいて、あるパーティーでオーストラリア大陸を縦断できる旅行券が当たり、喜び勇んで向かったダーウインという街で頭に大けがを負ってしまった。オーストリアの最北端にあるダーウィンには、岩の上からダイブできる湖があり、観光客の人気スポットになっていた。
私が行ったときもドイツ人の観光客が10メートルくらいの高さから歓声をあげながら飛び込んでいる。さすがに怖いので、5メートルくらいの場所からチャレンジしようと降りていったら・・・飛び降りる前に、足を滑らせて真っ逆さまに転落。湖の前に岩に頭を打ちつけてしまった。・・・さらに2週間の入院生活を告げられた。
・就職(新聞社、放送局)活動の時期が幕を開ける。会ってくれたOB・OGの方々は、異口同音にこんなアドバイスをくれた。
「気質はすごくいいから、面接は問題ない。その前の筆記を通れば、まず大丈夫だよ」
しかし、現実は甘くない。待っていたのは連戦連敗の日々だった。
読売新聞社、朝日新聞社、日本経済新聞社と一時試験の筆記でふるい落とされ、二次試験の面接に進むことができなかった。・・・。東京新聞から入社内定の連絡が入った。
・千葉県では東京新聞のシェアはあまり高くないこともあって、警察署を回りながら、くやしい思いをすることも多かった。
「特ダネを書かせてあげたいと思うけど、東京新聞じゃなあ。紙面に載ったところで、いったいだれが読んでいるの」
・刑事部の鑑識を務めたベテラン捜査員からこんなことを言われた。
「頭がいいろか、どこの社とかじゃない。自分が新聞記者に情報を話すかどうかは、事の本質に関して、その記者がどれだけ情熱を持って本気で考えているかどうかだ」
・病気が見つかってから1年9か月たった2010年12月25日に61歳の若さで帰らぬ人となってしまった。家族は悲しみに暮れたが、一方では生涯を通じて、ぶれない背中を私たちに見せ続けてくれた。最後まで父らしい生き様だったと思う。
・夜中に何度も泣き声をあげる子どもに起こされ、授乳をしている影響で寝不足にも悩まされた。戦力にならない自分にいら立ちさえ覚えていた。そんなとき、経済部の富田光部長がかけてくれた言葉が状況を一変させた。
「日々の取材にあまりこだわらずに、もっとテーマを絞り込んで、問題意識を強くもって掘り下げてみたら」
・「武器輸出三原則」の問題について私がしばしば記事を書いていたこともあり、三菱重工や川崎重工業をはじめとする大企業から中小企業、下請けの会社にいたるあmで、防衛企業の間には「東京新聞の望月という記者には気をつけろ、取材には応じるな」というお触れ書きの類が伝達されていたようだ。電話をかけても、
「望月さんには答えないように言われていますから」と問答無用で切られ、取材に足を運んでも門前払いを食うばかりだった。それでも防衛産業にたずさわる全員が、「防衛装備移転三原則」に共鳴しているとは限らない、。取材を重ねていると「本当にこれでいいのか」と私と同じような疑問や懸念を覚え、匿名を条件に取材に応じてくれる官僚や研究者、「企業関係者がちらほらと出はじめた。
・覚悟していた通りに、母との別れは4月19日の早朝に訪れた。・・・。
中学2年生のときに吉田ルイ子さんの著書『南ア・アパルトヘイト共和国』を母が薦めてくれなかったら、報道に携わる仕事にはきっと就いていなかった。もっとさかのぼれば、小学生のころに演劇の楽しさに魅せられ、一時は舞台女優に憧れたのも、母の影響を強く受けていたからだった。
・しかし核心部分となる「官邸の最高レベル」という文言が記載されて文書が、黒塗りで消されて(NHKで)放送されていた。これでは内部文書の価値が半減以下になってしまう。スクープとならないから、他のテレビ局や新聞社にも気づかれずにスルーされる。
政治家は、NHKに先んじて報じられることを極端に嫌がる。独自ネタをつかんでも事実無根とくぁされることが多いなかで、否定できないという意識が強く働いているからか、NHKに取り上げられると取材対象の態度が変わる。素直に内容を認めるケースが少なくない。
・「旧法の前文は、21世紀のいまにも十分に通じるすばらしいものなんですよ」と、(前川元文科省事務次官が)いきなり暗唱してくれた。
・寝つきはいいほうだと思う。子どもができてから、生活のリズムは劇的に変わった。朝起きるのは午前7時くらい。子どもたちに朝食をとらせて、保育園に預け、9時ごろから仕事に入る。夕方、迎えに行き、お風呂、夕食をいっしょに取る、寝かしつけて、その後の数時間を再び仕事にあてる。寝るのは午前1時くらいだ。
・『週刊新潮』に、警視庁刑事部長の中村格氏の耳を疑うようなコメントも掲載されていた。中村氏は成田空港にいた捜査員に山口氏の逮捕の見送りを命じた人物だ、後に、東京新聞の取材に対しても、「私が判断した」と認めている。
「記事の件は、あまりまともだと思わない方がいい」
「なんで2年前の話が今ごろ出てくるのか、不自然でしょう」
・会社のある大幹部が電話をくれ、菅官房長官の定例会見で遠慮するなとさらに強く背中を押された。
「政権への疑惑は一記者として、もっと聞くべきだと思っている。大丈夫だぞ、頑張れよ」
・「憩室炎ですね。1週間ほど入院しましょう」
ストレスをため込むことも、原因のひとつという。
・不思議なことに、質問を繰り出しているときはおなかの痛みを感じていなかった。アドレナリンが分泌されれば、痛みすら忘れてしまうんだと妙に感心してしまった。
・広報官が質問数を区切った後、私が質問し、菅さんにいつもどおりの返答をされ、質問を重ねようとすると、記者クラブの幹事社の記者が、「以上で終わります」と打ち切ってしまったのだ。
・先輩ジャーナリストからも電話がかかってきては「身の回りに気をつけろ」と警告されたのだ。
実は2017年の夏になって、自分の周囲でも微妙な変化を感じるようになった。内閣情報調査室や公案警察が私のことをチェックしはじめたという情報が、耳に届くようになったのだ。週刊誌でもそういったことが書かれるようになった。
・また、一時期は会社の代表番号にこんな電話がかかってきた。
「望月、出せや!」
・私に対する質問状が届いた。送り主は産経新聞の官邸番記者だった。
「望月記者は主観に基づいた質問をしている認識はあるか」
「質問は簡潔に、同趣旨の質問は控えてなどと注意を受ける場面があるが、改善の必要性についてどう考えているか」
「記者会見にどのような姿勢で臨み、今後はどう考えているのか」
・銃刀法違反で逮捕。拘留されていた暴力団組長と、取り調べを担当していたさいたま地検熊谷支部の國井弘樹検事との間で、常識をはるかに逸脱し、検事としての見識もが疑われる裏取引が行われていたことをつかみ、紙面で報じた。
暴力団組長が銃刀法違反で指名手配中の組員へ電話をかける。
↓
暴力団組長は隠していた拳銃を、その組員に別の場所に移し替えさせる
↓
警察に発見させ、そのうえで出頭させる
当局と容疑者の双方にとって不利益が生じない事件をでっちあげ、結果としてマルク納めることは、昭和のころはよく取られた手法だったようだ。とはいえ、最近は悪しき週刊としてタブー視する検察関係者が少なくなかった、。にもかかわらず、担当した國井検事は、取調室内で容疑者に指名手配犯へ電話をかけるという、前代未聞の行為を容認した。検事が捜査で手柄を得るために、そんなことまで指示して行っているのか-
しかし-東京新聞の報道を受けて、東京高等検察庁とさいたま地方検察庁は内部調査に着手したが、結果として「違法行為はなかた」と判断され、最終的には検事総長による口頭注意だけで終わる。裏取引のストーリーを描いた國井検事が懲戒処分を受けることはなかった。
國井検事は、さいたま地検をへて東京地検特捜部へ栄転する予定だったそうだ。「さすがにそれはできない」と見送られたが、その後に移った大阪地検特捜部でその名前が大きく報じられることになる、村木(厚子)さんの事件といえば、思い出す方も多いと思う。
・1社単独よりも複数で、あらゆる方向から疑惑を追及していったほうが、効果ははるかにおおきい。
・12月の衆議院総選挙の直前、萩生田光一自民党筆頭副幹事長名で在京のテレビ局各社に、選挙報道の公正中立を求める要望書が出された。
要望書そのものも異例なら、記されていた内容も目を疑うものだった。
「街頭インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたい」
・テレビ朝日系の「報道ステーション」から恵村順一郎さん、TBS系の「NEWA23」から岸井成格さん、そしてNHKの「クローズアップ原題」から国谷裕子さん-政権に対してしっかり意見を言っていた、ジャーナリストやニュースキャスターが辻次に降板していった。
・そこにかぶせてくれたのが南彰記者だ。
ここぞとばかりに内容をしっかり読み込んできた、野党時代の2012年に菅氏が発表した著書『政治家の覚悟』の一節について理路整然と質した。
「ある政治家の本では『政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為だ』と、これを記されたのはどなたか、官房長官はご存知でしょうか」
顔色ひとつ変えずに、菅官房長官が「しりません」と返す。南記者がたたみかけた。
「これは官房長官の本に書かれているのですが」
5年前の著書との矛盾を突かれる、「いや、私は残していると思いますよ」と薄ら笑いを浮かべていた。
・私は特別なことはしていない。権力者が隠したいと思うことを明るみに出す。そのために、情熱をもって取材にあたる。記者として持ち続けてきたテーマは変わらない。これからも、おかしいと感じたことに対して質問を繰り返し、相手にしつこいといわれ、嫌悪感を覚えられても食い下がって、ジグゾーパズルのようにひとつずつ疑問を埋めていきたい。
・大切にしている言葉がある。インドの独立の父といわれるマハトマ・ガンジーの言葉だ。
《あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである》
感想;
事実を明らかにすることを阻害しようとする力が働いていることがとても怖く感じました。
それに負けずにされているのは素晴らしいと思いました。
東京新聞はその記者を支援しています。
一方、産経新聞のように政府側について、問題を明るみに出そうとしている記者に圧力をかけようとしている新聞社もあります。
どの新聞を取るかは、その新聞社を支援したいかなのでしょう。
それにしても、菅官房長官の木を鼻でくくったような返答は、国民にきちんと答えようとの気持ちがないのでしょう。
そんな対応しても国民の支持が落ちないと自信があるのでしょう。
それを許している国民に問題があるのだと思います。
・菅官房長官の定例会見は趣が違う。
「そのような指摘は当たりません」
「まったく問題ありません」
いつしか巷で、「菅話法」と呼ばれるようになったが、水で鼻をくくったような態度で定型句を淡々と繰り返し、一方的にコミュニケーションを断ってくる手法にいら立つことは少なくない。
・大学の講義が終わって自宅に戻ると、3時間ないし4時間、ひたすらラジオを聴き続けた。周波数はAM放送の810キロヘルツ。アメリカ軍の基地関係者とその家族向け放送局「FEN」でネイティブの発音を叩き込むようにした。最初はスピーカーから流れてくる英語が音のシャワーのように漢字らえた。元は一つ一つの単語であるはずなのにつながって聞こえる。内容もほとんど理解できない。本当にこれで英語が聞こえる耳になるのかな・・・とあきらめの気持ちが何度もわいた。
それでも1年がすぎ、2年目を迎えてしばらくすると、言われていることが、ようやく単語の羅列としてとらえられるようになってきた。連動するようにTOEFLの点数もあがってきた。3年生になってようやく550点を突破。4年生の春には大学内の選抜もクリアした。・・・。
友人たちが卒業して社会人になった1998年4月に、南半球のオーストラリアへと旅立った。
・留学生専用のインターナショナル寮の近くにあるテニスコートで、張り切って体を動かし足首を捻挫。捻挫とはいえ、わりと症状が重く、1週間ほど松葉杖での生活を余儀なくされた。
・つづいて、あるパーティーでオーストラリア大陸を縦断できる旅行券が当たり、喜び勇んで向かったダーウインという街で頭に大けがを負ってしまった。オーストリアの最北端にあるダーウィンには、岩の上からダイブできる湖があり、観光客の人気スポットになっていた。
私が行ったときもドイツ人の観光客が10メートルくらいの高さから歓声をあげながら飛び込んでいる。さすがに怖いので、5メートルくらいの場所からチャレンジしようと降りていったら・・・飛び降りる前に、足を滑らせて真っ逆さまに転落。湖の前に岩に頭を打ちつけてしまった。・・・さらに2週間の入院生活を告げられた。
・就職(新聞社、放送局)活動の時期が幕を開ける。会ってくれたOB・OGの方々は、異口同音にこんなアドバイスをくれた。
「気質はすごくいいから、面接は問題ない。その前の筆記を通れば、まず大丈夫だよ」
しかし、現実は甘くない。待っていたのは連戦連敗の日々だった。
読売新聞社、朝日新聞社、日本経済新聞社と一時試験の筆記でふるい落とされ、二次試験の面接に進むことができなかった。・・・。東京新聞から入社内定の連絡が入った。
・千葉県では東京新聞のシェアはあまり高くないこともあって、警察署を回りながら、くやしい思いをすることも多かった。
「特ダネを書かせてあげたいと思うけど、東京新聞じゃなあ。紙面に載ったところで、いったいだれが読んでいるの」
・刑事部の鑑識を務めたベテラン捜査員からこんなことを言われた。
「頭がいいろか、どこの社とかじゃない。自分が新聞記者に情報を話すかどうかは、事の本質に関して、その記者がどれだけ情熱を持って本気で考えているかどうかだ」
・病気が見つかってから1年9か月たった2010年12月25日に61歳の若さで帰らぬ人となってしまった。家族は悲しみに暮れたが、一方では生涯を通じて、ぶれない背中を私たちに見せ続けてくれた。最後まで父らしい生き様だったと思う。
・夜中に何度も泣き声をあげる子どもに起こされ、授乳をしている影響で寝不足にも悩まされた。戦力にならない自分にいら立ちさえ覚えていた。そんなとき、経済部の富田光部長がかけてくれた言葉が状況を一変させた。
「日々の取材にあまりこだわらずに、もっとテーマを絞り込んで、問題意識を強くもって掘り下げてみたら」
・「武器輸出三原則」の問題について私がしばしば記事を書いていたこともあり、三菱重工や川崎重工業をはじめとする大企業から中小企業、下請けの会社にいたるあmで、防衛企業の間には「東京新聞の望月という記者には気をつけろ、取材には応じるな」というお触れ書きの類が伝達されていたようだ。電話をかけても、
「望月さんには答えないように言われていますから」と問答無用で切られ、取材に足を運んでも門前払いを食うばかりだった。それでも防衛産業にたずさわる全員が、「防衛装備移転三原則」に共鳴しているとは限らない、。取材を重ねていると「本当にこれでいいのか」と私と同じような疑問や懸念を覚え、匿名を条件に取材に応じてくれる官僚や研究者、「企業関係者がちらほらと出はじめた。
・覚悟していた通りに、母との別れは4月19日の早朝に訪れた。・・・。
中学2年生のときに吉田ルイ子さんの著書『南ア・アパルトヘイト共和国』を母が薦めてくれなかったら、報道に携わる仕事にはきっと就いていなかった。もっとさかのぼれば、小学生のころに演劇の楽しさに魅せられ、一時は舞台女優に憧れたのも、母の影響を強く受けていたからだった。
・しかし核心部分となる「官邸の最高レベル」という文言が記載されて文書が、黒塗りで消されて(NHKで)放送されていた。これでは内部文書の価値が半減以下になってしまう。スクープとならないから、他のテレビ局や新聞社にも気づかれずにスルーされる。
政治家は、NHKに先んじて報じられることを極端に嫌がる。独自ネタをつかんでも事実無根とくぁされることが多いなかで、否定できないという意識が強く働いているからか、NHKに取り上げられると取材対象の態度が変わる。素直に内容を認めるケースが少なくない。
・「旧法の前文は、21世紀のいまにも十分に通じるすばらしいものなんですよ」と、(前川元文科省事務次官が)いきなり暗唱してくれた。
・寝つきはいいほうだと思う。子どもができてから、生活のリズムは劇的に変わった。朝起きるのは午前7時くらい。子どもたちに朝食をとらせて、保育園に預け、9時ごろから仕事に入る。夕方、迎えに行き、お風呂、夕食をいっしょに取る、寝かしつけて、その後の数時間を再び仕事にあてる。寝るのは午前1時くらいだ。
・『週刊新潮』に、警視庁刑事部長の中村格氏の耳を疑うようなコメントも掲載されていた。中村氏は成田空港にいた捜査員に山口氏の逮捕の見送りを命じた人物だ、後に、東京新聞の取材に対しても、「私が判断した」と認めている。
「記事の件は、あまりまともだと思わない方がいい」
「なんで2年前の話が今ごろ出てくるのか、不自然でしょう」
・会社のある大幹部が電話をくれ、菅官房長官の定例会見で遠慮するなとさらに強く背中を押された。
「政権への疑惑は一記者として、もっと聞くべきだと思っている。大丈夫だぞ、頑張れよ」
・「憩室炎ですね。1週間ほど入院しましょう」
ストレスをため込むことも、原因のひとつという。
・不思議なことに、質問を繰り出しているときはおなかの痛みを感じていなかった。アドレナリンが分泌されれば、痛みすら忘れてしまうんだと妙に感心してしまった。
・広報官が質問数を区切った後、私が質問し、菅さんにいつもどおりの返答をされ、質問を重ねようとすると、記者クラブの幹事社の記者が、「以上で終わります」と打ち切ってしまったのだ。
・先輩ジャーナリストからも電話がかかってきては「身の回りに気をつけろ」と警告されたのだ。
実は2017年の夏になって、自分の周囲でも微妙な変化を感じるようになった。内閣情報調査室や公案警察が私のことをチェックしはじめたという情報が、耳に届くようになったのだ。週刊誌でもそういったことが書かれるようになった。
・また、一時期は会社の代表番号にこんな電話がかかってきた。
「望月、出せや!」
・私に対する質問状が届いた。送り主は産経新聞の官邸番記者だった。
「望月記者は主観に基づいた質問をしている認識はあるか」
「質問は簡潔に、同趣旨の質問は控えてなどと注意を受ける場面があるが、改善の必要性についてどう考えているか」
「記者会見にどのような姿勢で臨み、今後はどう考えているのか」
・銃刀法違反で逮捕。拘留されていた暴力団組長と、取り調べを担当していたさいたま地検熊谷支部の國井弘樹検事との間で、常識をはるかに逸脱し、検事としての見識もが疑われる裏取引が行われていたことをつかみ、紙面で報じた。
暴力団組長が銃刀法違反で指名手配中の組員へ電話をかける。
↓
暴力団組長は隠していた拳銃を、その組員に別の場所に移し替えさせる
↓
警察に発見させ、そのうえで出頭させる
当局と容疑者の双方にとって不利益が生じない事件をでっちあげ、結果としてマルク納めることは、昭和のころはよく取られた手法だったようだ。とはいえ、最近は悪しき週刊としてタブー視する検察関係者が少なくなかった、。にもかかわらず、担当した國井検事は、取調室内で容疑者に指名手配犯へ電話をかけるという、前代未聞の行為を容認した。検事が捜査で手柄を得るために、そんなことまで指示して行っているのか-
しかし-東京新聞の報道を受けて、東京高等検察庁とさいたま地方検察庁は内部調査に着手したが、結果として「違法行為はなかた」と判断され、最終的には検事総長による口頭注意だけで終わる。裏取引のストーリーを描いた國井検事が懲戒処分を受けることはなかった。
國井検事は、さいたま地検をへて東京地検特捜部へ栄転する予定だったそうだ。「さすがにそれはできない」と見送られたが、その後に移った大阪地検特捜部でその名前が大きく報じられることになる、村木(厚子)さんの事件といえば、思い出す方も多いと思う。
・1社単独よりも複数で、あらゆる方向から疑惑を追及していったほうが、効果ははるかにおおきい。
・12月の衆議院総選挙の直前、萩生田光一自民党筆頭副幹事長名で在京のテレビ局各社に、選挙報道の公正中立を求める要望書が出された。
要望書そのものも異例なら、記されていた内容も目を疑うものだった。
「街頭インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたい」
・テレビ朝日系の「報道ステーション」から恵村順一郎さん、TBS系の「NEWA23」から岸井成格さん、そしてNHKの「クローズアップ原題」から国谷裕子さん-政権に対してしっかり意見を言っていた、ジャーナリストやニュースキャスターが辻次に降板していった。
・そこにかぶせてくれたのが南彰記者だ。
ここぞとばかりに内容をしっかり読み込んできた、野党時代の2012年に菅氏が発表した著書『政治家の覚悟』の一節について理路整然と質した。
「ある政治家の本では『政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為だ』と、これを記されたのはどなたか、官房長官はご存知でしょうか」
顔色ひとつ変えずに、菅官房長官が「しりません」と返す。南記者がたたみかけた。
「これは官房長官の本に書かれているのですが」
5年前の著書との矛盾を突かれる、「いや、私は残していると思いますよ」と薄ら笑いを浮かべていた。
・私は特別なことはしていない。権力者が隠したいと思うことを明るみに出す。そのために、情熱をもって取材にあたる。記者として持ち続けてきたテーマは変わらない。これからも、おかしいと感じたことに対して質問を繰り返し、相手にしつこいといわれ、嫌悪感を覚えられても食い下がって、ジグゾーパズルのようにひとつずつ疑問を埋めていきたい。
・大切にしている言葉がある。インドの独立の父といわれるマハトマ・ガンジーの言葉だ。
《あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである》
感想;
事実を明らかにすることを阻害しようとする力が働いていることがとても怖く感じました。
それに負けずにされているのは素晴らしいと思いました。
東京新聞はその記者を支援しています。
一方、産経新聞のように政府側について、問題を明るみに出そうとしている記者に圧力をかけようとしている新聞社もあります。
どの新聞を取るかは、その新聞社を支援したいかなのでしょう。
それにしても、菅官房長官の木を鼻でくくったような返答は、国民にきちんと答えようとの気持ちがないのでしょう。
そんな対応しても国民の支持が落ちないと自信があるのでしょう。
それを許している国民に問題があるのだと思います。
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