歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

3/11を招来した阿倍晋三首相の責任を問う

2012-12-31 | 国際学会 8th IWC-Ecosophia 2011

昨日の読売新聞の記事によると、阿倍晋三首相は、原発増設を容認する旨を明言したとのこと。彼は、自分自身が福島の原発震災を招来したことに対して大きな責任があることを全く忘却しているかのようだ。以下は、私が2011年3月に書いた旧ブログの記事の一部であるが、それをここでも再掲しておこう。

ここで日本国民がはっきりと記憶しておかなければならないのは、平成十八年十二月十三日に吉井英勝衆議院議員が当時の首相であった阿倍晋三氏に提出した
巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書である。吉井氏の指摘は、今日これをふりかえってみると、福島で現実に起きたことを実に的確に予見していたものであったが、とくにこの質問主意書の中で

「7 停止した後の原発では崩壊熱を除去出来なかったら、核燃料棒は焼損(バーン・アウト)するのではないのか。その場合の原発事故がどのような規模の事故になるのかについて、どういう評価を行っているか。」

という指摘は重大である。これに対して阿倍晋三首相は当時どのように答えたか。平成十八年十二月二十二日付けの衆議院議員吉井英勝君提出巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁書 によれば、指摘7に対して

「経済産業省としては、お尋ねの評価は行っておらず、原子炉の冷却ができない事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである。」

と答えていた。危険の評価をしなかったということは、「安全神話」によって現実に目をふさいだということである。「原子炉の冷却ができない事態が生じないように安全の確保に万全を期す」などというが、阿倍氏は、この答弁書の中で

「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」

と答えていた。福島ではまさに非常用ディーゼル発電機のトラブルによって全所停電が生じたわけであったから、「原子炉の冷却ができない事態が生じないように安全の確保に万全を期した」というのは虚偽であったことが実証されたわけである。全体的にみて、官僚に丸投げした無意味な答弁としか言いようがないが、この答弁書は阿倍晋三首相自らの名前で書かれたものである。したがって、阿倍氏には、当時だけでなく現在でも首相の地位にあるのであるから、「炉心溶融に伴う危険の評価」、ならびに「炉心溶融をもたらす全所停電が起きないように万全を期す」という当然為すべきことを怠ったために、福島の住民に甚大な被害をもたらした責任がある。我々は、自己崩壊した民主党政権の責任を問う以前に、原子力の発電所の安全審査を怠ってきた自民党と経産省、そして安倍首相自身の「不作為の責任」を問わねばなるまい。

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