幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「イチョウ精子発見」の検証―平瀬作五郎の生涯: 本間 健彦著 "小石川植物園にその木があります”

2015-05-11 13:28:30 | 本の紹介
シダ類などには精子があるのは知られていたのですが、木々にもそのようなものがあるのはまだ知られていませんでした。
木々ではイチョウだけだそうです。
イチョウの精子の発見、それから2ヵ月後のソテツでの精子の発見は日本人が発見したものでノーベル賞レベルだったと言われています。
日本より海外での評価が高かったそうです。

平瀬作五郎は絵画の技工者として学校で教えていたのが、東京大学の植物学教室で助手として職を得て行った研究です。
その時のイチョウの木は小石川植物園にあるものです。
やぐらを組んで泊りがけで観察したとありました。イチョウの精子はオスの木から花粉(花粉→精子へ)の前のものが飛んできて、
メスの木の中で蓄えられ、それがある日にいっせいに精子が受精するとのことです。
技工者出身ということで、当時は学者としての学歴?がないと研究も正当に評価されなかったようです。
研究室のトラブルに巻き込まれ、職を辞して今の彦根東高校に先生として赴任しています。
その後、平瀬作五郎は、粘菌を発見した南方 熊楠と共同研究をしています。

当時、東大の植物教室には、牧野富太郎も助手でいました。小学校3年生の時に伝記を読み、感動したのを覚えています。
あらためて牧野富太郎の生涯を知ると、実家の酒屋の財産を植物研究に費やして家を傾けさせてしまいました。
牧野富太郎も同じく、学校での正式な教育を受けていない人でした。
小石川植物園で当時の研究室の写真に牧野富太郎氏が移っているのを見て、小学校3年生の時のことを思い出しました。

平瀬作五郎、牧野富太郎の植物学の偉人は、学校の専門教育を受けていない人というのも何か不思議な思いがしました。
アップル・コンピューターのスティーブ・ジョブズは大学1年の時に学費が高いので養父母に負担掛けたくないとからと辞めています。
マイクロ・ソフトのビル・ゲイツも大学中退です。

http://tokyocinema.net/ginkgo.htm
イチョウは春、花粉を飛ばします。花粉が若いギンナンの内部に取り込まれると卵が作られ始めます。 
それから約4ヶ月後、成長したギンナンの内部で卵は成熟します。
花粉は花粉管を伸ばし、その中に精子を作ります。同じ頃、イチョウは種子(ギンナン)の中に精子が卵まで泳ぐ「海」を用意します。
この「海」を泳いで精子は卵と受精します。

コケ植物・シダ植物などの原始的な陸上植物は精子を放出し、外界の水に泳がせて受精します。

被子植物などの高等な植物は、雄しべから雌しべへ花粉を届けます。
花粉は雌しべの水分と養分を利用して花粉管を卵まで伸ばし、直接精細胞を卵へ届けます。

この2つの生殖方法を進化的に繋ぐのが、1896(明治29)年に発見されたイチョウ精子(平瀬作五郎 1856-1925)であり、
ソテツ精子(池野成一郎 1866-1943)でした。植物は生殖の瞬間はダイナミックに動きます。
しかし、最もデリケートな時期でもあるので、生きている状態での観察は困難でした。
近年、日本の植物研究は生きている状態での裸子植物の精子による受精と、
被子植物の重複受精の観察・撮影を世界で初めて可能にしました。

この種の木はイチョウだけが生き残り、中国の奥地で発見されたとのことです。
イチョウの精子が受精するところのビデオ撮影には数ヶ月を要したとのことでした。

感想;
小石川植物園には、平瀬作五郎が発見したイチョウの木があります。
文京区の住宅街に小石川植物園がありますが、ニュートンのリンゴの木やハンカチの木などもあります。
小石川植物園は東大の施設で、敷地内に東大の植物教室の展示室もあります。
そこで牧野富太郎の写真を見て、小学校の時に読んだ牧野富太郎伝記を思い出しました。

アフィリエイトの収益12,031円 埼玉いのちの電話に寄付させていただきました。

2015-05-10 04:30:08 | 笑顔
アフィリエイト始めてみました 初めては失敗しながら 2014-05-02 00:21:43 | ブログhttp://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/482323aa872bd80da5cee59628ccf985

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"埼玉いのちの電話"に10,031円と遊びの"ボランティア(NPO法人 病気の子ども支援ネット)注"に2,000円を寄付させていただきます。
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小さなことですが、自分にできることをやることが大切なんだと自分に言い聞かせています。
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12,031円も収益があり、嬉しく思いました。ご協力していただいている方に感謝です。ありがとうございます。
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注)http://www7.ocn.ne.jp/~inorihi5/yokkun.html
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2014年度(2015年3月まで)のアフィリエイト広告料は12,031円でした。
"埼玉いのちの電話"に10,031円と遊びの"ボランティア(NPO法人 病気の子ども支援ネット)"に2,000円を寄付させていただきます。
2,000円に10,000円プラスして12,000円を"病気の子ども支援ネット"に寄付させていただきます。
ご協力ありがとうございました。引き続きご支援お願いいたします。

特派員「外務省が記事を攻撃」 独紙記者の告白、話題に "言論の自由と政府の関与はどこまで”

2015-05-09 13:11:42 | 社会
フランクフルト=玉川透 武田肇
http://www.asahi.com/articles/ASH4P6GZ3H4PUHBI02T.html?ref=nmail
2015年4月28日04時27分

 ドイツ有力紙の元東京特派員が今月、離任に際して書いた「告白」記事が話題になっている。昨年来、「日本の外務官僚たちが、批判的な記事を大っぴらに攻撃しているようだ」と指摘している。米主要紙の東京特派員は、記事中の識者の選定を巡り、日本政府から細かい注文をつけられた。日本の姿を世界に伝える在京特派員と日本政府がぎくしゃくしているのはなぜか。関係者に直接、話を聞いた。

 注目されているのは、独紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)のカルステン・ゲルミス記者(56)が書いた英文の寄稿「外国人特派員の告白」だ。日本外国特派員協会の機関誌「NUMBER 1 SHIMBUN」4月号に掲載された。これを、思想家の内田樹(たつる)さんがブログに全文邦訳して載せ、ネット上で一気に広がった。

 ゲルミス記者は寄稿で、日中韓の対立について書いた自分の記事に対する、日本政府からの「侮辱」的な抗議について記した。

 ゲルミス氏は2010年1月から今月上旬まで東京に5年余り滞在した。発端となる記事をFAZ紙に掲載したのは昨年8月14日のこと。「漁夫の利」と題し、「安倍政権が歴史の修正を試み、韓国との関係を悪化させているうちに、中韓が接近して日本は孤立化する」という内容の記事だった。

 これに対し、中根猛・駐ベルリン大使による反論記事が9月1日付のFAZ紙に掲載された。

 ここまではよくある話だが、寄稿が明かしたのは、外務省の抗議が独本社の編集者にまで及んでいた点だった。記事が出た直後に、在フランクフルト日本総領事がFAZ本社を訪れ、海外担当の編集者に1時間半にわたり抗議したという。

 寄稿によると、総領事は、中国が、ゲルミス氏の記事を反日プロパガンダに利用していると強調。さらに、総領事は「金が絡んでいると疑い始めざるを得ない」と指摘した。また、総領事は、ゲルミス記者が中国寄りの記事を書いているのは、中国に渡航するビザを認めてもらうために必要だからなのでしょう、とも発言したという。

 ゲルミス氏は寄稿で、「金が絡んでいる」との総領事の指摘は、「私と編集者、FAZ紙全体に対する侮辱だ」と指摘。ゲルミス氏は「私は中国に行ったことも、ビザを申請したこともない」とも記している。

 当事者たちに、現地で直接取材した。

 昨年8月28日、FAZ本社を訪れたのは坂本秀之・在フランクフルト総領事。対応したのは、ゲルミス氏の上司に当たるペーター・シュトゥルム・アジア担当エディター(56)だった。

 シュトゥルム氏によると、同紙に政府関係者が直接抗議に訪れたのは、北朝鮮の政府関係者以来だったという。シュトゥルム氏は「坂本総領事の独語は流暢(りゅうちょう)だった」と話す。総領事は中国のビザ取得が目的だったのだろうと指摘したうえで、「中国からの賄賂が背後にあると思える」と発言したという。シュトゥルム氏は「私は彼に何度も確認した。聞き違いはあり得ない」と話す。

 坂本総領事の説明は、シュトゥルム氏の話と異なる。坂本総領事は取材に対し、一連の発言について「金をもらっているというようなことは一言も言っていない。ビザも、中国の言論統制の話の流れで話題に出たが、ゲルミス記者個人のビザの話は一切していない。(シュトゥルム氏が)思い込みで言っているとしか思えない」と否定した。

 現在勤務する独北部ハンブルクで取材に応じたゲルミス氏は、「海外メディアへの外務省の攻撃は昨年あたりから、完全に異質なものになった。大好きな日本をけなしたと思われたくなかったので躊躇(ちゅうちょ)したが、安倍政権への最後のメッセージと思って筆をとった」と話した。

 ゲルミス氏が、機関誌に寄稿したのは「日本政府の圧力に耐えた体験を書いてほしい」と、特派員協会の他国の記者に頼まれたからだ。その後、記事への反応を見ると、好意的なものが多かったが、「身の危険」をほのめかす匿名の中傷も少なからずあったという。「日本は民主主義国家なのに歴史について自由に議論できない空気があるのだろうか」と語る。

 シュトゥルム氏もこう話した。「我々は決して反日ではない。友好国の政府がおそらく良いとは思えない方向に進みつつあるのを懸念しているから批判するのだ。安倍政権がなぜ、ドイツや外国メディアから批判されるのか、この議論をきっかけに少しでも自分自身を考えてもらいたい」(フランクフルト=玉川透)

■日本大使館、識者の人選に注文

 米主要紙の東京特派員は、慰安婦問題に関する記事で引用した識者について、在米日本大使館幹部から「日本の学術界ではほとんど認められていない」と、人選を細かく批判する電子メールを受け取った。特派員は「各国で長年特派員をしているが、その国の政府からこの人を取材すべきだとか、取材すべきでないとか言われたのは初めて。二度と同じことをしないよう抗議した」と話す。

感想;
フランスでモハメットの風刺画が問題になり、それでそれを発行した新聞記者が殺害された。
日本でもマホメットを風刺した本の訳した大学の教員が殺害され、犯人は掴まっていない。
このようなことを行うと殺されるのだとの脅しでもあるのでしょう。

またどこまで風刺が許されるのかの議論も併せてされています。
安倍政権では、TV局にいろいろと注文がされているのも事実です。
その影響なのか、最近TVでは報道しない内容がラジオで言われています。
ラジオはまだ影響されていないのでしょう。

秘密保護法では、秘密をばらした人への刑罰がうたわれています。
何が秘密になるかは、政府が決めると言っています。
秘密を暴露することに心のハードルができたと思います。

人を嘲笑したり事実無根のことで人の名誉を落とし込むことはあってはならないです。
一方、発言の自由も大切です。

政府が外国特派員にまで、言っているとは知りませんでした。
自由にものが言えない社会、戦争前の日本や、今の北朝鮮を連想してしまいます。

ヘイトスピーチも問題もあります。日本は海外から塀とスピーチに関して制限を設けていないとの指摘も受けています。
これに関しては、確か政府はまだ法律で制限はしていないと思います。

国民に悪い情報は知らせない。情報がないと正しく判断することもできなくなります。

戦争での、インパール作戦、ノモハン事件、203高地の戦いなどでは、
何万との兵士が餓死、病気、無理な決戦でいのちを落としました。
そのことは学校で学ぶことがありませんでした。本を読んで知りました。
当時の責任者は責任をとっていません。
一方、上官の命令で捕虜を殺害したとの理由でC級戦犯が処刑されています。
A級戦犯も罪に問われる人、問われなかった人様々でした。

何故、日本は戦争をしてしまったかの日本人による反省がないように思うのですが。
福島原発も何故防げなかったのかの検証が不十分なように思います。
共産党の議員が震災前に政府に質問しています。
その時の議事録もあります。
冷却装置を外した経緯もあります。
それらを含めて、検証して次に行かないとまた同じ過ちを繰り返してしまうように思うのですが。

過ちは100%避けることはできませんが、100%検証することはできます。
それが大切なのだと思います。きっと人生でも同じことが言えるのでしょう。







「コンカツ」 石田衣良著 "誘わない男性と待っている女性でコンカツパーティは繁盛”

2015-05-08 02:05:16 | 本の紹介
主人公Aは29歳の大手自動車会社に勤める総合職の29歳独身女性。
結婚相手を見つけたいがなかなか希望に合った人が見つからない。
3歳上の大学の先輩B(バツイチ、子どもなし)とルームシェアを始めた。
その先輩は25歳までには子どもを設けたい。この35歳が第一子を産む基準にしている。
大学同級生の同じく29歳の女性Cも一緒にルームシェアをする。

その女性に誘われて主人公はコンカツパーティに行くが、今一つの男性しかいない。
そのコンカツパーティを主催しているのがCの友達Dで、Dいわく「男性は一度断られると直ぐに諦めて誘うことをためらってしまう。
女性は男性からの誘いをまっているだけ。
そのようなタイプの男女でコンカツパーティは繁盛しているが、実際にゴールインするまでのカップルは少ない」と。
男性は断られるのを恐れて誘わない。女性は待っているだけだから、なおさら付き合うチャンスも少ない。

そこへ会社の後輩Eがルームシェアに入れて欲しいとのことで、4人のコンカツ活動がそれぞれ展開して行く。
Eは既婚者の会社社長の子どもを妊娠して一人で産むことに。子どもは認知してもらい、生活費の支援は受けることに。

Aは大手物産会社に勤め、かって雑誌のモデルをやたこともあり身長も顔もOKで、相手から好かれる。
しkし、結婚相手には仕事を辞めて海外転勤に同行して欲しいとの希望があった。
Aは仕事も続けたいのでその相手の申し出を断る。結婚だけでなく、仕事も続けたい。

AはPR広報の部署にいて、撮影で人気アイドルのマネージャーと知り合う、
お互い好印象を持ち、最初のデートはドライブに行き、唇を重ねる。
そしてその帰りにホテルに寄る。Aはホテルの可能性も考え下着はおニューの勝負下着を身に付けて準備はしていた。
全て自分の基準以上なのだが、セックスの相性があまりにも悪すぎた。
この相手と一生このセックスをやるのかと思うと、引いてしまった。

BはAの大学時代からの男友達Fから付き合って欲しいと積極的にアプローチがあったが、Bは断ってしまう。
男友達FはAに、Bと付き合えるように取り持って欲しいと依頼し、付き合い結婚までこぎつけた。

Aは会社の後輩のコピーライターGと一緒に仕事をすることがあったが、どうも最初の印象は悪かった。
そのため付き合う対象にもならなかったが、仕事での接点が多く、そのうちに人柄に惹かれて付き合うこといなる。

感想;
著者はコンカツをしている女性にインタビューして様々な女性を描いているのでしょう。
Aは大学時代の男友達Fとは一緒に映画や食事やよく二人ででかけていたとの設定です。
二人で一緒に映画や食事は付き合っているとなるのではと古い人間は思います。
でも、現在はセックスしていなければ付き合っているとは言わないそうです。
Aにとっては男友達Fは友達として二人で行動するのは楽しいが結婚対象にならない。
古い人間には、なぜそんなに一緒にいて楽しいなら結婚しないのだろうと思ってしまいました。

これを読んで、男性は振られことを恐れないで声をかける。
一度や二度断られても、ストーカーにならない範囲で何度も声をかける。
女性は待っているだけでなく、気の弱い男性が声をかけやすいように働きかける、あるいは女性から声をかけてもよい。
そうしないとなかなか結婚できない時代になってきているようです。
コンカツと言うより、人生の生きる姿勢のように感じました。
聖書の「山上の垂訓」を思い出しました。「門をたたけ、求めよ。
門をたたくものには門が開き、求めるものは得る」。
をたたく勇気と、門の叩き方のノウハウが必要になるのでしょう。

「虹の岬の喫茶店」 森沢明夫著 "吉永小百合さんも愛した 岬の喫茶店、映画で脚光"

2015-05-07 04:00:32 | 本の紹介
小さな岬の先端にある喫茶店。そこでは美味しいコーヒーとともに、お客さんの人生に寄り添う音楽を選曲してくれる。
その店に引き寄せられるように集まる。心に傷を抱えた人人・・・彼らの人生は、その店との出逢いを女主人の言葉で、大きく変化し始める。
疲れた心に優しさが染み入り、温かな感動で満たされる。癒しの傑作感涙小説。

感想;
ほのぼのとする人と人との触れ合い。人は悲しみを抱えながら生きて行かないといけないことが多々あります。
そんな時にちょっとした人との触れ合い、言葉がその悲しみを受け止めてくれる場合もあるのでしょう。
人に疲れた時に人との触れ合いの安らぎを感じさせてくれる小説でした。
文中にあったガンジーの言葉「間違って犯す自由が含まれていないのであれば、自由は持つには値しない」が心に浸みこんで来ました。
人は間違いを犯すけれど、大切なことはその後の行動なのでしょう。
それと「夢を持ち続ける。祈り続ける」ことが生きる上では必要なことをあらためて教えてくれるお話でした。
この小説は吉永小百合さんが初めてプロジュースした映画になりました。小説のモデルになった喫茶店が千葉県にあります。

吉永小百合さんも愛した 岬の喫茶店、映画で脚光
斉藤勝寿 2014年9月21日13時53分
http://digital.asahi.com/articles/ASG9J4VT3G9JUDCB00W.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG9J4VT3G9JUDCB00W 
モントリオール世界映画祭で入賞した、吉永小百合さん主演の映画「ふしぎな岬の物語」。モデルとなった喫茶店が、千葉県鋸南(きょなん)町にある。ファンが続々と押し寄せ、今や人気のスポットだ。

 喫茶店は、東京湾をのぞむ明鐘(みょうがね)岬にある「音楽と珈琲(コーヒー)の店 岬」。同県富津市の金谷から鋸南町に向かう国道127号から少しはずれた場所で、わかりにくい。それでも車やバイクでの来訪が相次ぐ。船橋市から来たという夫婦は「国道はよく通っていたが、喫茶店があるなんて気づかなかった。素晴らしい景色ですね」。福島県から5時間かけてやってきた人もいた。

 「岬」は36年前に開業。玉木節子さんが1人で切り盛りしてきた。午前10時から夕暮れまで営業する。海の向こうに富士山が見える風景は抜群だ。地元の鋸山(のこぎりやま)のわき水を使ったコーヒーは、玉木さんが一杯ごとに心を込めていれている。

 映画の原作は、雑誌取材で偶然訪れて気に入ったという、作家森沢明夫さんの小説。これを読んだ吉永さんが映画化を決め、初のプロデュース作品となった。

 今年初めに「岬」などで撮影があった。吉永さんは会見で「本当に癒やされるんです。その喫茶店は」などと魅力を語っている。

 玉木さんは「小百合さんは『初めて来た気がしない』『ずっといたくなるようなお店ですね』なんて言ってくれたのですよ」と振り返る。撮影の合間にたびたび訪れ、コーヒーを味わった吉永さん。店の雑記帳に「すてきな出逢い、大切にしましょう」と直筆のメッセージを残した。

 映画でも触れられているが、東日本大震災があった2011年、玉木さんも大きな災難に見舞われた。1月に、店が火事で焼失してしまったのだ。それでも12月にはユニットハウスで再開させた。愛する場所をよみがえらせようと、常連客が立ち上がった。「お客さんたちが看板を寄贈してくれたり、ウッドデッキを作ってくれたり、続けていく元気をもらいました」

 常連客の一人である松原義泰さん(77)は受賞後のにぎわいに「たくさんの人がここでコーヒーを飲んだり、景色を楽しんだり……。その姿を見ていると、自分のことのようにうれしい」と目を細める。

 玉木さんは「受賞が報じられてからさらに忙しくなった。お客さんに外で待ってもらうことなんか、今までなかったので申し訳ない。小百合さんが愛した店と風景を、自分たちも見てみたいということなのでしょうね。小百合さんのおかげです」と話している。