英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

舟を編む ~私、辞書作ります~ 最終話(第10話)

2024-04-23 19:03:50 | ドラマ・映画
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「第1話」「タイトルに違和感」

 面白かった!
 こういう収束に向かう連続ドラマで10話というのは、わざわざ困難やイベントを挿入してダレてしまったり、ストーリーに齟齬、矛盾が生じたりするのだが、ずっと面白くて、長さを感じなかった。
 ドラマ構成としては、中辞典を完成させるため、「言葉の選定」「語釈」「紙づくり」「図版」「表紙デザイン・装丁」「紙発行の中止」など段取り(工程)消化や難問解決を段階的にクリアしていく。そういう行程・工程も目新しいということもあったが、新人?女性編集員の成長や、彼女の新たな視点や疑問、柔軟な考えなどに応える編集スタッフたちの真摯で熱い情熱などを視聴者(私)は照射し続けられた。
 先週(第9話)では、“あるべき言葉”の漏れが発見され、すべての候補言葉を再チェックという地獄を見た。で、最終話……これ以上のイベント?があるのか?と思ったら、松本先生(柴田恭兵)が食道がんに罹患していることが分かり……《嗚呼、先生は発刊を見ることなく……》となるのか?と思ったら、違った。その代わり、アレがあった……
 新型コロナウイルスの感染拡大だ。

 ただし、《コロナによる編集スタッフが離脱》とか、《製本などの工程が進まない》とかではなく……
……「パンデミック」「濃厚接触者」「クラスター」「テレワーク」「不要不急」「生活様式」「密」「エアロゾル」など新型コロナウイルス感染拡大関連の言葉の重みが増してしまった。
 新たに加えなければならない言葉や、コロナ関連の収録言葉の語釈も再考する必要がある。……となると、ページ構成さえも変わってしまう。
 もちろん、「《新語などは、しばらく様子を見てその言葉が定着するか見極める必要がある》ので、無理ににコロナ関連の事項を修正しなくてもよい」と考えることもできるが、《辞典の意義…使用者の手助けになる》ということから、修正した方が良いのでは?
 そこへ、松本先生の奥さんが訪問し、お礼の言葉やお土産?(芋羊羹?)と共に、翠への手紙と編集スタッフへ松本先生の用例採集カードの束
 松本先生は、入院中でも辞典づくり(言葉の探求)に燃えていたのだ。

 《やはり、修正しよう》という意志が固まり始め、《どのようにしたら、発刊が遅れないようにできるか》と考え始めたところに、「印刷所(印刷機)が見つかりました」と製紙会社社員・宮本(矢本悠馬)が飛び込んできた。
 校了の遅れを印刷所を増やすことでカバー(究極の紙なので、どんな印刷機にも対応できるらしい)。

 もちろん、新たに語釈や図解を加える分を、他の言葉の語釈を用例などを削るのと、新たな語釈の検証なども行わなければならず、苦闘の日々が続いた末(当然、印刷開始の遅れは少ない方が良い)、無事校了を終えた。最終話も大変だった。
 ……という流れだったが、実は、最終回の主題はこれではない。

 新型コロナウイルス感染拡大により、
・松本先生と面会がままならない
・馬締氏の妻・香具矢が、小料理店「月の裏」の客足が途絶え、彼女の師の京都の料亭の手伝いをすることに
 という事態になってしまった。

 馬締氏は《香具矢がもし京都で感染したら、身近で支えることも出来ないし、もしかしたら、会うことも出来ないかも》と危惧し、「いってらっしゃい」という言葉を香具矢に掛けられなかった。

 馬締は
「距離には負けます。
 引き裂かれそうに苦しい時、そばに体温を感じられる距離にいられることに、比べたら……
 言葉なんて無力です

そんな馬締に、みどりは……!

 
 みどりは熱い恋心を綴った長文ラブレターを取り出し、熱く語る。
「滅茶苦茶感じた!……マジメさんのドキドキも、ちょっと上がった体温も、手の震えも、滲んだ汗も、不安も焦りも切なさも……
 溢れて溢れてどうしようもない香具矢さんへの恋と愛。
 それを伝えようって言葉を綴ったんじゃあないですかっ!
 この言葉たちは、そのために生まれてきたんじゃないですか?
         ………
 (『大渡海』への馬締の熱い思いを、みどりは訴える⇐申し訳ありません、省略します)
         ………
 負けちゃうんですかっ?距離なんかに!」


さらに、編集スタッフたちに松本先生からメール(ccメール、一斉メール)が届く

=========================================

(担当医に手足の痺れについて、「ピリピリと電気が流れる感じ」なのか、「氷水に長い時間浸していたような感じ」なのか、「ゴム手袋を何枚も重ねてはめている感覚」なのかを尋ねられたが)
「驚きました。私は手足に電気を流したことも、長時間氷水に手を浸したことも、ゴム手袋を何枚も重ねたこともないのに、ありありとその感覚が分かるのです。
 言葉の持つ力とは、何と不思議なモノでしょう。何と素晴らしいものなのでしょう

「病になって、やはり死について考えます。もう十分生きたはずなのに、恥ずかしながら、堪らなく恐ろしくなることもあります。そんな時、私はこんな想像をするのです……
 ………私の死後、あなた方が言葉を潤沢に、匠の使い、私の話をしてくれる。
 その時、私は確かにそこにあなた方と共にあるのです。
 言葉は死者とも、そして、まだ生まれていない者とさえ、繋がる力を持っているのだと。
 繋がるために、人は言葉を生み出したのだと……そう思えてならないのです。

 その瞬間、死への恐怖は、打ち上がった後の花火のように散り去って、
 消えることのない星の輝きだけが残るのです。

 新型コロナウイルスによって、人々が分断されてしまった今、まさに、言葉の力が試されているのかもしれません。
 無論、言葉は負けないでしょう。
 距離を超え、時を超え、
 大切な何かと繋がる役目を、見事果たしてくれることでしょう



  “辞書の鬼”と松本先生は評されるが、“辞書への情熱が常人とかけ離れている”ことへの比喩で、人柄は“仏”のようである。
 熱い情熱と奥行きのある温かさ……ぜひとも教えを請いたいなあ。
 そう言えば、柴田さんが『空飛ぶ広報室』で演じた鷺坂正司も素敵だったなあ。

 松本先生とみどりの言葉に後押しされて、馬締氏は出発間際の香具矢の下に駆けつけ、「行ってらっしゃい」と送り出す。
 「体温を感じられる距離には負けます」という馬締の弱音に対し、松本先生の言葉が《そんなことはないんだよ》と背中を押し、みどりの“叱咤激励”が尻を叩く……とても良いシーンだった。
 でも、馬締の弱音については、不満(疑問)を感じた。
 “言葉大好き人間”の馬締が「(言葉は)距離には負ける」と言い切ってしまうことに違和感があり、たとえ、そんな弱音を吐いたとしても、自力で思い直す……それが馬締なのではないだろうか!

 まあ、《香具矢を愛しく思うあまりに弱気になってしまった》というのも分からないではないので、《みどりに尻を叩かれる》というのもありだと思う。(みどりがヒロインだし)
 ただ、みどりの叱咤激励だけではなく、さらに松本先生の言葉に後押しされた後、馬締がようやく足を踏み出すというのは、どうなのか?
 せめて、自分のラブレターを見て、香具矢の下に駆けだし、そのシーンに松本先生の言葉がが被せられるというのなら、納得できる。

 


★最終話でこれまでのエピソードをきちんと回収していたなあ
「恋愛」(第2話)
 第2話で、《みどりは「恋愛」は男女間(異性間)には限らないのでは?》と疑問を呈した。(さらに、“恋”とは? “愛”とは?と深く考える…そんなエピソードが盛り込まれていた。
☆その時に、みどりが考えた【恋愛】の語釈
 ……特定の二人の互いの思いが、恋になったり、愛になったり、
   時には入り交じったりと、非常に不安定な状態。

 今回、病院から松本先生が奥さんに託した手紙に、その回答が書かれていた
 ……特定の二人が、互いに引かれ合い、恋や愛という心情の間で揺れ動き、
   時には不安に陥ったり、時には喜びに満ち溢れたりすること。


 みどりの語釈を尊重したモノだった。
 個人的には、「恋になったり、愛になったり」や「恋や愛という心情の間」というのではなく、「恋」や「愛」を用いない別の表現をして欲しかった。

 さらに、
「三年間の観察・検証の結果、『大渡海』の恋愛の項目には、「異性」「男女」の表記は不要とする」
という注釈もつけられていた。



「なんて」(第1話)

「なんて」……みどりがよく口にする言葉。無意識に使ってしまっていて、無自覚に人を傷つけていた
 (感嘆の気持ちを強調する”副詞”もあるが)
副助詞として――次に来る動作・内容を、軽視する気持ちを込めて例示する
副詞として―――軽視する気持ちを込めて、同格の関係で次の語を修飾する
副助詞として――無視または軽視する気持ちを込めて、事柄を例示する。
《用例》?
「ほんと助かる。朝から電話する余裕なんてないからさぁ」(人気料理店の予約をしてくれた友人に対して)
「言葉と説明が並んでいるだけですよね、辞書なんて」
「辞書なんて、どれも同じだと思っていたんです」
「あとにして、カメラなんて」
 この《軽視》の他に、「私なんて」と《卑下》する用法(意味)もある。

 最終話では、松本先生のスタッフへの感謝の言葉の中で
「あなた(みどり)が来てくれた3年間は、なんて素敵な楽しいものだったでしょう!」と述べていた。


「言葉の国」「上がる」(第1話他)
 馬締は、気になる言葉があると、それに考えをめぐらし、他の刺激(声)を受け付けなくなる。……この状態の馬締に対して、周囲は「言葉の国に行ってしまった」とあきらめの気持ちで表現している。
 香具矢も馬締との遊園地デートの時、馬締が“言葉の国”に行ってしまい、置き去りにされてしまった経験があると語っていた。
 で、この最終話、間締とみどりの会話の中でそのエピソードについて、「遊園地デートの時は何の言葉で“言葉の国”に行ってしまったのか?」とみどりが尋ね、
 「確か……「上がる」という言葉……」
 「「あっ!」」二人同時に叫ぶ。
 みどりが食堂で友人と会話中「上がるよね」と発したのを聞いて、「その“上がる”というのは、どういう状況に於いて…」と質問したのが、ふたりの初対面だったのだ。


 エピソードの回収という訳ではないが……
・【癌(がん)】(校了前の語釈)
 ……生体を死に至らしめる病気

 これを馬締が「生体に深刻な害を与える」と修正。

 でも、「死に至らしめる」という表現は、馬締たちの信条の「(辞書は)手助けになりたい」というモノとは、かなり離れているように感じた。“らしくない”のである。
 ちなみに、旺文社『国語辞典」(重版)では、①[医]悪性腫瘍の総称。表皮・粘膜・腺などの上皮組織にできる悪性のできもの。「胃―」②組織や機構上、最大の障害となるもの。根強いさまたげ。

・「コロナウイルス」の“コロナ”の由来が、コロナウイルスの画像(電子顕微鏡)が太陽のコロナに似ている…ことらしい
 

【最終話・あらすじ】
 「大渡海」校了直前、松本先生(柴田恭兵)が入院する。
 すぐにまた会えると信じるみどり(池田エライザ)たちだったが、新型コロナウイルスで世界が一変。暮らしが大きく変わる中、馬締(野田洋次郎)のある問いかけが、辞書編集部に衝撃を与える。一方、客足の途絶えた店で、香具矢(美村里江)もある決断をしていた。
 十数年の時をかけた辞書作りは、彼らに何をもたらすのか。令和の「舟を編む」の結末がここに…!

原作:三浦しをん『舟を編む』
脚本:蛭田直美

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